第161回 英国地域劇場の社会包摂プログラムを見て。

2014年7月3日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

6月1日から9日間の行程で英国の地域劇場の、特に社会包摂の考え方に依拠するコミュニティ・プログラムを視察するセミナーツアーに行ってきました。フランクフルト経由でスコットランドのエジンバラから入り、私の好きなグラスマーケット(ダウンタウンエリア)のエイペックス・インターナショナル・ホテルで長旅の時差ぼけを調整しました。ここからグラスゴー・シチズンズシアターの視察とセミナーに行き、翌日にはバスでの5時間半の移動でイングランドのリバプール市に入って新装になったエブリマンシアターを、そしてリーズ市に移動してウエストヨークシャー・プレイハウスに2日間、次いで南に移動してシェフィールド市のクルーシブル・シアターとライシャム劇場、最後にロンドンへの移動途中でレスター市に立ち寄ってカーブシアターのセミナー室でのマギー・サクソン女史のセミナーと、各劇場での視察とセミナーの連続であまり隙間のない旅となりました。大学の教員をしていた頃に学生や院生を引き連れて3回ほど英国の地域劇場の社会包摂プログラムと地域社会との関係を見せに行きましたが、今回で5度目のツアーの組成でした。

この「館長エッセイ」での報告が遅れましたのには理由がありまして、5月14日に虚血性脳梗塞を発症しまして、その日の記憶の3分の2は欠落するという突発的な出来事がありました。気が付いたら、その日に講義のある東京芸大の構内で、大学内の診療所で診察を受けたのは憶えているのですが、次の記憶は日本医大病院で車椅子に乗せられて院内を検査のために移動していたのです。入院はしないで翌日通いつけの医者に診察してもらってから可児に戻って業務に従事したのですが、いささか体調がすぐれず、そのまま英国へ飛び立ちました。帰国後、時差ぼけはすぐに解消したのですが、体調は回復しないまま6月ももう終わりになってしまったのです。

ただの視察ツアーならば、信頼できる英国在住のコーディネーターもいることでもあり、体調を整えることに専念して参加を中止したところなのですが、アーラとウエストヨークシャー・プレイハウスとの提携契約のアグリーメントの文言協議という個人的なミッションもあり、また来年2月13日、14日にアーラで開催される「世界劇場会議国際フォーラム2015 IN可児」に招聘するゲストスピーカーとの交渉もあり、無理をしてでも出かけることになったのです。その無理がたたって体調不良を引きずることになり報告が遅れてしまいました。

閑話休題。今回のツアーは、私の体力的なこともあって、facebookと文化関係者のメーリングリストであるcp-netでだけの参加者募集にして、私を含めて12人という少人数の視察研修ツアーとなりました。主催団体になってもらったNPO法人世界劇場会議名古屋からの5名の参加者の他は福岡、福井、栃木、宮城から劇場ホールやプロデュース団体の参加者がおり、少人数の割には多彩なメンバー構成となりました。参加者の一様な感想としては「目から鱗」というもので、英国の地域劇場に特徴的な「地域社会の健全化に貢献する」というミッションの実態を目の当たりにしたことで、ともすれば内向的で鑑賞事業を専らとする日本の劇場ホールのあり方を「常識」としてきた参加者にとっては、そういう「常識」がものの見事に覆されるツアーであったようです。

最初に訪れたのは、グラスゴー・シチズンズ・シアターです。グラスゴー市は、『国富論』を著したアダム・スミス、蒸気機関の発明で知られるジェームス・ワットも学んだ、550年の伝統を誇る英語圏最古の大学のひとつであるグラスゴー大学をはじめ、数多くの文化遺産、教育遺産、産業遺産を持つ都市で、かつてはロンドン、ベルリン、パリと並ぶヨーロッパを代表する大都市だったまちです。戦後になって、造船を中心とする重工業のまちがイギリス経済の停滞とともに衰退して、60年代以降、中心部が失業者と移民の多いまちとなり荒廃し、空洞化していった歴史を持っています。そんな地域のひとつであるゴーバル地区にシチズンズシアターは立地しています。建設されたのは1876年、日本で言えば明治8年の創設ですから、劇場本体はかなり古い様式の建造物です。

この劇場はかつてまちが荒廃した時期に芸術監督をしていたジェフリー・ハーパーが、失業者や学生を対象として50ペンスの入場料で観劇が出来るような制度を作りました。ほとんどタダに等しい価格です。その社会包摂的なチケット制度とシチズンズシアターがまちに供給するコミュニティ・プログラムによる成果により、中心部に市民が戻り始め、地域社会の健全化と活性化が80年代に急速に進むことになります。そして、1990年にはとうとうEUの欧州文化都市にも選ばれるほどに復活したことはあまりにも有名です。

