第201回 行きつけば また新しき 里の見え ― 機能不全に陥りつつある「社会的相続」を再構築するために。

2018年10月25日

可児市文化創造センターala館長兼劇場総監督 衛 紀生

表題の「行きつけば また新しき 里の見え」は、出身地の上田市を東西に流れる千曲川から「曲川」の俳号を持つ山極勝三郎博士の句で、1900年代初頭当時は癌の発生原因はまだ解明されておらず、諸説の中で博士は「刺激説」を採り煙突掃除人に皮膚癌が多く発生していることに着目してウサギの耳に3年間ひたすらコールタールを塗り続けて1915年(大正4年)に人口癌の発生に成功して、のちにノーベル賞候補にもなったが選考委員会で「東洋人にはノーベル賞は早すぎる」という言われなき差別発言で「幻のノーベル賞受賞者」と言われている人物です。山極博士の偉大な業績には比ぶるべくもない私たち劇場人の仕事ですが、文化芸術を人々の幸せのためにと言い始めて研究と試行と錯誤を繰り返してから四半世紀、劇場経営の現場に携わってから11年、山極博士の「行きつけば また新しき 里の見え」は、共感というよりも実感です。あと5ヶ月で72歳、3年後には後期高齢者になる身としては、この25年間と11年間は「また新しき里の見え」の連続だったな、と感慨深く感じる山極博士の句です。

そして、また「新しき里」が見えてきました。そのご報告から始めたいと思います。西可児にあった名城大学が都心回帰で名古屋市に移転した後、昨年、岐阜医療科学大学の看護学部と薬学部が新設されることになったというニュースが入ってきました。その決定後の9月に、冨田市長が随行を連れないでお一人でアーラに見えて、事前に館長と2人で話したいとの連絡を受けていました。正直、指定管理料の減額や人事に関するお話だと嫌だなと思っていたのですが、「これからの地域医療・地域介護には医学的な知識だけでは難しいのではないか。コミュニケーション能力に長けた人材が是非とも必要になる」と仰って、県立東濃高校で実績のある劇団文学座さんに医療科学大学に入って行ってもらって、地域医療と地域介護の未来型の人材を輩出する大学にしたいと思うのだがどうだろう」ということでした。市長の未来型人材輩出について全面的に賛同しますし、私は既にアーラで英国のセントメリーズ大学院の演劇修士の人たちが2週間にわたって滞在研修することになっているので、彼らにも医療科学大学に入って行ってもらえますことを伝えました。

『オーケストラで踊ろう!―新世界』(構成・振付・演出 井出茂太)の時に演出監修として関わったクリス・ヒルズから、2年前に、セントメリーズ大学の日本研修施設として可児市文化創造センターを位置付けたいのだが、とのオファーがあり、旅費交通費等の経費は全額大学側持ちでアーラは研修できる場所の提供だけをしてほしいということでした。この大学の演劇修士課程には、英国の演劇土壌以外の国で創造とトレーニングをするというカリキュラム内規があるとのことでした。その他に小中学校や福祉施設にアウトリーチすることも無条件で引き受けるとの条件提示もあり、私としては内々に決めていたこともあり、そのことを市長にもお話しして2019年度10月に2週間滞在する演劇修士と演劇トレーナー、それにクリス・ヒルズにも岐阜医療科学大学にエキストラで入ってもらえる旨を伝えました。学園側との協議で、この部分にはフィーが発生しても良いとの大学側との共通認識も持ちました。

今月に入ってすぐに可児市と学園側とアーラ側のフォーマルな協議が始まり、文学座の西川信廣氏がala Collectionシリーズ『移動』の演出で可児に滞在しているうちにとその10日後に、コミュニケーション・ワークショップのスキル向上と座学との割合などのカリキュラム編成の大筋と、完成年度までの4年間の大よその流れ、おそらく西川氏がプロジェクトの責任者になると思いますが客員教授か特任教授なのか等の身分地位、アーラで年間400回実施しているワークショップとアウトリーチに医療科学大学の学生がどのように関与できるか、文学座との年間契約の経済条件等の意思決定を急ぐとの協議を済ませました。新設大学ということで文科省からの完成年度までの制約及び学園側の経営上の制約もあることを鑑みて、いったん学園側に持ち帰ってもらって文学座に投げ返す段取りを採ることにしました。いずれにせよ、医科系大学に通年で「コミュニケーション課程」が設けられるのは日本初であり、世界でもあまり耳にしないことです。仮にそのような医科系大学をご存知の読者がいらしたらカリキュラム編成の参考にしたいと思いますのでお知らせいただければ幸甚です。

