第184回 ソーシャル・イノベーション・フォーラムへの今後の期待。― 新しい社会構築に立ち上がった市民たちのエネルギーに圧倒される。

2016年11月4日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

9月19日に羽田空港を発って、およそ3年後に英国・ウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)との協働でリーズーロンドンー可児―東京の巡回公演を行う方向の滞在型国際共同製作の協議と、来年2月9日、10日にアーラで開催される世界劇場会議国際フォーラム2017in可児の英国側ゲストスピーカーとの下打ち合わせで、バーミンガム、リーズ、ロンドンを訪れました。非常にタイトな日程で25日に帰国しなければならず、芝居を見ることもなく美術館を訪れることもなく、ひたすら毎朝ホテルでイングリッシュ・ブレックファーストを食して、夜はインディアンかイタリアンで酒を飲んで同行した共同製作の日本側演出家西川信廣氏と世界劇場会議名古屋副理事長の山出文男氏との談論風発の議論を楽しむだけの旅でしたが、大いに収穫のある訪英でした。

国際共同製作は2015年に締結したWYPとalaとの双務性の業務提携(http://www.kpac.or.jp/outline/wyp.html)に沿って計画されたもので、私どもが経営テーマとしている社会包摂のメッセージを含んだ音楽劇を提案し、WYPは重点的に取り組んでいる高齢者の生き方に関わる作品をという考えで、今回の協議で見えてきたのは、日本に住む社会的に孤立している老婆と居場所を求めて流浪している英国の青年(移民か難民の)との間に起こる「きずな」という新しい価値への希求をメッセージとした、生演奏による物語という輪郭でした。舞台を「FUKUSHIMA」に設定するという話も出ましたが、いささかあざといのではとの意見もあってその具体性はペンディングとなり、戯曲執筆を委嘱する作家に任される形になりました。財務負担の双務性を取り決める契約書も私の方から提示して、経営監督のロビン・ホークスの精査を経て年明けにも締結する運びとなっています。また、1月末の1週間に国際共同製作の関連企画として実施されるコミュニティ・プログラムへのコミュニティ・アーツワーカー2名の派遣と、クリエイティブ・エンゲージメント部の新部長であるアレックス・フェリスの来日要請も行いました。彼に可児市とalaを見ておいてもらうことも今後の提携関係を進めるうえでは不可欠と思えたからです。また、リーズ市とWYPへの招待状を可児市長宛に送る、という事案も合意しました。

世界劇場会議国際フォーラム関連では、テーマの中核に英国芸術評議会(ACE)と英国・国民保健サービス(NHS)との協働により英国全土で行われている「社会的処方箋(Social Prescription)」を据えて、日本でのその可能性を探ることにあり、そのような事業展開と鑑賞者開発・国民的合意形成の関係に議論を進めたいとの思いで、英国芸術評議会シニアマネージャーのヘレン・フェザーストーン、WYPの高齢者プログラム、認知症対応プログラムのコミュニティ・デベロップメント・マネージャーのニッキー・テーラー、それらの社会貢献型プログラムを梃子にした鑑賞者開発のためのコーズ・リレイテッド・マーケティングを、現ベルリンフィル音楽監督サイモン・ラトルがバーミンガム市響時代のマーケッターで、マーケティング・コンサルタント会社であるインディゴ社の創設者セーラ・ジーに来日してもらうことになりました。今後将来にわたって全国に建設された劇場音楽堂等の社会的有用性への国民的合意形成と文化芸術への国民的親近性形成のために、無駄の象徴とされ「ハコモノ」と蔑称された施設をコペルニクス的に転回させるヒントを満載した国際会議になればと、私は期待しています。