グラスゴー・シチズンズシアターには、いまでもその頃のDNAが引き継がれています。移民系の人口が多く、また労働者階級のまちだけに、解決しなければならない地域課題が多く、さらにアイルランド移民のカトリック系とスコットランドのプロテスタント系との宗教的な対立構造もあり、その地域課題は実に複雑です。犯罪多発地域へのアウトリーチ、刑務所の受刑者向けの創造的教育プログラム、宗教的な対立が地域対立となるためにカトリック系とプロテスタント系の子供たちを綯い交ぜにしてキャスティングした創造事業をして、互いに必要な友人と認知することによって融合を図るなど、多様なコミュニティ・アプローチをしています。また、スコットランドを代表する新作劇場のトラバースシアターの前芸術監督で、現在のシチズンズシアタ―芸術監督のドミニク・ヒルは、就任直後に「ゴーバル地区の50ペンスチケット」という社会包摂型のチケット制度を、限定100枚ですが復活させています。

後述するリーズ市のウエストヨークシャー・プレイハウスに一昨年就任したジェイムス・ブライニングとドミニク・ヒルは、かつてスコットランドのダンディレップ劇場で芸術監督二人制でともに地域劇場の活性化に汗を流したパートナーです。7、8年前にダンディレップ劇場を訪れた折に、まだ30歳代だった芸術監督の二人と意見交換をして、その意欲的な舞台も拝見しており、劇場改革への強い意志を感じていました。この英国地域劇場の若きリーダーの2人からは目が離せないと感じました。

次に訪れたのはリバプール市です。4年前にこのまちを訪問した折には、今回視察したエブリマンシアターは改装工事中で、市の中央部のウイリアムソン広場に面している、1865年に竣工したリバプール・プレイハウスしか視察できなかったのですが、今回は新装となったエブリマンシアターを訪れることができ、社会包摂的なコミュニティ・プログラムのセミナーをシアター&コミュニティ部のディレクターのレベッカ・ロス=ウイリアムズ女史から受けることが出来ました。劇場の前面は市民105人の立ち姿の写真パネルで飾られており、エブリマンシアター(みんなの劇場)の名にふさわしい建物正面のデザイン。このまちには観光地区として再開発されたビートルズ博物館のあるアルバート・ドックがあり、そこにはテート・モダンの分館もあって、2008年に欧州文化都市に選ばれています。

前回訪れた時にも感じたのだが、リバプールは労働者階級のまちで、気安さと同時にちょっと近寄りがたい、ざらついた渇いた空気を漂わせている街です。ウイリアムソン広場のオープンカフェでコーヒーを飲んでいると、明らかに麻薬常習者ではないかと思われるホームレスが観光客目当てに寄ってきて片足分しかない靴下を売ろうとしていました。別に危害を加えるような雰囲気はないのですが、何処となく「渇き」を感じるまちなのです。それだけにエブリマンシアターの社会包摂的なコミュニティ・プログラムは多様で、重層的です。ナショナル・ヘルスサービスが作成した貧困度の分布図を活用したプログラムがコミュニティに供給されています。それらは警察や保健局という社会機関と連携して、地区の人々にアートプロジェクトへの参加を呼び掛け、若者が犯罪者になる手前で踏みとどまらせるような成果を生んでいます。高齢者の引き籠りからくる社会的孤立を、劇場に足を運ぶことによって防ごうとするプログラムもあります。

カーブシアターでの『社会包摂が劇場経営に与えた影響』と題されたセミナーでマギー・サクソン女史が語っていたが、1997年に労働党政権が樹立され、トニー・ブレア首相が内閣の中に社会包摂局を作ってから英国の社会政策にその考え方が広まったのではなく、既にそれ以前から、地域劇場は地域社会の克服しなければならない課題解決にアートの力を活用していたという。それは、英国の社会が、階級によって服装まで異なるという階級文化社会であり、移民との社会的統合や貧困が生み出す将来的な社会不安という諸課題が山積していることに起因しているように思えます。翻って日本社会にはそのような社会全体で取り組まなければ将来的な社会不安となる社会的課題はないように思えますが、日本社会は90年代後半から確実に階級社会化しつつあります。97年の労働者派遣法の改正にはじまる派遣労働者の急増、それによるワーキングプア層の拡大、所得格差から生じる教育格差、健康格差、そして格差社会の定着化、年間3万人超の自殺者数も97年から始まっています。少子高齢化社会は労働人口の減少を社会問題化させます。近い将来には多くの外国人労働者の移入が始まります。それにより格差社会と階級社会化はさらに加速度的に進行するでしょう。