その協議を終えてからすぐに東京に向かいました。東京都市大学で翌日に開催される文化経済学会<日本>の秋の講演会で、8月に蓼科高原で実施した文化経済学会<日本>と文化経済戦略策定チームとのセッションを再現しようという企画でした。30分程度の短い講演とシンポジウムのパネル参加ということで、蓼科での内容を少しでも進化させてお話ししなければとプレッシャーを自分にかけての東京行でした。セミナーとパネルは、内閣官房参事官で経済産業省から派遣されている「文化経済戦略チーム」の笹路健氏、文化経済学会<日本>の会長である同志社大学経済学部大学院研究科教授の八木匡氏、そして私という並びです。その詳細は学会機関誌と学会ウェブサイトで報告されると思いますので、私はここでは「儲ける文化」、「稼ぐ文化」と巷間流布されて業界内でいささか忌避感を持たれ、胡乱と思われている、同時期に発表された『文化経済戦略』及び『文化推進計画』にある「社会的評価」と「経済的評価」をどのように捉えるべきかを当日の報告と議論に沿って書き止めたいと思います。

アーラに戻った直後に八木先生から頂いたメールには「文化経済の概念を深化させることにより、文化政策を国民の幸福感の改善に寄与できるのではないかと考えております。学会としましても、社会との連携を強める必要があるかと考えております」とありました。「国民の幸福感の改善に寄与」も大変嬉しい言葉でしたが、学会が「社会との連携を強める必要」は、以前からどの分野の研究者も現場と乖離していて研究成果がなかなか国民市民に届かないことを憂慮していた私としては、とても勇気づけられる会長の意志と受け取りました。

八木会長のメールからも窺がえると思いますが、私のプレゼンテーションの内容は、「文化芸術の社会包摂機能」と「社会的必要に基づく戦略的投資」という文言がはじめて文化芸術に関する文書に登場した『第三次基本方針』、その内容が具体的に「教育機関,福祉施設,医療機関等の関係機関と連携・協力しつつ,年齢や障害の有無等にかかわらず利用者等の社会参加の機会を拡充する観点からの様々な取組を進める」と記載された『劇場法大臣指針』、そして『文化推進計画』、『文化芸術基本法』の改訂、さらには「文部科学省設置法」の改定までの国の文化政策の流れと、その流れが保護政策的文化行政から社会的な「変化」をアウトカムするための戦略的投資としての文化政策まで7年掛かって大きく転換したことを概略的に述べて、国の文化政策が、「保護政策的な2.0から具体的な成果を求める文化政策3.0」に大きく変化したことを示しました。

私は次にアンソニー・ギデンスの「ウェルフェアとは、もともと経済的な概念ではなく、満足すべき生活状態を表す心理的な概念である。したがって、経済的給付や優遇措置だけではウェルフェアは達成できない」、「福祉のための諸制度は、経済的ベネフィットだけでなく、心理的なベネフィットを増進することも心がけなければならない」 というPositive Welfare(積極的福祉)の概念を示して、この「心理的なベネフィット」を社会全体に供給するのが劇場音楽堂等と芸術団体の社会へ向けての存立根拠であり存在価値と説きました。音楽や演劇の「本来的機能」(芸術的価値)は一時的に「心を癒す」のであり、これらの文化芸術の持つ相互作用が社会包摂機能の実態であり、「存在を癒す」ことで「自己治癒力」を賦活させることを意味するのです。しかし、この「Welfare(福祉)」は、日本では社会的弱者への救済策とか「ほどこし」と専ら思いこまれています。社会包摂という考え方を自己都合で解釈して「アウトリーチ=社会包摂」などと勘違いしている劇場関係者と芸術関係者も散見されます。誤解と曲解と自己都合解釈を避けるために「Wellbeing(幸福・健康)」の方が適切ではないかとのエクスキューズは小講演の中でしました。可児に戻ってからFBに簡略に書いた私の報告に、韓国滞在中の同志社大学の佐々木先生から、「絶対に」とのニュアンスが込められた「Wellbeingが良いです」との書き込みがあり、我が意を得たりと心強く思いました。

