第25回 チケットの価格政策を考える。

2012年8月22日

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督  衛 紀生

チケットの料金設定はどこの施設でも頭を悩ましている問題だ。ましてや、景気動向が思わしくなく、来年度、再来年度と国民の負担が重くなる一方である昨今、家計に占める教養費は当然のことながらマイナスになる傾向にある。あわせて、これはあくまでも私見ではあるが、高い入場料を支払ってまで観たい、聴きたいというパフォーマンスの価値にいささか揺らぎがあるように感じている。危機感を持たざるを得ない状況と言ってよい。「チケットが売れない」はこのところの公立の劇場ホールの共通の悩みである。あわせて、東京の観客数も低落傾向にあると聞く。現状のブレークスルーを企図しなければならない難しい地点に立っている、という危機感を劇場人、舞台人が強く持つことが求められている。

チケット価格は近年高騰の一途をたどっている。一般的な給与所得が97年以降一貫して長期低落傾向にあるのと反比例して、である。地域の公立の劇場ホールでも9500円という価格設定をしているところもあり、民間劇場では12000円や15000円もそう珍しくはない。たとえば、彩の国さいたま芸術劇場と北九州芸術劇場と東急文化村シアターコクーンは横並びの9500円がアッパーである。以前は10000円を超える公演もあったが、現下の経済状況を考えての価格設定になってはいるようだ。

しかし、国庫補助金や公的団体からの助成金や自治体からの指定管理料などは、本来、国民市民の文化権に関わる支援という面があるはずで、民間のプロモート団体や劇場と公立施設とは入場料設定の基準は違ってなければならないだろう。それでも、10000円近い価格設定をするのは、それだけ作品の仕込費用が嵩張っているということである。あわせて、「費用重視型」の価格政策を採用している面もある。しかし、私たち公立文化施設は「興行師」ではないのである。「費用重視型」でチケット価格を決めるのは、多額の税金を投入して運営している「公立」である存立根拠に関わるのではないか。しかも、「競争重視型」でもあるために結果として民間と横並びになっているのである。

この傾向に一石を投じたのが、東京・両国にあるシアターX(カイ)の上田美沙子プロデューサーである。劇場主催事業の入場料金を一律1000円にしたのである。住友信託銀行等の若干の支援があるとはいえ、シアターXは民間の劇場である。1000円ならちょっと観てみよう、という場所で劇場はありたい、というのが上田さんのお考えだ。おっしゃる通りである。彼女の言葉でいえば「千円なら、マ、いいか」と言ってくださる「新たな人たちを、相手としたい。その人たちを『演劇』に引き寄せてみたい」となる。ほとんどロビンフッド的な決断であるが、「費用重視型」の価格設定をしている、特に公立施設に対するアンチテーゼとして私は強く支持したい。その効果は限定的であろうが、たとえ限定的であっても「千円」というチケット価格を打ち出したこと自体に意味があると私は思っている。カント風に言えば、それ自体に道徳的な価値があるということになる。

価格政策には3パターンがあると私は思っている。すでに述べた「費用重視型」と「競争重視型」はマーケティング学における定見であるが、私はそれに「慣習価格型」を加えて考えている。「費用重視型」は言うまでもなく、経費を積み上げた総額をあらかじめ見込んだ観客数で割って価格を決める方法である。「あらかじめ見込んだ観客数」は、客席稼働率で算出する。一般的には60%で算出するのが民間劇場やプロデューサーの考え方で、それを1%でも上回れば利益がでるという計算式となる。新国立劇場の基準は70%と聞いている。それに加えて「競争重視型」の価格設定も、特に都市部では採用しないわけにはいかない。競合する劇場ホールがいくらでチケットを売っているのか、競合すると思われる芸術団体の価格設定はいくらなのか、どうしてもそこからの影響は避けられない。