帰国便に搭乗してすぐに睡眠導入剤を服用して機内ではほとんど眠ってきたので時差ボケは克服できたと思い込んで、可児に戻って1日休んだだけで、岡山市の劇場計画に関する瀬戸内海放送テレビの報道番組収録で岡山を訪れ、収録後すぐに東京・虎ノ門ヒルズの4階と5階を借り切って9月28日から日本財団主催で3日間にわたって開催された「ソーシャル・イノベーション・フォーラム」に参加しました。成長社会から成熟社会になるにしたがって相対的に政府自治体の機能不全が起こりつつある今日、「これまでにないイノベーティブな発想を持って課題に取り組む必要」があり、「新たな将来を描き、それに向けた道筋を探る場が必要だと考え」(日本財団会長笹川陽平)企画されたフォーラムの第1回でした。

小泉進次郎氏の基調講演に始まり、分科会は「Vision新しい社会の羅針盤」、「Entrepreneurship社会改革の担い手」、「Collective Impact集合知の新次元」、「Solution ソーシャルイノベーションの最前線」、「Ecosystem イノベーションを生み出す国へ」の5つのテーマで括られた総計30ものプレゼンテーションとセッションが用意されていました。どの分科会でも熱気にあふれた討論が行われていて、政府自治体に代わる社会的機能をデザインし、実施して、社会的成果をアウトカムしている市民団体の眩いばかりの活動を拝聴していて、私たち劇場音楽堂等及び芸術団体の立ち遅れを強く感じていました。焦燥感というか、悔しさというか、文化芸術という「新しい価値」を生み出す潜在的機能を持っていながら、「新しい社会の仕組み」構築への参画から除外、あるいは無視されていることに、活発な討論と発表される成果を聞きながらいささか意気消沈していました。3日間の会場で出会った文化関係者は、アーラから自費参加した職員と横浜市芸術文化振興財団の職員の2人だけで、得も言われぬ淋しさを感じました。

「助けて」と言えない社会、「助けて」を受け止めてもらえない社会での教育NPO、福祉NPO、社会起業家、ソーシャル・ファンド等の実践報告と討論は充分に刺激的で、「これなら劇場音楽堂等でより効果的に仕組める」、「劇場や芸術団体と彼らがマッチングすれば社会的投資のモデルケースになる」、「社会的インパクト債によって外部資金を呼び込める」と妄想しながらの分科会への参加でした。いくつかの分科会を例示すると、たとえば『休眠預金が拓く新たな時代』は、来年の通常国会での成立が見込まれる年間800億円にものぼる休眠預金を活用して社会的事業を支援する「休眠預金活用法案」に関して議連の3名の国会議員も登壇してのセッションでした。国家予算・自治体予算における社会コストの負担増と財政の逼迫によって国民のウェル・ビーイングが充分に手当てできなくなっている今日、休眠預金をそこに投入しようとする考えには発想の転換がもたらす、一種の鮮やかさがあって刺激を受ける論議でした。

また、現在文化庁の支援を得て日本劇団協議会のプロジェクトチームで進めている社会的投資収益率(SROI)に関連する『見えない価値を可視化する/社会的インパクト評価の未来』も、私が提案して現在進行形で動いている調査研究に関わるイシューだけに興味深い分科会でした。劇場音楽堂等や芸術団体及び芸術家による社会課題解決のためのワークショップとアウトリーチの社会的インパクト投資効果を、従来からの定性的評価から数値化しようとする、文化政策の新しい地平を拓く政策エビデンスに関する調査研究の報告書は、来年度当初あたりには刊行できるのではないかと思っています。その他、『社会で子供を育む/里親・特別養子縁組や子どもの貧困を知っていますか?』では児童養護施設を出てホストファミリーに恵まれた青年が2人、施設に入所している時から「普通」ということに憧れていて「いま普通に仕事をして、家庭と子どもにも恵まれて、納税できる普通をとても喜んでいる」という話があり胸を打たれました。