そして私は、可児市文化創造センターalaで年間460回超実施している「アーラまち元気プロジェクト」や「私のあしながおじさんプロジェクト」と「同For Family」、「県立東濃高校の成果」、「いじめ認知件数の減少」等の「定性評価」であるエピソード評価と、社会的投資回収率(SROI)の「定量評価」の数値を示して話の穂を継ぎました。そして、可児市での「触法少年」の激増の数値を示して「いま何が起こっているのかの認識の共有」を促して、「社会的相続」の機能不全が貧困や発達障害の親に育てられる過程で起きていることへの危機感に触れました。「社会的相続」とは、デンマーク出身の社会学者・政治学者であるゲスタ・エスピン-アンデルセンが「所得の相続と同等か、それ以上に重要」と述べている「寛容性・自制心・協調性・やりきる力(GRIT)・対人共感性・コミュニケーション能力等の他者とつながる能力・社会規範と社会道徳を遵守する理性と人倫性」等が、かつては家庭もしくは地域社会等から引き継がれていたと展開して、この「社会的相続」の機能不全が家族と地域社会の「つながり喪失」で露わになりつつあり、社会を不安定にして、人々の生きる意欲さえも失速させているとの現実認識をお話ししました。相対的貧困の一要素である「つながりの貧困」、さかんに言われている「貧困の連鎖」も、私はかつて機能していた家族と会社と地域社会のコミュニティの機能不全が大本にあると考えています。

私が生きてきた戦後社会は、荒廃した国土と人心を取り戻そうとキャッチアップ型に「経済成長」をひたすら追求して、終身雇用制の「カイシャ」は利潤を大幅に増やして社宅等の福利厚生を行き届かせる余裕があり、「カテイ」もGDPの右肩上がりの恩恵に浴して家庭内の解決したい生活課題は家族という限定的な空間で解決することが出来ました。一言で表せば「豊かに」なって「幸福」になったのです。別の言い方をすれば「つながり」を信頼できる時代だったと私は強く感じています。 家族以外にも「安心できる他者」が身近にいる時代だった、と今にして思えば、経済的には必ずしも豊かではなかったが、心は充たされていた社会だったと思えます。

演劇や音楽がもっと社会にコミットして「その果実」を社会の隅々に届けられる仕組みはないものか、と考えはじめていた1993年元旦の朝日新聞に掲載された『現代の収支』と題された定期世論調査の結果に目を剥いてしまいました。「日本人が手に入れたもの、失ったもの」を「夢・活力・豊かさ・遊び・ふれあい・ゆとり」の選択肢でまとめられていて、「手に入れたもの」の半数以上が「豊かさ」をあげていて次いで「遊び」が群を抜いていました。「失ったもの」では「ふれあい」がトップで、以下「ゆとり」、「夢」と続いている。この時に感じた違和感はいまでもよく憶えています。「豊かさ」を手に入れながら「ゆとり」と「夢」を失っていて、「遊び」を手に入れながら「ふれあい」を喪失しているという「歪み」はどう説明できるのか、ととても訝しく思ったのです。「平成」に年号が改まって4年、バブルがはじけた翌年であり、この4年後に自殺者が30,000人を超え、労働者派遣法が改正されて非正規雇用の常態化が始まります。「競い合い」、「奪い合う」社会に身を投げる時代に向かう予兆のような世論調査の記事でした。「つながりの貧困」と「自己肯定感の貧困」という相対的貧困の時代の前兆をうかがわせる記事だったと思います。

「文化政策3.0」は、「競い合い」、「奪い合う」ことで生じてしまった「弱肉強食社会」という社会の歪みへの「処方箋」であり、しかも「増税」に頼るしかない行財政にあって財政支出を抑制するエビデンスが証し始められている、文化芸術の社会包摂機能を全面的に展開する到達点なのです。文化芸術に固有の相互作用性で「変化」を生む社会包摂機能を社会の隅々にまで利活用しようとする行政の意思であり、その化学反応で充たされない「承認欲求」を充足させて、「救いは他者の中にしかない」という認識を共有する「共生社会実現」への緒につくグランドデザインの施策なのです。文化施策は行財政改革の渦中で真っ先に削減されるものではなく、あらゆる行政分野と連携しながら、国民や地域住民のWellbeingを実現するための最重要政策に位置づけられなければならないものです。その機能を全面的に発揮して展開するために、社会政策のすべてを包括して「見えない社会保障(Informal Security)」を全国に張り巡らせる「日本版社会的処方箋」を最重要政策として位置づけることが、歪みの生じた社会全体からのニーズとして、強く求められる時代になっていると、私は認識している、と結んで話を終えました。