文化に関する公的な文書に「社会包摂」という文言が現われたのは2011年2月に閣議決定された「第三次基本方針」が嚆矢で、それ以降の2012年6月の「劇場法」、2013年3月の「大臣指針」と、その考え方は引き継がれています。その背景には、大きく変化する社会の様相があるのです。私は公共的な使命を果たそうとする劇場音楽堂等を「ラストリゾート」と呼んでいます。「最後の拠り所」というくらいの意味です。大きく、重大な社会的課題に立ち向かう最後の拠り所は、劇場音楽堂等が社会に向けて発信する文化芸術の社会包摂機能しかない、と私は思っています。文化芸術には社会制度や政治の方向性を糺し、転換させる力はもとよりありません。

しかし、そのような社会の劣化から生じた歪みから人々を、そして社会を守ろうとするリスクヘッジの役割は、劇場音楽堂等には確実に果たせます。いまこそ、その文化芸術の機能を活用したコミュニティ・ケアへの出動が求められているのだと私は思っています。英国の地域劇場の社会的活動が日本の劇場音楽堂等の経営にとって示唆に富むものであるのは、日本社会が向かっている今後を考え合わせれば、言をまたないのではないでしょうか。私は日本社会の将来に強い危機感を持っています。アーラの経営手法は、その危機感の表れと考えていただいても良いかと思います。社会包摂施設としての劇場音楽堂等が日本に定着するために求められているのは、劇場で働く人間が、なかんずく館長をはじめとするエグゼクティブ・クラスの人間が、社会をどのような眼差しで見ているかにひとえに掛かっているのではないでしょうか。

さて、私たちは沿岸部のリバプール市から北部イングランドに位置するリーズ市に入りました。英国では、ロンドン、バーミンガムに次ぐ人口規模の都市で、近年リーズは「北の首都」とも呼ばれ、金融経済の中核をなす都市として目覚しい発展を遂げています。また、リーズはヨーロッパの都市で最も成長率の高い都市として認められ、観光面でもヨーロッパで注目度の高い都市ともなっています。一方、中心部の周辺には移民をはじめとする多民族の集落が点在しており、貧困地区もあるという点では他の地域との類似性もあります。そして、この街には「北部イングランドの国立劇場」とか「コミュニティ・ドライブ」と異称されるウエストヨークシャー・プレイハウスがあります。この劇場は、コミュニティ・プログラムを経営のもう一つの柱としてミッションにも謳っており、その基礎を作ったのは、社会的発言に強い発信力を持ち、現在はロンドンのサウスバンク・アーツセンターの芸術監督をしているジュード・ケリーと、彼女と二人三脚で90年の劇場建設時の莫大な負債を解消しつつ、この劇場を英国最大の活動規模を誇るまでにした経営監督のマギー・サクソンでした。

私たちは、現在の最高経営責任者シーナ・リグレイと芸術開発部部長のサム・パーキンスに迎えられました。シーナは前芸術監督のイアン・ブラウン時代の、ウエストヨークシャー・プレイハウスの停滞期に招かれた経営責任者ですが、サムはジュード・ケリー時代からの、現在では劇場の最古参になるやり手のコミュニティ・プログラムの統括責任者です。二人ともアーラに来たことがあり、今回の私の使命であるウエストヨークシャー・プレイハウスとアーラの提携は、昨年2月にシーナがアーラを視察した折に彼女からの申し出で具体化したものです。私たちがウエストヨークシャー・プレイハウスに足を踏み入れた時には、劇場全体を使っての、英国内で有名な高齢者プログラムである「ヘイデイズ(heydays)」が行われていました。毎週水曜日に全館を使って、ランチを挟んで午後と午前に20プログラム前後が実施されるのですが、今回はダンス、演劇、合唱、手芸、映像などの19のプログラムが展開されていました。4日の水曜日にリーズに入るようにスケジューリングしたのには、このプログラムをツアー参加者に視察してもらいたかったからです。「ヘイデイズ」の担当者であるニッキー・テイラーによると、いま彼女は認知症の高齢者プログラムの開発途中で、「近々」というから年度替わりの9月あたりからそのプログラムの試行が始まるのではないでしょうか。認知症の高齢者の問題は、これから超高齢化社会に向かう日本でも対処しなければならない課題です。彼女がどのような機関と提携してプログラムを開発しているのか、非常に楽しみであり、期待もしています。

