第52回 景気後退が劇場を直撃しないために。

2014年11月26日

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

6月-9月のGDP速報率が発表されて衝撃が走った。実質成長率が、年率換算で前期比1・6%減である。世に言うエコノミストの予測はプラス2.47と楽観的な数値だったが、マイナス1.6で2期連続してのマイナス成長という結果となった。これは経済学的には、明らかにリセッション(景気後退)の局面に入ったことを意味する。安倍首相もたまらず衆議院の解散を決めざるを得ないほどの経済の落ち込みである。厚生労働省の勤労統計調査(速報)によると、9月の現金給与総額(事業所規模5人以上)は前年比0.8%増の26万6595円となり、7カ月連続で増加したが、物価の変動を考慮した実質賃金は前年比2.9%減と15カ月連続でマイナスとなっている。可処分所得が目減りすれば、最初に削るのは「教養費」、つまり書籍の購入や美術館や劇場に出かける消費行動による出費を手控えることになるだろう。消費税が5%から8%だけでもかなりの影響はあったのに、景気後退による消費マインドの冷え込みは、劇場や芸術団体の経営に大きく翳を落とすことになるのは疑いのないところである。(http://www.kpac.or.jp/column/kan41.html参照)

景気の動向と格差社会による階級化の進行に劇場ホールの経営が影響を受けないためにはどのような手立てをすればよいのか。実質賃金が目減りすれば、最初に手控えられるのは「教養費」と諦める向きもあるだろうが、私たちは座して死を待つわけにはいかない。従来のように大量のチラシ等で公演情報をマス・マーケティングで垂れ流しても、ヒット率は確実に落ち込むに違いない。従来でも、チラシのヒット率(観客として顕在化する率)は、0.2%から0.3%と言われている。つまり、1000枚のチラシで顕在化する顧客は2人か3人である。この非効率きわまりない数値がさらに落ち込むと考えられる。

また、最近の東京における劇場客の消費行動は驚くほど慎重になっている。ネットなどでしっかりとレビュー情報を収集して、そののちにたとえ幾分料金が高くても当日券を求める消費行動が顕著になっている。その理由は二つある。ひとつは、当然だが可処分所得が減少してチケット購入に充てられる金額も相対的に目減りしているということだ。二つ目は、前売りチケットの購入に費やした費用に見合った価値を舞台から受け取れないケースがきわめて多いということで、経験則から、情報を収集して料金の高い当日券で入場した方が経済合理性はあると顧客が判断しているということだ。業界人の一人である私から見れば忸怩たるものはあるが、東京の劇場観客の消費性向を分析すればそうなる。これは劇場観客からの東京の演劇界への警告とも受け取れる。

新作主義で才能をも消費してしまう東京というマーケットでは、高水準で良質な舞台を創り続けることはほぼ不可能である。自分の主宰する劇団に年二本の作品を供給して、外部から委嘱される戯曲を二、三本程度提供するのは少し名前の出た劇作家なら普通だし、そのうえでテレビの脚本を執筆するという「離れ業」まですれば、作品の力が減衰するのは当然である。観客の「期待値」に応えられない方が普通である。そのような環境で作品を提供し続けている作家の舞台を「マンネリ」と批判する向きもあるが、私は「マンネリ」でも良いと思っている。しっかりと組み立てられた構造と文体と問題意識さえ確立しているのなら、「マンネリ」であっても良いと思っている。乾いた雑巾を絞るように劣悪な作品を世に出すよりは随分とましだと思っている。

しかし、東京の観客の消費性向は、間違いなく良質な経験価値を得るために経済合理性にしたがって劇場に出かけ始めているのだ。しかも、景気の後退感があれば、可処分所得に変化はなくとも、消費行動は不活性となる。日本の、というより東京の演劇界の構造的な問題なのだが、景気の後退感に焙り出されるようにその構造への観客からの「異議申し立て」が浮かび上がってくるのだ。東京では勿論のことだが、地域の公立劇場ホールにおいても、地方へのアベノミクスの波及効果がまったく感じられない現実から、鑑賞者数の急激な落ち込みが予想される。そうでなくとも、マネジメントとマーケティングの欠如で鑑賞者開発に四苦八苦している地域の公立施設の中には経営が立ち行かなくなる劇場ホールが現われることが大いに予想される。民間の指定管理者も、事業収支から生じる欠損で減収減益を余儀なくされる事態が今後は起こりうると考えている。場合によっては「返上撤退」もあり得るのではないか、と危惧をしている。なぜ、景気動向にそれほどに左右されてしまうのか。

それは、劇場ホールが「社会的責任経営(Corporate Social Responsibility)」の意識が希薄であり、それゆえに社会的信頼と合意を獲得するための活動、すなわちブランディングを駆動させるマーケティングに対しての関心が希薄かまったくないことが指摘されるだろう。

近年の消費者は、どうせ買うならば「物語性」に拘る消費行動を選択する傾向が強い。節約志向でも賢い消費をしたいと思っているのである。エシカルビジネス(ethical business)という業態が台頭してきていることを御存知だろうか。〔ethical〕は、「倫理的」とか「道徳上の」という意味があり、エシカルビジネスとは、フェアトレードのようにアジアやアフリカ等の発展途上国の貧困から救済や環境に優しい素材や製造工程を持った商品を取り扱う社会貢献的な商行為のことである。ソーシャル・ビジネスと行っても良いだろう。賢い消費者は、そこに流れている「物語性」もあわせて購入することで、「社会貢献への参加」をするのである。

一方で、劇場ホールの経営に対しては「文化芸術の社会包摂機能」が文化政策において強調されるトレンドとなっている。したがって、劇場ホールが地域社会への普遍性を持った貢献をすることによって、経済学者の宇沢弘文先生の定義した「社会的共通資本」になることが求められている。そうなることで高いブランド力(社会的信頼)を持った、公共財としての劇場ホールになる道筋が見えて来ているのだ。そうなれば、地域住民のみならず域外の人々からの支持も獲得でき、景気動向に左右されない「社会的装置としての劇場ホール」が現在することになる。顧客は一票を投じる投票行動としてチケットを購入してくれるのである。アーラが景気動向や消費税増税に左右されない観客数の前年比増をしているのは、可児市のみならず圏域でのブランド力の高度化を実現しているからである。

これは手間を惜しまずに積み上げれば何処のホールでも具現化できることである。他の劇場ホールの職員から見れば、「えっ、そんなことまで」と驚かれるほどアーラの職員はお客様へのホスピテリティをきめ細かにやっている。手間をかけている。しかも、それはマニュアルで決められている接遇行動ではない。職員一人ひとりの人間性にそれは委ねられている。したがって、ホスピテリティは体温のあるものとなる。それだけに、一人ひとりの職員の代わりはいないのである。彼等はアーラにとってはまぎれもなく「資産」である。そういう一見些細に思える作業を積み上げることで景気に左右されない劇場経営が可能となるのである。「アーラは特別」なのだとするなら、職員に委ねられた権限が大きいことと、それによって体温のある市民対応やアーチスト対応が手間をかけて行われるDNAが存在する点だけである。