第6回 コロナ禍の終息が、元に戻れることを約束はしない(上)-パンデミックを「機会」とする処方箋は、「顧客接点」を強化して「社会的信頼の構築」(human-to-human marketing)にシフトする変化が必要だ。

2021年12月16日

可児市文化創造センターala シニアアドバイザー兼まち元気そうだん室長 衛 紀生

パンデミックを機会とする「逆転の発想」で。

この原稿を書いている11月現在、日本における新型コロナウイルスによる歴史的なパンデミックは急速に減衰しつつあります。隣国の韓国や欧州でのワクチン接種の進捗にもかかわらずの感染の急拡大を鑑みると、到底このまま終息するとは私には思えません。日本の急速な抑制が、むしろ例外的であると思わざるを得ません。しかし、重傷者と死者が少なくなっているのはどうやらワクチン接種によるもので、いずれはWith Coronaが私たちの日常生活になるだろうことは、ぼんやりとですがようやく視界に入りつつあります。治療薬の開発も進んでおり、その高額な価格はいささか障壁とはなりますが、コロナ以前の生活を取り戻せる可能性は手の届くところにある、との感触はあります。ただ、それでも私はあと2、3年程度かかると思っていますし、高額な治療薬が「健康格差」を加速しないことを祈るばかりです。

ならば、劇場音楽堂と芸術団体はコロナ以前の環境を取り戻して、何の憂いなくかつての活動と経営状態に回帰できるのだろうか。、私は老婆心ながら「難しい」と思わざるを得ません。一度経験してしまった感染症への恐怖、三密、ソーシャル・ディスタンシング等への忌避感から生じた心への負荷は、環境がどのように劇的に変わったとしても、即座に負荷が消え去るとは思えないのです。人間の心は可塑性のあるもので、一度ひずみが生じたら、それをもとに戻すのには充分な時間が必要です。「ひずみ」を修正するに足りる欲求の充足体験を実感するための時間が求められます。愛好者のみならず、来館者の多くを占めるヘビーユーザーとライトユーザーと見込顧客と潜在顧客の「慣性」が回復するのをひたすら待つだけの施策では、とても経営者とは言えません。劇場経営に携わる者は、ただただひたすら待つだけに時間を費やすのでは無策のそしりは免れません。経営が破綻するのは火を見るよりも明らかです。「待つ」とは経営者にとって、「後退」と「退去」を意味することだからです。ならば、どのような「処方箋」が必要なのか。

従来からの経営マインドを大転換しなければならないのは言うまでもないことですが、コロナ禍を経験することで顧客マインドの様々な面での委縮にどのように対処するかが強く求められます。それは概ね三つの点に集約されます。一つ目は、感染病への心理的な障壁への対処であり、二つ目は経済心理的な障壁をいかに低くするかであり、三つ目は、劇場と音楽ホールでの鑑賞行為はひたすらパフォーマンスを消費するだけに終始する「興行場」であったものを、その「常識」の厚い殻を内側から破って、「新しい価値創造の場」と位置づける仕組みを設計できるか、の3点にかかっています。それらは、ともに劇場音楽堂と芸術団体が顧客とともに「新しい価値共創」に取り組み、そのプロセスを共有する仕組みの設計という従来からの経営手法からのコペルニクス的転換を意味します。その根底には、「リレーション・マーケティング」(関係づくりマーケティング)の「つながり作法」に依拠した「愛される劇場音楽堂」、「愛される劇団」、「愛されるオーケストラ」への、最新刊の『コトラーのH2Hマーケティング-人間中心マーケティングの理論と実践』で言われているFirms of Endearment(愛される企業組織)に向かわなければならないと考えます。私が可児市文化創造センターalaの館長に就任した時に掲げた「人間の家」の経営手法とは、芸術愛好者のみにではなく、すべての市民に愛される、まさしくそのようなものでした。