「慣習価格型」は、その当該エリアで通常妥当性のある価格であり、たとえば東京と名古屋と大阪、四国、九州などでは演劇はいくら、音楽でもフルオーケストラでは、アンサンブルでは、と「相場」がおおよそ決まっている。むろん、公的資金の入っている公立施設と純然たる民間施設・団体とのあいだに差異はあるのが本来的なのではあるが、それが必ずしも決定要素とならないのが日本の特徴である。公立施設も「興行師」然としているケースを多く見かける。

それに加えて重要なのが「価格弾力性」による設定価格の吟味である。「価格弾力性」とは、廉価であれば需要が大きくなって右肩上がりにチケットの販売枚数が伸びる、これを「価格弾力性」が大きいと言う。チケット価格が高いと需要が急速に減退することも同様に「大きい」という。「価格弾力性」が小さいというのは、高価であっても、廉価であっても、需要曲線に大きな変化が認められないことであり、「価格弾力性」とは需給の変動を指す経済学用語である。需要の価格弾力性の場合は、需要の変化率/価格の変化率の絶対値で表される。例えば、ある製品の価格を10%値上げしたときに、需要が5%減少したとすると、この場合の価格弾力性は0.5となる。

価格弾力性=需要の変化率(%) / 価格の変化率(%)
この値が「1」より大きいと「弾力性が大きい」と言い、「1」より小さいと「弾力性が小さい」という。価格弾力性が小さい場合は、価格を変更してもほとんど需要は変化しないが、価格弾力性が大きいと、価格が変わると需要が大きく変化する。一般的には、コメや野菜などの生活必需品は価格弾力性が小さく、宝飾品などの贅沢品は価格弾力性が大きいといわれる。舞台芸術の価格弾力性の場合、舞台芸術の一回性(それを逃すと次の機会がない)という「希少性」がそれを左右するが、概ね「1」を見安として価格設定をすることが肝要である。

SCOTの鈴木忠志氏が、来年度からの利賀フェスティバルの舞台公演の入場無料化を打ち出した。従来は一公演3000円から4000円していた一公演の入場料金を無料にするという。「公演無料化で日本の文化行政のあり方に一石を投じたい」と取材に答えたそうである。これも、前述のシアターXの上田さんと同様にロビンフッド的な、憂うべき現状への挑戦状と言える。ただ、利賀フェスの場合、無料化することでどれほどの価格弾力性があるかは疑わしい。利賀フェスに行くということは、入場料以外の交通費、宿泊費、それに掛ける時間、労力というコスト負担が大きい。入場料を無料化することで見込める需要の変化率におそらく多くは望めないのではないだろうか。もし、経営学的な思考をするなら、「入場料無料化+交通アクセスと滞在のパッケージ化」という新たな施策が必要となる。また、SCOTの舞台は、南砺市と武蔵野市が姉妹都市ということから毎年吉祥寺シアターで観ることができることになった。利賀まで出かけるコストなしで鈴木氏の芸術的営為に向かい合えるのである。

したがって、入場料無料化に大きな効果を見込もうとするならば、前述の「交通アクセスと滞在のパッケージ化」と合わせて、大多数の海外演劇ファンが、多大なコスト(旅費交通費・時間・労力)を費やしても是非観たい、と思わせる海外カンパニーを利賀フェスサイドがラインアップ出来るかが経済的成果及び地域への波及効果を担保するだろう。一方、この無料化によって、近隣の住民の鑑賞者開発の環境は大幅に整備されることは間違いない。どのような効果が生まれるのか、注目したい。

しかし、入場料の無料化には高いリスクがともなうことも確かである。チケット料金の無料化には非常にインパクトがあり強いメッセージ性がある。カント的に言えば、純粋に道徳的な意志と決断であるのだ。それだけに引き返すことはできない。これはシアターXの場合も同様である。したがって、「日本の文化行政のあり方に一石を投じたい」という鈴木氏の道徳的なメッセージのマーケティングを徹底することがどうしても必要になる。成果は其処にしかないのだから、このマーケティングに力点が置かれなければならないのは自明である。経営学的に鑑賞者開発をしたいのではなく、まさに道徳的な意味で「無料化」を打ち出したのであるなら、それが不可避となる。その成果に大いに期待したい。