第57回 新しい職員を迎えて思うこと ― 再び「人材育成」とは人に投資すること。

2015年4月30日

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

新年度になって、アーラも新しい職員を迎えることになった。欠員補充の公募ではなく、総員規制を外しての一名増員のためのリクルーティングであった。私が館長兼劇場監督に就任した2008年から、年6本の自主製作事業、年50事業前後の主催・共催の鑑賞型事業、それに年400回を超える包摂型事業「まち元気プロジェクト」と、それ以前に比べると仕事量は6倍から7倍程度になっている。開館前の議会で定員23名と答弁したことがあったらしく、それ以前の事業運営の数倍の量的拡大をしていながら、私と市役所からの現職派遣職員も含めて23名といういささか窮屈な労働環境であったことは否めない。2008年当初は経験値の低い若い職員が多かったこともあり、時間外勤務の手当ては想像を絶するような金額に上っていた。A.B.Cのシフト制で、どうしても時間外勤務が増えてしまう午前10時30分からのB勤務を廃絶したり、ワークライフ・バランスの均衡が取れなくなると良い発想が生まれないし、顧客対応にも遺漏が起こるということを絶えず職員に伝えるなどの対策を講じたりもしていた。

当初、新しい経営を導入するにあたって職員の経験値が低いことは初めから織り込み済みであり、私の職員採用基準は、職歴・学歴は劇場職員の適性とは何ら関係ないというものである。人間的に魅力があり、できれば「笑顔」が良いことがアーラの職員になる最低限の基準である。未経験者でも、1年か2年劇場で働けばON THE JOB TRANINGで大抵の知識と技能は身につくものである。それよりも、市民やアーチストとのあいだに「関係資本」という資産を築ける人間の方が劇場の戦力になるのである。また、「アーラで働きたい」という気持ちがあれば、黙っていてもアーラのDNAを持つようになるものである。足らないところは「館長ゼミ」で『ハーバード・ビジネス・レビュー』の論文やセオドア・レビット、フィリップ・コトラー、ジョン・スポールストラなどのマーケティング理論の回読、それに加えてウェブ上に連載している「館長エッセイ」によって劇場経営の理論的なOFF THE JOB TRANINGを重ねれば、専門的な人材として輝きを増すように職員は育つものである。私が館長になった時に30代に入ったばかりだった職員が、現在では全国的な研修会で講師を務めるまでになっている。

環境さえ整えれば、意欲のある職員は自然と育つものである。
また、アーラでは私の当初からの方針で、積極的に外に出て、人的ネットワークの集積と学習の機会を持つようにしている。国内での研修機会はもちろんのこと、文化庁の在外研修で二人の職員が海外の劇場での就労体験を積んでいる。今年度、英国のウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)との業務提携契約を締結したので、毎年最低一名はWYPでの就労体験をすることになっている。これらは「投資」である。経験値だけでしか物言いができず、価値判断のできない職員は、劇場を進化させるうえで障害にしかならない、と私は思っている。「進化の止まった劇場」は市民からは見捨てられ、税金の無駄遣いにしかならない。したがって、いくら予算を切り詰めなければならない状況になったとしても、人材に「投資」する行為は決してやめてはならない。

facebookで、古くからの友人であるニッセイ基礎研究所の大澤寅雄氏が、劇場音楽堂等活性化事業の採択状況を見て、「そのような専門的人材の不安定な雇用のなかで『地域コミュニティの創造と再生をすいしんすること』は果たして可能なのか」という疑義を呈しておられた。私はすぐさま年来の持論を書き込んで返信した。以下のそのやり取りである。

Kisei EI  おっしゃる通りです。劇場音楽堂等の職員の雇用環境は、指定管理者制度が導入して以来、年々劣化しています。指定管理期間と合わせた期限付き雇用を採用するところばかりですが、それは退職時の一時金支給が行政の支出になるという慣例との関係ではないかと推察します。アーラは私の二年目に中退共に加入していますので、そこはクリアしています。したがって、職員はすべて継続雇用しています。ここを研究する人間がいないのは、やはり研究者が現場に疎いことの証左ではないかと思っています。

「中退共」というのは、独立行政法人勤労者退職金共済機構の「中小企業退職金共済事業本部」が所管している共済制度である。

大澤 寅雄  研究者のハシクレとしては耳が痛いところです(汗)。まだちゃんと目を通していないんですが、鳥取大学の 五島 朋子さんが、とても興味深い調査をされていますね。
http://www.tottori-artcenter.com/img/top/2011careerpass.pdf
どこに行っても「人材育成が課題」と言われるんですけど「人材の雇用が課題」といは、どうも言い出しにくい雰囲気があるんでしょうかね。もっとダイレクトに言っていいと思います。