可処分所得の減少とデフレマインドがもたらす経営危機を回避する。

2020年9月に掲載した館長エッセイの第217回の『(承前)コロナ禍で焙り出された「不完全な社会」から「未来」を創造する-コロナ禍での制約で、さらなる顧客志向の「劇場経営」を考える』で、私は「7月だけで家計の消費支出が10.1%も減少しているのです。心理的負担のみならず経済的負担なく、「安心安全」な場所として劇場音楽堂等を仕立て直すくらいのマインドで、商圏の市民と潜在顧客の立場に立って、あらゆる仕組みを見直さなければならないと思います」との提案をしました。総務省の家計調査の経年比較での「教養娯楽費」の推移を読み込むと、何ら手を施さないままコロナ以前に何事もなかったように戻るとは、私には到底思えません。家計調査の「教養娯楽費」の、私が館長に正規職員として就任した2008年から2020年までを俯瞰すると、プラス4%台とマイナス3%台辺りで上下していますが、家計への影響にタイムラグのある金融危機のリーマンショックと東日本大震災の心理的インパクトが重なった2011年と、消費税率が上がった2014年に、それぞれマイナス5.4%、マイナス4.3%と落ち込んでいます。

そして、コロナ禍となった2020年は、何と16.7%の下落です。教養娯楽耐久財が19.5%、15.2%と推移しています。教養娯楽耐久財とは、ゲーム機器をはじめテレビ、携帯型音楽・映像用機器、ビデオレコーダー・プレイヤー、パソコン、カメラ、 楽器、書斎・学習用机等を指します。在宅勤務の勧奨や引籠り消費による特徴が顕著に出ています。コロナ禍の引籠り消費によって、かねてから言われていた文化芸術消費の競合財の存在が図らずも明らかになっています。また、「教養娯楽サービス」の支出に限ると、マイナス29.2%で、同費目に含まれている「宿泊費」のマイナス42.1%に次いで、「その他の教養娯楽サービス」は14.7%の急激な落ち込みとなっています。コロナ禍の拡大で劇場・文化芸術サービスが不要不急とされたことには忸怩たるものはありますが、消費性向というものは当事者の心理的な側面が強く反映されるものであり、鑑賞欲求は「損失回避性」と「社会的信頼感指数」のあいだでの国民市民の揺らぎ、せめぎあいがあり、その結果として、具体的な消費行動として現れると考えられます。

したがって、万全で周到な感染対策さえ施していれば何事もなかったように以前の状態に戻れるとは、私には到底思えません。その「周到な感染対策」は大前提となる所与の条件でしかありません。また、コロナ禍によって新自由主義経済社会の富の偏在と貧困の拡大が白日の下に晒されて、自民党総裁選以来、「再分配」という経済社会政策がクローズアップされました。アベノミクス下での金融機関系シンクタンクの経済分析に、この原稿を書くにあたってつぶさに当たりましたが、おおよそが「景気拡大と比較して個人消費の回復が鈍いことの背景として可処分所得の減少や消費性向の低下」が挙げられ、その消費性向が「若年世帯(~39歳)では老後に備えるための貯蓄動機が高まっており、消費に対する主な下押し要因となって」いると書かれて、中年世帯(40~59歳)では、貯蓄動機の高まりに加え、所得の増加が主に非正規社員の雇用の不安定・賃金減によってもたらされていたことが消費低迷の背景にあり、「非正規社員の所得は一時的かつ不確実なものと認識されており、消費の増加につながりにくい」というものでした。この分析結果が、コロナ後の劇場及び文化芸術サービスに与える影響は決して小さくはないと私は考えています。2018年を境にして「景気の谷」に入っているとのエコノミストの分析があり、またコロナ禍による「景気後退」と、物流網の機能不全と原油高、それに追い打ちをかけるような為替相場の「円安傾向」から来る「物価上昇」が重なって、スタグフレーションの社会危機に瀕しているとさえ考えています。

上記の可処分所得のトレンドから推察するならば、中長期的には、劇場やホールでの「鑑賞行為」が日本における消費性向のトレンドの中で優先順位の低い、有力な選択肢とはなりにくい環境がじわじわと形成されてしまうのでは、と私は強い危機感を持ちます。ならば、いかなる芸術経営策を打つべきなのか。私は、前述の「信頼感指数」の高度化による「愛される劇場音楽堂・芸術団体」への存在意義(プレゼンス)の変化と、ヘビーユーザーたる愛好者層、データベースで捕捉できるライトユーザー層等の顕在顧客の「顧客維持」と、それらを含めて、見込顧客、潜在顧客の感じる「損失回避性」の低減化に傾注すべきと考えています。すなわち、「回復のためのアーツマーケティング」です。「回復のための新たな関係づくりへのシフトチェンジ」です。