そのような小講演とシンポジウムで、笹路健内閣官房参事官からは、財政支出を抑制することも立派な「経済的評価」となるとの発言がありました。私は「稼ぐ文化」、「儲ける文化」にいわく言い難い違和感を持っていましたし、それをもって「経済的評価」というのは皮相に過ぎて、認識が浅すぎると、昨年末の「文化経済戦略」の発表以来一貫して感じていました。可児市文化創造センターalaから発信している「行政コスト・社会コストの抑制」という政策エビデンスは、「経済成長」一本槍の経産省のDNAを持つ官僚には理解されていないのではと訝しく思い、不信感は拭えないままでいたので、鳥取大学の竹内潔先生のフロアからの質問に答えた笹路参事官の発言に、私は胸につかえていたものが一挙に腑に落ちる思いがしました。

それと同時に、いささか勇み足だったと反省はしていますが、行政官や文書や研究者の論文の「書きっぷり」にも注文をつけました。それらの成果の最終受益者は国民市民であるのだから、慣用句的に「障害者等」とか「文化力」とか吟味をせずに書いてしまうような不用意な言葉と姿勢、業界内でしか通じない言葉はできるかぎり排すべきと申し上げました。私の立ち位置は常に「最終受益者は誰か?」、「強制的に徴収した税金を原資とすることへの、すなわちタックスペイヤーへの社会的責任と情報の開示義務は果たされているのか?」、「社会に必要とされているのか?」です。そして何よりも「私たちは国民市民のWellbeingのためになっているのか」という自問と、「なっていると確信するなら、その政策エビデンスを開示すべき」ということに行き着くのです。

90年代の「ホール建設ラッシュ」の時に必ず施設のパンフレットで設置自治体の首長が書いていて、芸術関係者もその伝を吟味することを放棄して踏襲している「心の豊かさ」などという抽象的な戯言ではなく、です。「心の豊かさ」は即座に否定はできないぼんやりとした抽象的なニュアンスであり、国民市民は反対できない類のはなはだ卑怯で卑劣な言葉です。私たちの仕事は、国民市民に確かな手触りで届く「恩恵」や「変化」でなければならないと思っています。それは、私は劇場音楽堂等と文化芸術は、宇沢弘文先生の定義した「社会的共通資本(Social Common Capital)」であり、道路や橋、森や川と同じく非排除性と非競合性という性質を持った、すべての人々のWellbeingのための公共的な財であると固く信じて疑わないからです。

ここまで書いて、南青山の「子ども家庭支援センター」のニュースが飛び込んできました。迷惑施設で「南青山」のブランドを毀損するという住民側の反対意見なのですが、私はむしろ生きづらさと生きにくさを感じている子どもや家族を支援する施設があることで、とくに海外からのインバウンドには、その社会的ブランド力が「人間に優しいまち」として非常に高度化すると思っています。「経済的価値」が毀損されるという住民側の考えと、「社会的価値」が高まるという私の考えとのあいだに、私ははっきりと「分断化を始めた日本」を感じ取りました。ここ数年、杉並区で起こった高齢者による「保育園建設設置反対運動」、昨年岐阜県関市で起きた移転先住民による「児童養護施設移転反対運動」と、それらを「迷惑施設」として排除しようとする日本人が存在することに、私はその度に失望しています。「住民エゴ」などという言葉で簡単に括ってはならないと思います。これでは世界から尊敬され、敬意をもって遇される国には到底なれないとも思います。「美しい日本」どころか自己利益しか考えない「醜い日本」になってしまうと危惧をしています。南青山の騒動の裏には不動産仲介業者がいるとの噂が流れていますが、それはそれで、仮にそうだとしてもその手の利害者の言動に踊らされてしまう住民が現にいるということに、私は深く失望しています。

アダム・スミスの『道徳感情論』にある「自己利益を追求する人間からなる社会では、幸福と快適さが低下する」という言葉が示すところは何かを、私たち国民市民はいま一度反芻しなければならないと思います。そして、「見えない社会保障(Informal Security)」である「つながりの構築」、「つながりの再生」、「つながり貯蓄」を推し進めて、「共生社会の実現」のために「社会的処方箋」政策に向かわなければなりません。少なくとも私はその扉を造るまでは到達したいと切望しています。その扉をノックして開けるのは、長い時間を協働者として全国で仕事をしてきた、文化振興基金運営委員を今秋に拝命した西川信廣氏であり、妻であり、文化審議会委員である柴田英杞であり、そして開けた扉の先に新しい道を造るのは「館長ゼミ」でアーラのDNAを受け継いでいる当館の職員たちであり、志を持って「あーとま塾」に集い、思いを共有するために自らの従事する仕事の社会的意味を学ぼうとする、毎年40人前後にのぼる全国からの塾生たちであって欲しいと願っています。