第65回 あたたかい劇場 「人間の家」をめざして。

2009年11月28日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

可児の周囲の里山が紅葉に染まる季節になりました。空気がシンと澄み渡る季節です。鳩吹山に沈む夕陽が、里山の起伏を影絵のように輪郭を鮮やかにして、本当に美しい夕景の季節でもあります。可児にきて、三回目の晩秋です。私が長いあいだ構想して「こんなの、あればいいな」と思ってきた地域劇場を、ここ可児に作り上げようと走ってきた二年半の時間でした。

地域拠点契約を結んでいる劇団文学座の『定年ゴジラ』(演出 西川信廣)の、二日間2ステージが完売しました。問い合わせくださる市民の皆さんをお断りすることは心苦しいことですが、昨年のala Collection シリーズ『向日葵の柩』を別として、演劇の買い公演では開館七年目にして初めてのソウルドアウトです。綿密なマーケティングの成果であり、職員たちの努力と労苦の結果だと思っています。

その『定年ゴジラ』に出演している皆さんから、アーラの温かい雰囲気、観客の反応の屈託のない穏やかさ、アフタートークでの私と市民の皆さんとの親しさに、驚きの言葉を沢山いただきました。山崎さん役の坂口芳貞さんは「すごい、すごい」を連発しておられました。江藤さん役の川辺久造さんが「この周りにだってたくさん劇場はあるだろうし、全国には山ほどあるのに、なんでアーラみたいにならないのかな」と言ってくださいました。外部の人たちからこういう声をいただくと、アーラが今どのくらいのところに来ているのかが分かります。私の理想の地域劇場である「人間の家」を実現する旅の航路が、正しい方向を向いているのか、海図のどの辺りをいま航行しているのかを知らされます。今朝の目覚めは、今日の天気のように、爽やかでした。いつもいつも、「間違ってはいないか」、「海図を引き直さなければならないだろうか」と、つきまとう不安の中で考えあぐねている私にとって、皆さんからの言葉は励みになりますし、少なくとも私たちの二年半の仕事に60点の合格点をいただけた気分になります。

私は、演劇評論家としての仕事を休止して、地域に出てから二十年になります。そのあいだに、国内はもちろんのこと、多くの国の地域劇場を見てきました。そこでどのような活動がなされているのかも、つぶさに調査してきました。「これだ!」という劇場はきわめて少なかったのですが、なんと言っても「凄い、かなわない」と驚嘆したのが英国北部・リーズ市のウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)でした。いまからちょうど十年前の話です。スペインのバルセロナで開催された文化経済学会世界大会の帰りに、WYPの経営監督(当時)マギー・サクソン女史の誘いに乗って軽い気持ちでリーズを訪ねたのが最初でした。多くの地域劇場を見てきた私の目にも、WYPの地域社会に向けた活動の多様性とその対象範囲の広さ、ロンドンのウエストエンドにトランスファしたり、ナショナルシアターに招待されたり、国内ツアーで買い上げられたりする製作作品の質の高さ、多くの市民でにぎわっている劇場内部など、どれをとっても驚きに値する劇場でした。その数年前に、ある連載に書きためていたものの一部をまとめ上梓した『芸術文化行政と地域社会』の中で構想した「レジデント・シアター(地域滞在型劇場)」とそっくりそのままの地域劇場が北部英国に実在したことへの驚きもありました。それから四回、今年を入れて五回WYPを訪ねました。WYPからは三回、私の理事長をしているNPO法人で、マネジメントとマーケティングとコミュニティ・サービスの人材を招いて、東京、札幌、金沢で、セミナーやシンポジウムを開催しました。その過程で、「日本にもWYPのような劇場ができたら素晴らしいのに」と、当時としては夢のようなことを考えていました。私が長年提唱してきた「創客」という言葉も、そのプロセスで生まれたものです。「集客」ではなく、「創客」、お客さまを不断に創り続けるマーケティングをすることが、舞台芸術があまり身近に感じられない日本の劇場経営の大事な手法だということです。

いま、私はアーラでそれを実践する機会に恵まれました。まだ道半ばですが、進路は間違っていないようです。すべての市民にとって、アーラが羽根を休める、くつろぎと癒しの場所であるようにとの思いで、この二年半の時間のすべてを注ぎこんできました。「芸術の殿堂」はいらない、地域には「人間の家」があればよい、地域社会を心豊かな場とするために機能する社会機関としてのアーラが作れればよい、と考え続けてきました。何時来ても、心くつろげる、ふーっと息のつける、あたたかい空気に包まれた、市民のよりどころとしてのアーラが、私の理想とする地域劇場のあり方です。そこに一歩でも、いや半歩でも近づいて、私は次の館長にアーラのDNAを引き継げればと思っています。

可児は四季のはっきりとした、空の広いまちです。人口10万2千人の人間サイズのまちです。アーラは、そういうまちの、温かみのあふれる「人間の家」でありたい、可児を誰もが住みたいまち、行きたいまち、行ってみたいまちにするために、私は持てるすべてを注ぎ込むつもりでいます。