マーケティング思考で経営課題を解くロジカル・シンキングを武器として。

3月に館長を退任してから、これからの可児市文化創造センターalaの舵取りは新館長の篭橋義朗にすべてを委ねています。それに足る信頼を彼にはしているので何ら心配はしていないのですが、どうしても人間は易きに流れてしまう習い性を持っているので、新規採用の職員が5名もいることもあって、2007年の大学との兼務での館長就任で翌年からの経営の仕組みを構築するにあたって基本的ロジック・シンキングに採ってきた「マーケティング思考」を、新職員とあわせて従来からの職員にも再学習してもらおうと企図しました。5月からのマネジメント・ゼミでは、しばらくは「マーケティング」のみを取り上げるようにプランニングしました。社会包摂型劇場経営を起点としたCSR(企業組織の社会貢献型マーケティング)から、市民の皆さんと共に価値を共創して、そのプロセスを共有するCSV(共有価値創造型マーケティング)へと歩を進めた劇場経営の進化と市民とのコミットメントに沿った事業の具現化を軸に進めてきた劇場経営を振り返って、全職員と来し方と行く方を考えて、劇場経営の将来像を共有しようと企図していました。その矢先に、東京の感染者数が4000人を超えて5000に迫って、月2回一泊とは言え、さすがに可児に入ることは憚れる事態となり、8月から10月の3ケ月が可児不在となりました。「市民に開かれている劇場」として一番怖いのは「風評被害」です。それだけは避けなければ、市民でにぎわう可児市文化創造センターalaの「強み」が急速に失われると危惧したのです。長い時間を費やして、せっかく市民と共有している「価値」がリセットされてしまうことを、心の底から恐れました。

ゼミの構想としては、夏頃からは、セオドア・レビットの、マーケティング史上の歴史的三大論文である自らの事業をどのように定義すべきかの『マーケティング近視眼』、文化芸術のような無形性のサービスをどのように「有形化」するかを説いて、「コダックは工場ではフイルムをつくっているが売っているのは色鮮やかな思い出と、それを見る喜び」という名言に象徴される『無形性のマーケティング』、「マーケティングの本質とは、顧客への『誓約』である」と説いて、顧客はその「誓約」を購入しているのだから、それを反故にすることは顧客の「損失回避性」を裏切って、事業体に取り返しのつかない大きな損失を招くという『マーケティング針路』に入って、年度内には終わるつもりでしました。想定外の感染拡大で、基本的に東京の自宅に引き籠もっていた8月から10月の3か月間で、私は、たとえWith Coronaが日常となったとしても日本人の消費性向と日常の生活姿勢は、決してコロナ以前には戻らないのではと、ぼんやりと考え始めていました。さらに加えて、コロナ禍で白日の下に晒されることになった「不都合な真実=経済成長優先の歪んだ社会意識が覆い隠していた多様な貧困」にも向き合うことが、多額の税金が投入される「社会機関としての劇場音楽堂」の公共的な責務ではないかとの確信を持つようになっていました。コロナ禍にあっては、納税者であるエンド・クライアントへのコミットメントこそ実現に尽力すべきであるとの軸が定まって行くのを感じていました。

そのように考えを巡らせていた折に、4月と5月に可児の自宅で引越し荷物のパッキングをしていて偶然出てきた、日経新聞の切り抜きを取り出して読み返しました。それは、「新しい経済学」と題されたコラムで、16字×60行の経済に特化した小さな記事の切り抜きで、1996年に6回にわたって掲載された「リレーションシップ・マーケティング」と題されたものです。のちに私淑して知己を得ることになり、多くのことを学ばせていただいた慶応義塾大学名誉教授の井関利明先生によるものです。井関先生はフィリップコトラーの『ソーシャル・マーケティング』、ドン・ペパーズとマーサ・ロジャーズの『ONE to ONEマーケティング』の訳者であると一読者としては知ってはいましたが、「マーケティング=関係づくり」という井関先生の明晰なコンセプト・ワークに、私は目から鱗状態となりました。「関係づくり」の一言で、混乱していたマーケティングの来し方を一挙に止揚して、将来的な「人間中心のマーケティング」への移行を予見させるパースペクティブを含意しているのには、いま読み返すとただただ脱帽でした。私の思考がマーケティング志向となった契機をつくってくれたコラムであり、当時は気付かなかった将来のマーケティングの方向性を含意している井関先生の筆にはリスペクトしかありません。