また、この日のバックステージ・ツアーで参加者から驚きの声が上がったのは、体育館10棟分はあろうかと思われるワークショップ(大道具作業棟)で、英国の地域劇場は何処でもワークショップは自前で持っていますが、ここは英国随一の規模を誇っています。大きな劇場をもうひとつ造れるほどの広さです。むろん、劇場と同一平面上に設けられていて、舞台面に設置された搬入口からすぐに劇場内に運び込めるようになっています。広いワードローブ(衣装製作部屋)とともに、これだけは到底真似のできないスケールです。

ウエストヨークシャー・プレイハウスでの2日目は、劇場が所有している古いビルの使われていなかった2階を大幅に改造して設けられた青少年のための施設で行われている「ファースト・フロア(first floor)」の視察と、芸術開発部が所管するユースシアターの演出家ゲンマとシーナのセミナーとマーケティング&コミュニケーション部ディレクターのアダム・ラムのセミナーでした。これでもかというくらい劇場経営の哲学を叩き込まれる一日で、夜はアラン・ベネットの『ENJOY』(芸術監督のジェイムス・ブライニング演出)のクエリー・シアター(750席)での観劇も控えており、参加者にとっては中身の濃い一日だっただろうと想像します。

「ファースト・フロア」は、犯罪や麻薬に手を染めてしまったティーンエイジャーとニートと、それに25歳までの学習障害や知的障害を持った青少年に、音楽と演劇とアートで社会への再チャレンジの機会を持ってもらおうとするものです。その具体的な仕組みは、ここを出ることで大学受験の資格を取得できることにあります。この「ファースト・フロア」の創設はサム・パーキンスの念願だったもので、前芸術監督時代にかなり冷遇されたものの、彼女自身が芸術開発部独自にファンドレイズに動いて多額の資金を調達し、発足に辿り着いたという経緯があります。相当の激務だったと聞いています。しかし、彼女を支えたのは、リーズの青少年の中から孤立する者をださない、地域社会の未来である青少年の自立を促すという彼女自身の信念というか、いわば自身の持っている社会的正義への確信だったのではないでしょうか。

いわば「ファースト・フロア」は彼女の価値観の「自己表現」と言えるのだと私は思っています。「社会包摂」という政策理念があるから「ファースト・フロア」をコミュニティ・プログラムとして立ち上げたのではなく、彼女の社会的排除という悪しき価値観への闘いの成果として「ファースト・フロア」がある、と私は見ています。劇場が社会劣化や将来の社会的不安のリスクヘッジになるためには、まず劇場経営に携わる人間が社会とどういう価値観でもって向かい合っているかが大切なのだと、私はサムの、激務の中での笑顔の絶えない仕事ぶりを見ていて思います。また、彼女が部長を務める芸術開発部のルース・ハナントにしても、ニッキー・テイラーにしても、相当な激務であるのに笑顔が絶えません。彼女達だけではありません。劇場の誰もが、人懐こい笑顔で私たちや市民に接しているのです。これは、自分たちの仕事に誇りを持っているからです。仕事を通して、「必要とされている実感」と「役に立っている実感」を日常的に感じているからなのでしょう。それは私たちが地域社会を支えているという矜持だ、と私は思っています。この「ファースト・フロア」を含めたウエストヨークシャー・プレイハウスの活動が、「THEATRE OF SANCTUARY(楽園の劇場)」という賞を授賞していました。言い得て妙、という感想を持ちました。

その折に受けたマーケティング&コミュニケーション部のディレクターのアダム・ラムのセミナーは、20年前の大学の講義のような古色蒼然としたマーケティング理論をもとにした鑑賞者開発手法で、私には何の参考にもならないものでした。この劇場には、従来からのマーケティング部に「&コミュニケーション部」という名称を付与して斬新な鑑賞者開発を行っていたケイト・サンダ―ソンという腕利きのマーケッターがいたのですが、彼女以降はこの部署はウィークポイントになっています。いくつかの質問をぶつけたのですが、何も新しい理論と実践的手法は帰って来ませんでした。「これは現場が分かっていないな、顧客の立場に立っては考えられない人物だな」といささか匙を投げてしまいました。