大澤 寅雄  あと、私は公立文化施設の雇用の問題を「誰に言うべきか」が大事だと思っていて、国(文化庁)に言うよりも、まず、施設の設置者、都道府県や市町村に対して言うべきだと思うんですよね。「劇場音楽堂の活性化事業」で5年間の実績を、継続していきたいのであれば、その事業の財源を国に要求し続けるのではなく、設置者に対して指定管理者の裁量で自由に(定数を設けずに)雇用できるように要求するべきじゃないかと思うんです。
その雇用の財源を指定管理サービス料に上乗せさせるべきか、あるいは事業収入でまかなうのかは、個別の施設の置かれた状況次第だと思いますし、必ずしも終身雇用でなくてもいいんじゃないかと私は思っているんですが。

Kisei EI  その通りです。雇用環境は自治体の見識の問題ですからね。
Kisei EI  全国公文協の調査は静岡文化芸術大学の研究生が主体でやったもので、あまり実態がわかるものとはなっていません。「人材育成」とは「人材投資」であり、その意味では投資する対象が年々縮小している状態です。「人材育成」を言うなら、雇用環境にも触れなければ、まったくもって何も言っていないのと同じだと思います。

大澤 寅雄  <「人材育成」を言うなら、雇用環境にも触れなければ、まったくもって何も言っていないのと同じ>。そうなんですよねえ。。。まったくそうだと思います。いやー、まったく。。。

Kisei EI  一昨年改正された労働契約法との整合性もありますが、私も終身雇用である必要はないと思います。しかし、三年雇止めや労働契約法を睨んでの四年雇止めが横行しているのでは、若くて才能のある人材にとって劇場音楽堂等は希望の持てる、魅力的な職場にはならないと思います。秋以降の欠員補充での公募しかないことも、優秀な人材が逃げてしまう原因です。

大澤 寅雄  短いローテーションでキャリアチェンジしながらキャリアアップできる環境と、一つの地域で劇場人と同時に生活者でもありながら長期で地域と向き合っていける環境と、両方がバランス良くあって、相互に人材が還流しながら世代交代もしていけるような雇用環境が形成できれば、日本の劇場音楽堂は、大きく変わると思うんですよね。

Kisei EI  「人材の流動化」と現在の劇場音楽堂等の雇用環境を解説する人間がいますが、現況はそんな事態ではありません。人材を交換可能な部品として「使い捨て」ています。劇場音楽堂等にとっての人材は、「関係資本」を蓄積している経営資産であるとの認識がなければ、経営も委縮していくばかりです。「流動化」は5年、10年のキャリアがあってのもの。「人材の流動化」は詭弁でしかありません。

大澤 寅雄  <劇場音楽堂等にとっての人材は、「関係資本」を蓄積している経営資産である>。これ、すごくいい言葉だと思います。指定管理者制度の元の劇場音楽堂では、この「関係資本」という概念をどのように可視化させて説明できるのかが、生き残りに直結している気がします。

以上が、彼とのfacebook上のやり取りのあらましである。大澤氏の雇用に関する指摘は、現在の劇場音楽堂等の抱えている弱点を突いていてまさに正鵠を得た問題提起である。いわゆる「可児モデル」と言われている包摂型事業を梃子とした劇場経営は、その具体的な手法や成果のみが注目されている。年間相当の数に上る視察でも、事業の仕組みや運営のノウハウ、その成果などが彼らの関心の中心なのだが、その経営手法を支えているのは、アーラのヒューマンリソース・マネジメント(人材経営)の考え方である。彼らも裡に、事業で経年蓄積している関係資本であり、技術集積がそのような経営を可能にしているのであり、それを担保しているのは全職員が継続雇用という環境であることは見逃されがちである。

アーラは特別なことをやっているわけではない。何処でもできることを粛々と市民に届けているだけである。良く耳にすることだが、「アーラは特別」という言い方がされている。もしアーラが特別であるなら、劇場経営の基礎である雇用環境をしっかりと整え、人材が投資の対象となるように仕組んで、職員を経営資源化している点は他の劇場音楽堂にはない「特別」な点である。劇場経営においては、非正規雇用を増大させて人件費を物件費に付け替えるようなコストカッターは、中長期的には劇場の存立基盤を脆弱化させるばかりである。「人材育成」という言葉が様々な局面で語られるようになっている。そういう発言が劇場音楽堂等の課題解決になるかのごとくであるが、指定管理者制度導入以降の雇用環境の劣化に対する処方箋を語らなければ、何も語ったことにはならないことを肝に銘じてほしいものである。