マーケティングには、「製品中心のマーケティング1.0」「顧客中心のマーケティング2.0」「人間中心のマーケティング3.0」という進化の歴史があります。コトラーはマーケティング3.0を提唱する際に「Marketing the world better」 と「売れる環境、すなわち健全な社会環境を整える」ことが事業体の使命であり、それが事業体経営の持続継続性を担保すると必須条件と説いています。70年代から80年代にかけて、4P(Product(製品)、Price(価格)、Promotion(プロモーション)、Place(流通≒チャネル))でマーケティング・ミックスを考える「製品志向のマーケティング」は、多様化する価値観によるニーズとウォンツにマッチせず時代遅れとなっていました。そして、多くのマーケッターたちには、これからは「顧客志向」だとの共通認識はありましたが、肝心な「顧客」をどのように捉えるかで「百術千慮」というか「百花繚乱」というか多種多様なコンセプトが提案されていて、長い時間かなりの混乱をきたしていました。その頃に市場調査マーケティング・リサーチが盛んに用いられましたが、私はその調査結果は顧客の何も明らかにしないと当初から考えていました。当然のことですが、「顧客」を一つの塊として捉えるマス・マーケティングは、人々の価値観と生活の多様化が大きく変化して、その有効性を失っていきました。

「関係づくり」こそが、困難な課題を止揚する変革のマーケティング。

「顧客」は経済学の措定するホモ・エコノミクスのように自己利益の最大化で行動する単純極まりない存在ではありません。コトラーでさえ消費者は移り気な「浮気者」と書いています。その捉え方によって、次々に「〇〇マーケティング」という語彙が氾濫するようになります。日経新聞の井関先生のコラムに例示されているだけでも、「ミクロ・カスタマノイズド」「ワン・ツー・ワン」「インタラクティブ」「アフター」「ラップアラウンド」「ゲリラ」「マキシ」「データベース」「ネットワーク」「ネオ」「ポストモダン」と、いまではまったく顧みられなくなっていて、思い出すのさえも困難なコンセプト・ワークが多く、70年代から80年代の「大衆から分衆」(博報堂生活総合研究所1985年)への多様化と、さらに細分化した「個客化」まで言われる中で、いかに「製品志向」を脱却して「顧客」の心に響くメッセージ届けるかを、試行錯誤しながら、混乱を極めていたかが分かります。

その混乱は、B to C(Business to Customer)、B to B(企業組織間取引)で捉える従来からのマーケティングの「常識的なフレームワーク」から抜け出せず、それが柔軟な思考を妨げていたことから来ていたことは、いまになれば解かります。その頑迷な「常識」が、可児市文化創造センターalaが採用していて、経営戦略研究のマイケル・ポーターと研究員のマイク・クラマーが社会貢献型マーケティング(CSR)を批判して提唱した共有価値創造(CSV)マーケティングや、フィリップ・コトラーの提唱するマーケティング4.0における「B with C」の共創価値経営に容易にたどりつけなかった妨げとなっていて、70年代から80年代のマーケティングに混迷と停滞をもたらしていました。