日本財団の『徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼす』という報告書によると、「現在15歳の子ども1学年だけでも、社会が被る経済的な損失は約2.9兆円に達し、政府の財政負担は1.1兆円増加する」、「これは、0歳?15歳で推計すると43兆円で、国家予算の約半分に匹敵し、彼らが受給する社会保障費などで財政負担も16兆円増える」とあります。当面の社会コストの削減をはかり、中長期的には青少年のドロップアウトに歯止めをかけ、租税負担者と社会保障負担者の増加をはかるためにも、社会包摂機能を持った文化芸術と劇場音楽堂等の社会化が喫緊の社会課題としてあることを再認識したセッションでした。『自殺大国日本/若者が生き延びるための作戦会議』などなど、本当に枚挙に暇がないほど多くの劇場経営と地域経営のためのヒントをもらうことができました。

それだけに劇場関係者と芸術団体関係者の「取り残され感」がひどく気になった東京での3日間でした。また、公募した個人・団体から選出された10組11人のソーシャル・イノべーターから審査員と参加者の投票で特別ソーシャル・イノべーターを選出して上限1億円の3年間の支援をし、その他の団体にも上限1000万円の支援をするコンペティションが最後に開催されました。日本財団が今後どのような活動を支援し、どのような新しい社会を構築しようと考えているのかがフォーラムのプログラミングから透けて見える3日間でした。

翌朝早くの便で松山空港に飛びました。上野の国立教育政策研究所に講義に伺った折にご縁をいただいた新居浜市の市民部長 関福生氏からの依頼で私どもの劇場で研修をした市民部地域コミュニティ課の西原あさひさんから、「alaの社会包摂理念を話してほしい」という内容のオファーがあり、地域創生コミュニティ・イノべーター志縁塾の皆さんに私どもの考えをお話する機会をいただいたのです。果たして皆さんに私の話がきちんと伝わったのかは心許ないのですが、志縁塾の皆さんの「この町を何とかしたい」という意欲と熱意は私の方には伝わってきました。それだけに充分に伝わる内容の話だったのか気にかかる新居浜市での講演でした。駅傍にある開放感のある素敵なあかがねミュージアムを見せていただいたのちに、講演前には食事をしない習慣があるので手を付けずにいた弁当を持たせていただいて岡山までの特急に乗り、弁当をかきこんでから仮眠をとったのですが、岡山駅近くになって目を覚ますと、身体にひどい違和感がありました。帰国後のいささかタフな日程で身体が悲鳴を上げたのでしょう。すっかり風邪を引きこんでしまいました。

翌10月2日に世界劇場会議国際フォーラムの最終打ち合わせ、3日に犬山市議会の議員研修会での講演の打ち合わせだけをして身体を休めて、3日にはアーラコレクションシリーズ『お国と五平』/『息子』の東京公演のため再び東京に向かいました。その足でかかりつけ医に飛び込んで風邪の注射と点滴を受けて、私の身体に合っている風邪薬を処方してもらいましたが、気候がいくぶん涼しくなったというのに、日に2、3度ハンカチがびっしょりになる程の汗が吹き出して、咳き込み、鼻声になるという症状が続き、吉祥寺シアターでの東京公演期間中にもう一点滴と注射を受ける羽目になりました。年相応の時差ボケ解消をしなかった自己過信、年寄りの冷や水、自業自得です。公演期間中に世界劇場会議国際フォーラムの基調講演をお願いしている神野直彦先生の日比谷公会堂にある個人事務所をお訪ねしての打ち合わせ、劇団協議会での社会的投資に関する調査研究委員会、多摩市の全会派の議員さんと副市長をはじめとする市職員がおよそ45名参加した勉強会と、休まる暇のないタイトな日程でした。本当に自己過信と自業自得でした。神野先生には体調不良で要領の得ない打ち合わせになってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。

かに寄席の、着物をお召しになっているお客様に贈呈する大入り袋の5円玉を鎌倉・銭洗い弁天で洗うための職員とのドライブを挟んで、『お国と五平』/『息子』の東京公演千穐楽の翌日はさいたま市への、鎌倉行の翌日は奥州市への全国公文協の支援員業務を終えて、17日に久しぶりに可児に戻りました。85年に竣工したさいたま市文化センターと、87年竣工のパルテノン多摩を見る機会があったのですが、