2日間のリーズ市滞在の後、私たちは南下してシェフィールド市に入りました。ここには、クルーシブル・シアターとライシャイム劇場と、ほぼ隣り合わせの二つの劇場からなるシェフィールド・シアターズがあります。むろん改修を重ねていますが、ライシャム劇場は1850年(安政の前の元号である嘉永3年)に竣工しており、歴史的建造物に指定されている旧い様式を残す施設で、市からの依頼で現在はクルーシブル・シアターズ(運営団体)が一体化して経営しています。ここではウエストエンドの商業演劇の上演を主にしており、そのために此処の運営母体の収入は他の地域劇場と比較すると非常に大きくなっています。その分、導入される公的資金の割合が低くなっており、どうしてもその「健全経営」が注目されてしまうきらいがありますが、しかし、この劇場群で注目しなければならないのは、Sheffield Peoples Theatre(シェフィールド市民劇団)です。3ヶ月間ほどの稽古をしてクルーシブル・シアターで5日間の公演をするこのプロジェクトは、ロンドンの高名な演劇批評家が全国紙に劇評を書くほどの水準の舞台を創っており、英国の地域劇場界でも異彩を放っています。

「市民参加劇」、「市民参加ミュージカル」など、日本では比較的お手軽なプロジェクトとして近年多くの基礎自治体立の劇場でやられている事業形態であるので、ツアー参加者の中にも「自分のところでもやっている」という空気はありましたが、日本のそれとはだいぶ違っています。まず、舞台に上がる市民以外はスタッフ全員がプロフェッショナルですし、まちのアマチュア劇団の演出家が台本を書き、演出するとか、まちのピアノ教室の先生が作曲するとかのレベルではないのです。第一、演出は著名な俳優であり、演出家でもある芸術監督のダニエル・ エヴァンズが自ら行います。予算も200万円、300万円のレベルではありません。と同時に、このPeoples Theatreは、社会包摂を目的の一つとしてプログラミングしていますから、劇場に足を運ばない人々の地区、すなわち貧困地区や移民や難民の住む地区にリクルーティングの手を伸ばしています。

最高経営責任者のダン・ベイツは、昨年のPeoples Theatreに参加したソマリア難民の少女の話を私たちにしました。英語がしゃべれないことで、家に引きこもり、学校にも通えなかったこの少女は、Peoples Theatreに参加することでコミュニケーションを試みるようになり、英語が少し話せるようになって、学校にも通い始めたというのです。文化芸術を創造するということは、そのプロセスで多様なコミュニケーションが生じることを意味します。それによって、Peoples Theatreというコミュニティの一員として彼女を迎え入れ、社会的孤立の瀬戸際から彼女を救済したということになります。私にも同じような体験があります。仙台のプロジェクトで、不登校になった高校二年生が市民参加型事業に参加してきました。彼はその時にはもう大学受験を諦めていましたが、プロジェクトの中で多くの人々と接触し、コミュニケーションを交わしていくうちに自信を取り戻し、生きる意欲を持ち始めて、大学受験に挑戦して山形大学に入学したのです。20年以上も前の話です。

文化芸術にはさまざまな力があります。それは文化芸術が何処まで行っても「等身大」の人間サイズの関わり合いだからこその力です。社会包摂機能も、その根拠は「等身大」と「人間サイズ」であることです。何処まで行ってもアナログであることが、人間の心に働きかける力の根拠になっています。その文化芸術の潜在力を地域社会の健全化、コミュニティの再生に活用するからこそ、劇場は社会の劣化に対するリスクヘッジとなるのです。ラストリゾート(最後の拠り所)になるのです。 私たちは文化芸術の潜在的なパワーを社会の健全化のためにどれだけ使ってきたでしょうか。全国の劇場音楽堂等がすべての住民から強制的に徴収した税金で設置し、運営している以上、その社会包摂機能でどれだけの地域貢献、地域への還元をしてきたのでしょうか。いま一度、振り返ってみる必要があると思います。

英国の地域劇場の活動を目の当たりにして、私はそんな思いに駆られました。そして、カーブシアターでのマギー・サクソンの話を聞きながら、劇場で仕事をする人間は、文化芸術の専門家である以前に、真昼の空に星を見つけられるような現実社会の観察者であり、大きく変化する社会の水先案内人であり、イノベーターでなければならないと思ったのでした。今回巡った都市は偶然にもすべて労働党系の首長と議会の街でした。政権を取った保守党は、労働党系の強いまちへの中央からの資金譲渡を大幅にカットしたそうです。非常に露骨なやり方です。そのためにウエストヨークシャー・プレイハウスでは、月曜から金曜まで学校に出かけてワークショップをやり、子どもたちの環境で問題となっている題材で創作された短い作品を鑑賞させて、それについて対話をするスクールツアリング・カンパニーが廃止されました。それでも、数多くのコミュニティ・プログラムを実施している地域劇場には共感と敬意を憶えた英国ツアーでした。