「マーケティング=関係づくり」がストンと腑に落ちたのには、むろんそれまで顧客志向の業界の合意はあったものの右往左往していた顧客定義を、平易な言葉で喝破した井関先生の見識には脱帽しましたが、と同時に今となって思うのは、前年の阪神淡路大震災を機に被災地で「神戸シアターワークス」の活動を始めていて、その結成マニフェストで発起人代表として、再開発計画でまちづくりを始めようとしていた神戸市の計画に対して「《まち》とは人と人の絆の集積であることを、いま私たちは確信をもって言えます。それは『生きる権利』の最初の一歩だと、私たちは考えています。しかし、それを求めることが、こんなに困難な社会だったとは……」という口惜しい現状認識から、平易な「関係づくり」という言葉が刺さったのではないかと、いまにして思えば感じます。どのような災害でも、決して壊れないのが「つながり」だとの実感を震災の時に強く印象付けられました。そして、「どんな建物よりも、どんな道路よりも、何があっても壊れないのが『人間と人間の絆』であることを、そして多くの人々が、子どもたちが、いま其れを求めていることを、私たちは知っています」という切実な現実を抱え込んでのシアターワークスの活動だっただけに、「つながり=関係づくり=マーケティング」は、深いところで「生きる意味」として、震災時に私が受け取ったからではないかと思います。それは、あるいはRelationというよりもConnectionと言うべき強さのある「つながり」なのも知れませんが。そして、この井関先生の本当に短い文章の襞から、マーケティングが販売促進の生産者主権から顧客志向へ、そして人間一人ひとりの幸福へ向かう社会的価値創造へ向かう意志を文章から感じたのは、「社会学博士としての井関利明」先生の素顔が行間から垣間見えたからだと思っています。

「直近の公演の『動員』や『集客』には熱心に取り組んできたが、進化する仕組みの中に顧客を位置づける『創客』は手付かずのままではなかったか。『創客』の基点である顧客の『経験価値』にどれだけの配慮をしてきただろうか。営業(selling)には熱心に取り組んできたが、関係づくりや環境づくり(marketing)には一顧すらしてこなかったのではないか」と、かつて私自身も「常識の囚人」であったことを自戒し自省を込めて書いています。(劇場及び芸術団体経営を)生地から「仕立て直すくらいのマインドで、商圏の市民と潜在顧客の立場に立って、あらゆる仕組みを見直さなければならない」と先述しましたが、新しく変異したのオミクロン株が今後どのように拡大するかは予断を許しませんが、その変異株の出現を織り込んだうえでも、可児市文化創造センターalaでの組織と職員の意識改革には少なく見ても3年強はかかったという経験値から、With Coronaに向けての経営マインドのアップデートはいま着手しても、むしろ遅いくらいだと私は考えています。そして、まず着手すべきはヘビーユーザーである継続客への「顧客維持」の制度設計であり、次いで「損失回避性」への対処と「社会的信頼感指数」の高度化であるブランディング戦略ではないかと考えています。

パンデミックを機会とする「処方箋」とは。

「損失回避性」というのは、利得を求めるよりも損失を過大に評価する人間の心理傾向で、支払った金額の3倍から5倍に損失を感じてしまうと言われています。「買おうかな、でも止めておいた方が安全かな」という消費行動においての揺らぎと、それによって購入を思い止まってしまう可能性のことを指します。仮に5000円のチケットを購入してその舞台や演奏が芳しくなかった場合に、15000円~25000円の遺失価値を感じて消費動機を押しとどめうる「リスク回避」の心理的障壁です。加えて、今日的にはコロナ禍経験という特殊性もあります。飲食店や居酒屋の人手不足は感染リスクが忌避されていることが原因とされているように、「感染リスクの心理的負荷」との葛藤も生じているのですから、with coronaにおいて、この「損失回避性」を軽視することは出来ません。手に取って品質を確認できない、劇場やホール内でのパフォーマンスは「生産と消費の同時性」という商品特性のある無形財であり、平時であっても「品質保証」は絶対に必要ですし、お客様は「良いものを提供するという誓約」を購入しているのですから、With Corona下ではより顧客のリスク回避の気持ちが相乗的に強くなるのは自明なのではないでしょうか。

