第53回 国の将来への不安―若年失業者の増加に危機感を持つ。

2009年8月2日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生


厚生労働省から6月の完全失業率が発表されました。5.4%と過去最悪に迫る、と報道されています。さらに、解雇せずに一時休業や職業訓練などにして雇用を維持するために国が給付している雇用調整助成金による「隠れ失業者」をカウントすると8.8%にもなって、米国の9.5%に次ぐ高水準、となっている。ここで言う失業者は求職活動をしている人の数のみをカウントしているわけで、求職をあきらめて活動していない人を加算すると、「8.8%」という数字は10%を軽く超えるだろうと言われています。10人に1人が失業していて、年収が100万円台の人が約1000万人、就業者の15%が生活保護より低い額の賃金で生活しているわけで、これが我が国の現状なのです。

厚生労働省から発表された統計表を見て、私が一番危機感を持つのは、15歳?24歳までの若年失業者の多さです。8・7%と飛びぬけて高い数値なのです。前回からの増加も1.7%と25歳-34歳の区分と並んでの高率を示しています。これに「隠れ失業者」と「求職放棄失業者」を加えたら、おそらく15%を超える若者が未就労なのではないでしょうか。これは大変な数値です。近い将来の国のかたちが音をたてて崩れてしまう惨状と言えます。

さらに先日東京大学の大学経営・政策研究センターから公表された統計には、若い世代の生きにくさが浮き彫りにされていました。親の所得格差が子どもの進学格差に直結していることが分かったのです。高校生の4年制大学への進学率は、親の所得が200万円以下だと28.2%なのに対して、800万円-1000万円だと54.8%、1200万円以上になると62.8%になり、所得格差が明らかに進学格差に直結していることが分りました。また、国公立大学ではあまり差はないのですが、私立大学になると200万円未満で17.6%、600万円-800万円で36.8%、1200万円以上になると50.5%と教育格差が歴然となります。親の所得が低いと高卒ですぐに就職しなければならない数値も示されました。200万円未満の家庭では59%が就職するのに対して、1200万円以上の家庭の子どもの就職率はわずかに5.4%に過ぎないのです。

この二つの統計を重ね合わせると、今日が若者たちにとって受難の時代であることがくっきりと浮かび上がってきます。同時に、それは社会不安と社会危機の時代でもあり、長期的には将来の日本社会の崩壊の危機でもあると私は考えます。彼らの身になって考えてみてください。自分のあずかり知らぬところで教育格差にさらされ、就職もままならず、たとえ働くことができても不安定な派遣労働者でしかないとなれば、自暴自棄になっても致し方ないと私は思ってしまいます。「自分は社会から歓迎されていない、自分は社会から必要とされていない」と彼らが感じたとしても、致し方ないのではないでしようか。必然的に彼らは社会へのストレスを鬱積させていくでしょう。反社会的な行動に走ることは十分に考えられます。

現在の日本と同じような状況は、「ニート」という言葉を生みだした、およそ10年前のイギリスにもありました。サッチャー政権によってまちに多く失業者があふれていたのですが、とりわけて若年労働者の失業率が13・1%と危機的な数値を示していました。またイギリスは、インドのカースト制度にも例えられるほどの厳格な階級社会であり、それとの相乗的に膨らんだ社会への不満は、まさに危機と言えるものでした。当時のブレア首相の労働党政権は、それを将来的な社会不安に直結すると判断して「若年失業者対策(New Deal for Young People=NDYP)」という政策を実施しました。「福祉から仕事へ(Welfare to Work)」という政策理念に則った施策です。その結果、97年に13・1%だった若年失業者率が、05年には11.1%に減少し、また失業期間半年以上の長期失業者率が37.4%から28.9%になりました。この若年層の長期失業者が減ったことは、社会不安を回避するという意味で大きな成果と言えます。

この時期に、「自分は社会から歓迎されていない、自分は社会から必要とされていない」という彼らの鬱積した思いを解放するために、行政関係者と教育関係者と芸術家(コミュニティ・アーツ・ワーカー)の三者が一体となって行ったのが、若年失業者を集めて演劇やミュージカルを長期間のリハーサルで創造製作するプログラムです。俳優だけではなく、道具をつくる者、衣装を縫う者、広報宣伝する者、チケットを管理する者等々、それぞれのキャラクターによってそれぞれに仕事を割り振られて、一本の舞台を創っていく。その作業のプロセスで、「他者を必要とし、他者に必要とされる」関係づくりをして行くのです。そのプロセスは、各々の「こころ」に関わることであり、生き方に新しいインパクトを与えるものでした。ここでも芸術文化が社会的なツールとして生かされたのです。スコットランドのグラスゴーでは、このプログラムからプロの俳優が生まれています。

また、03年の「若年失業者対策」では、「音楽家になるためのプログラム」が加えられました。音楽を志す若年失業者に機会を与えようというプログラムで、年間450万ポンド(当時のレートで約10億円)の予算が割り当てられました。楽器奏者、ポーカリスト、作曲家、DJなどの分野でアドバイザーがカウンセリングをして音楽業界の人間に会える機会を提供し、彼らに客観的な評価や助言が与えられます。専門的な教育の機会も用意されていますが、プロの音楽家になるのは難しいと判断されれば、アドバイザーの協力を得ながら別の職業を探すことになる、というものです。

芸術文化は万能ではありません。制度や政策を変える力はありませんが、制度や政策によって生じた歪みを矯正する力はあります。それは芸術文化やそれを創造するプロセスが、人間のこころに深く関わることだからです。冒頭の二つの統計数値や、ここ10年ばかりの了解不能な粗暴事件や殺人事件をみるにつけ、政府や自治体はもう一度「文化の社会的機能」を見直して、ゼロベースで文化政策を考え直す必要がある、と私は思っているのです。