ともに鑑賞機能だけに特化した設計となっており、80年代から90年代に建てられた劇場ホールに特徴的な、しかし市民がゆっくりと羽を休めに寛ろげたり、人々が集うためのフリースペースがほとんどないというその頃の劇場ホールの限界を見た思いがしました。したがって、チケットを購入した者だけにしか開かれていない訳で、第三次基本方針、劇場法、大臣指針、第四次基本方針の中で求められている地域に生きる施設の要件をまったく満たしていないのです。あらためて「こんなにも違うのだ」と思い知りました。パルテノン多摩が30年目の初めての大規模改修に80億円をかけることで論議になっているのですが、改修計画の中にホールのホワイエと施設のエントランスのあいだにあるコンクリートの壁を壊してフリースペースを広げようとする工事があることを知って、その「80億円」という数字に対して「なるほどな」と思いました。

18日が休館日なのでゆっくりと休んで、翌日は京都で開催された2020東京オリンピックに向けたスポーツ文化ワールドフォーラムの一環として開催された創造都市ネットワーク日本(CCNJ)の首長サミットで、京都市長、新潟市長、奈良市長、篠山市長とともに可児市の冨田市長が創造都市としての取り組みをプレゼンするので、随行として京都までのドライブとなりました。一人5分程度という制約の中で、冨田市長のプレゼンは非常に良くまとまった素晴らしいものでした。大きな自治体に伍するプレゼンテーションで、臨席した文化庁の内丸幸喜文化部長、河村潤子前文化庁次長(現内閣官房内閣審議官)の表情からも、冨田市長のプレゼンの内容が簡潔にまとめられた秀逸なものであったことを窺い知りました。正直言ってホッと安堵しました。日常的にはそれほど密にコミュニケーションをしている訳ではないので内心ヒヤヒヤしていたのですが、アーラの活動を良く見ているものだなと感心しました。

22日からは劇場計画のある苫小牧市に講演とシンポジウムで出掛けて岩倉市長とも将来を見据えた劇場の在り方のお話が出来ました。その後、東京で劇団協議会の「芸術団体における社会包摂活動の調査研究」と全国公文協の専門委員会に出席して可児に戻りました。引き込んだ風邪は苫小牧の頃から急速に症状は軽減しました。25日間、風邪の症状に悩まされての怒涛のような日程でした。苫小牧の劇場計画についてと文化政策のエビデンスづくりのための「芸術団体における社会包摂活動の調査研究」については、稿を改めて報告することにします。

平幹二朗さんの訃報は苫小牧のホテルで聞きました。平さんには2011年の『エレジー』、2014年の『黄昏にロマンス』の2本のアーラコレクション・シリーズに出演いただいて、『エレジー』では芸術祭賞と読売演劇大賞を受賞されました。2009年に大阪での舞台出演の帰りに名古屋に立ち寄っていただき、アーラを見てもらって出演交渉を始めたのですが、平さんと縁の深い清水邦夫さんの『エレジー』にレパが決まってとても喜んでいたことを思い出します。また、出演交渉のプロセスで「最後は井上ひさしさんの『父と暮らせば』を演りたい、広島弁で芝居ができるからね」と仰っていて、「やれれば、しのぶに僕から出演依頼をするよ」と嬉しそうに話していました。「しのぶ」とは寺島しのぶさんのことです。その後、『父と暮らせば』の英訳版を使っての国際共同製作の候補になったりしていましたが、つい最近3年後の実現を目指して上演権のクリア、こまつ座さんとの共同製作と利益の分配など、話を進めようか」と係長と話していたところでした。アーラはここ数年、朝倉摂さん、常磐津一巴太夫師、加藤武さん、そして平幹二朗さんと大切な人達を見送ってきました。縁をいただいたばかりか、折々でアーラのプレゼンスを高めるためにご尽力いただきました。冨田市長の大都市に伍しての首長サミットでのプレゼンテーション、天皇皇后主催の秋の園遊会への高木財団理事長の招待と、良いこともあれば大切な人を失うという悲しい出来事もあった1ヶ月でした。合掌。