その回避しようとする心の動きを思いとどまらせる一つの要素であり、その大きな「揺らぎ」を押し戻す力となるのが「社会的信頼感指数」の高度化です。したがって、言うまでもなく「戦略的ブランディング」の仕組みの設計が肝要なのです。「戦略的ブランディング」では、芸術的評価と社会的評価のマッチングの最適解を、グランドデザインとして描き切る経営能力が強く求められます。私がこの10数年間、たびたび言い続けてきた「外部環境と社会環境」のブリンク・イヤーでの激しい変化に取り残されないマネジメントとは、まさしくこのことを指しています。ヘビーユーザーである愛好家だけに愛される劇場音楽堂及び芸術団体では、「公的資金による戦略的投資」に値するものとしては欠格とされる急激な「価値変化」が、この約20年間に確実に起きていたのです。それが、コロナ禍という突発的な社会危機によって、その混乱の足元で焙り出されたと言っても良いでしょう。ブランディングとは、まぎれもなく「顧客接点の強化」であり、社会的な信頼というブランド強化へのアップロードです。社会的ブランドという無形の経営資本の強化と増大です。

2001年の「文化芸術振興基本法」の制定を受けて2002年12月に閣議決定された「文化芸術振興のための第一次基本方針」(以降「第一次基本方針」)で、「文化芸術は、芸術家や文化芸術団体、また、一部の愛好者だけのものではなく、すべての国民が真にゆとりと潤いの実感できる心豊かな生活を実現していく上で不可欠なものであり、この意味において、文化芸術は国民全体の社会的財産である」(傍線筆者)と、文化芸術は一部の愛好者の独占物ではなく、すべての国民にとっての「社会的財産」となるべきと規定しています。この「国民一人ひとりの社会的財産」という文言は、そのあとの基本方針でも何回も繰り返し書き込まれます。あわせて「文化は、他者に共感する心を通じて、人と人とを結び付け、相互に理解し、尊重し合う土壌を提供するものであり、人間が協働し、共生する社会の基盤となるものである」と共生社会を育む重要な公共政策として、その双方の文言が「第三次基本方針」の「文化芸術の社会包摂機能の政策的認知」と、「従来、社会的費用として捉える向きもあった文化芸術への公的支援に関する考え方を転換し、社会的必要性に基づく戦略的な投資」という文化政策のコペルニクス的転換へと連なって行っているのです。これは文化政策の「保護政策から社会投資的政策」への歴史的なコペルニクス的大転換です。この流れによって、「芸術的評価」のみでは公共政策として必要条件は満たすものの、十分条件としては成立せず、公共的社会的アウトカムを併せ持つマッチング最適解の芸術経営(Arts Management)が強く求められるという文化芸術と劇場音楽堂等の「時代環境の転換と、それに伴なう歴史的変化」が起きたのです。

マーケットを自身の手で狭隘にしてきた文化芸術の罠。

ここまで見てきたように、芸術は社会を超越して存在するものではありません。存在出来ようはずもないのです。数千人動員したという「市場価値」も大切なのですが、それのみに囚われて、私たちは文化芸術と劇場音楽堂の本質的機能価値である「社会的公共的価値」の存在と機能を見失ってしまっていたのではないでしょうか。あるいは軽視しているのではないだろうか。その「芸術性」のみを特別視する偏向思考が、現下のコロナ禍で試されているのだと私は思っています。「文化芸術は不要不急」との社会の空気に対しては、ほとんどの関係者は憤慨しましたが、「市場価値」のみを唯一の評価尺度と受け容れている以上、「人命第一」の空気に抗う価値転換のロジックは業界内部から起こってきませんでした。せいぜい関係省庁と議連への請願行動として顕在化するのみでした。関係者の「生活権」を守ることを主張するのは大事な行動ですが、緊急事態での文化芸術の「社会的公共的価値」を主張するまでには至っていなかったと、私は総括しています。「社会的信頼感指数」に関わる発信が、相も変わらず前世紀的な「心のゆとり」や「社会の創造性」という抽象的な言辞や概念に終始していたのには、いささか絶望しました。この文化芸術の関係者が囚われて、時代環境の変化に付いて行けていない「常識」については、後述することにします。

社会的ブランドという無形の経営資本の強化と増大という「変化」が市場価値にもたらすのは「社会的信頼感指数」の高度化とともに、愛好者に限定されてきた市場規模の飛躍的な拡大です。文化芸術の顧客に関する様々な統計数値はありますが、ここで言う「愛好者」とは、団体鑑賞やツアーに組み込まれた芸術鑑賞経験を除いた、年に数回以上は生活習慣として劇場やホールや美術館に通う、いわばヘビーユーザーとライトユーザーを指します。この数値には諸説あるとは思います。2%~3%という説もあり、また4%~4.5%とも言われています。仮に高い数値である後者で推算すると、文化芸術の愛好者市場規模はおおよそ500万~562万ということになります。しかし、「第三次基本方針」に沿うかたちで、たとえば非認知能力を涵養する目的で文化芸術を活用する就学前幼児教育を実施したり、発達障害とされている児童生徒の承認欲求を充たすために文化芸術による他者との「つながり」づくりをしたり、また放置すると孤立しがちな高齢者対象の「つながり」づくりの文化芸術ワークショップや特別養護老人ホームでの認知症予防のための「演劇情動療法」を定期的に実施開催すれば、市場規模はおよそ1億2500万となって、劇場音楽堂と文化芸術が「国民一人ひとりの社会的財産」となるのです。

同時にそれが、文化芸術の「鑑賞者開発」という二次的なアウトカムも期待できるようになるのです。2007年から2014年の8年間で観客数を3.78倍、パッケージチケット購入者を8.75倍にした可児市文化創造センターalaの経営実績が、その可能性の大きさを物語っています。劇場法の「大臣指針」にある「実演芸術の公演等の鑑賞機会の提供にとどまらず、利用者が参加する取組を行うこと。 その際には、利用者の実演芸術に対する関心及び実演芸術に関する活動に取り組む意欲を引き出し高めるよう工夫すること」と「利用者等に対し、実演芸術に親しむ機会を広く提供するため、積極的に実演芸術の公演等の鑑賞機会を設けるとともに、教育機関、福祉施設、医療機関等の関係機関と連携・協力しつつ、年齢や障害の有無等にかかわらず利用者等の社会参加の機会を拡充する観点からの様々な取組を進めること」(傍線筆者)を誠実に事業化して実施すれば、文化芸術の公共的社会的役割への「国民的合意」へと大きく踏み出すことになり、「社会的信頼感指数」の高度化、すなわち当該劇場音楽堂及び芸術団体の戦略的ブランディングによるプレゼンスが確固たるものとなります。

いささか楽観的に考えれば、市場の飛躍的な拡大が、文化芸術振興のための基本方針で繰り返し述べられてきた「国民一人ひとりの社会的財産」であることに実効的にアプローチできるわけです。、この戦略的マーケティング」は、井関先生もコラムで触れているように、フィリップ・コトラーが最新刊の『コトラーのH2Hマーケティング-人間中心マーケティングの理論と実践』で触れている顧客の「カスタマー・ジャーニー」、すなわち推奨者、代弁者、支持者、支援者へとの「顧客進化」と、それらの人々のコミュニティの創出を、顧客相互の関係の中で「新たな価値」として生み出していきます。「愛される劇場」と「愛される芸術団体」(Firms of Endearment)は、そのB with Cによる「価値の共創と共有」によるコミュニティの創出によってもたらされるのです。これは、マイケル・ポーターとマーク・クラマーによって、CSR(社会貢献型マーケティング)を批判して提唱されたCSV(共創価値創造)によるマーケティングとも重なる考え方と言えます。それは偶然の産物ではなく、本著の冒頭の「はじめに」の中でコトラーはマイケル・ポーターとの理論的な交流をうかがわせる謝辞を述べています。(上)の最後に、フィリップ・コトラーが最新刊である『コトラーのH2Hマーケティング-人間中心マーケティングの理論と実践』の冒頭で危機感を抱え込んで書いているフレーズを挙げて(下)へのつなぎとします。

(human to human marketingによって)「マーケティングは、人々の生活に多大な影響を及ぼす長期的な問題を解決し、価値を創出するという中核に立ち返る必要がある。」 

(下へ続く)

連載随筆 言の葉のしずく。

可児市文化創造センターala シニアアドバイザー兼まち元気そうだん室長 衛 紀生

帰り新参の下北沢生活は新発見ばかり。

生まれ育った下北沢での生活が始まってから半年が経ちました。昭和4年に両親が建てた築87年の木造2階建ての住まいを壊して、鉄筋3階建ての建物にして5年目になりました。とは言え、竣工から4年間はほぼ可児での生活でしたので、劇場の忙しい時季である秋に「新しい住まい」にいることは初めての経験で、陽光のある日には暖房なしで室温は24度にもなり、部屋は照明を点けずに本が読めます。設計段階で南側の開口部を大きくとって、陽光が部屋いっぱいに射し込むようにとリビングダイニングの天井を高くすることにこだわりました。軒を接した古い町並みの家で育ったことで、陽光の射し込む明るい家へのあこがれは人一倍あったからです。そのことを妻に告げると「あなたは初めての季節だから」とケラケラと笑う。そりゃそうだ。彼女はこの住まいですでに5年間生活しているのだから。新参者としては、新しい発見に驚くことばかりです。

不在にしている間にまちは随分とおもむきを変えました。そもそも下北沢の駅が、小田急線の地下化でとても複雑な構造になって、私のような「先住民」にとっては、むしろ不便になった感があります。これが「再開発」なのでしょうが、井の頭線で3分ほどの渋谷の再開発なぞは街自体がまったく違ったものに造りかえられています。人間には「景観の記憶」というものがあって、そのすべてを消し去って新しい町並みに差し替えることは、利便性は良くなったとしても、人間にとって「やさしくない」再開発なのではないでしょうか。私は「利便性」よりも、まちの「体温」や「温もり」の方が大事です。小劇場演劇のメッカとなったザ・スズナリや本多劇場が次々にオープンした80年代初頭の頃は、商店街も飲食店も家族や親族経営の店舗が少なくなく、たとえ貸店舗であったとしても家賃は今ほどは値も張っていなかったせいか、息の長い店が多くありました。その頃の下北沢にはまだ魚屋や八百屋、それに小さな花屋が商店街ごとにありました。それに、その町の文化度をあらわす書店も古本屋もたくさんありました。

コロナ禍のただなかで帰ってきた下北沢は、貸店舗を借りて小さな居酒屋や飲食店を開業した若い人たちの店が多くなり、そのカウンターだけの小さな店の代替わりが激しくて、飲食店の厳しい状況が窺い知れます。先日、自宅から1分足らずのところにある焼肉屋に、1年9か月ぶりの外食に夫婦で出掛けました。私が可児に居住している間にできた店で、若い二人で調理とホールを分担している10人弱で満席になる小さな店なのですが、「厚切りタン」とねぎの短冊をタンで巻いた「ねぎタン塩」が美味しいのですが、てっきり廃業していると思ったら、客は私たちだけでしたが、コロナ前と同じ美味しい肉を食べさせてくれました。いつもはカードで支払うのですが、若い二人の経営だけに現金払いで、とても満足できる食事と時間を過ごしました。妻の厳しい行動制限で、国際共同製作で英国・リーズ市に滞在して以来の外食でした。

妻は普通にコンビニでも購入できる商品でも、最近はアマゾンで注文することが多くなっています。感染機会を削ぐだけ削いでいる印象です。私も可児では読みたい書籍はすべてアマゾンで注文していたのですが、かつて下北沢に古本屋が数軒あった頃は、まちに出て古書店めぐりをするのが仕事の合間の息抜きでした。読みたい本があれば、新宿の紀伊国屋や渋谷の紀伊国屋、大盛堂に出掛けて、お目当ての書籍を買った後も全フロアを歩いて「好奇心」を奮い立たせるのを楽しんでいました。そういう「知の冒険」がインターネットの普及でなくなってしまったのも淋しいことです。とは言っても、ウエブ連載している『「人間の家」の劇場経営をナビゲートする』で取り上げているフィリップ・コトラーの『コトラーのH2Hマーケティング-人間中心マーケティングの理論と実践』との出会いには興奮しました。

館長になって4年目あたりから追求してきたマイケル・ポーターの経営理論と、コトラーのマーケティングへの危機感からの人間を中心に据える経営志向が出会い、そして融合したことに驚き、そして喜びを感じたからです。「人間中心」「マーケティング」「世界を変える」で検索をかけての、まさしく「遭遇」と呼べる一冊の書籍との出会いだったからです。それはそれで「知の冒険」だったと思っています。6月に東京に戻ってから、11冊の書籍を購入したが、今回ほど下北沢での引き籠り生活の時間が豊かに感じていることはありませんでした。