第160回 公立劇場にクラウドファンディングは可能か。

2014年5月21日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

秋、北海道教育大学札幌駅前サテライトでの文化経済学会<日本>秋の講演会で、元電通マンであった北海道教育大学特任教授の白井栄三氏は、「自分たちの上演や展示を、如何に優れた質であるかを広報する劇場やミュージアムに対し、広告界はある特定商品の質よりも、クラウド(不特定多数の人々)のニーズに合っているかを判断基準とする傾向がある。そのため広告界と芸術界は、水と油の関係ではないか」と問題提起しました。また、広告界は演目や作品そのものの質的価値よりも、クラウドに潜在する関心値、あるいは関心を生じさせる話題性の創出を大事にしているおり、さらには、芸術の側が自身の価値基準による情報をチラシに記載し広報を行ったとしても、それはクラウドの共感を得るにはほど遠く、自己満足の状況であると言える、と語った。したがって、クラウドには芸術へ関与することで利益になると感じさせる広報展開が必要であることを強調しました。

これは大変に重要な問題提起です。しかし、半分は誤った認識によってなされた発言だと私は思っています。そもそも、劇場とミュージアムを同じカテゴライズとしてテーブルに乗せていることに無理があると思えるのですが、確かに従来の日本の劇場は、おおむね貸小屋であって、そこを一時的に借りて劇団が自らの創造した舞台を上演するのです。ですから、どうしても「芸術の側が自身の価値基準による情報をチラシに記載し広報をする」というかたちになってしまわざるを得ないのです。劇場に限らず、コンサートホールもまた貸小屋で、オーケストラ団体は上演演目を広報するかたちでしかないのも事実です。つまり、劇場やコンサートホールは「容れ物」に過ぎず、芸術団体はそこに一時的に入れる「商品」を売り込むしかなかった訳です。「自分たちの上演や展示を、如何に優れた質であるかを広報する劇場やミュージアム」という背景には、そのような日本独自の文化芸術の構造的な問題があるのです。その広報宣伝の受け手である観客や聴衆も、劇場やホールの社会的価値やブランド力を基準にして享受する舞台や作品を選択することは、一部の「例外」を除いてはなかったのです。

「例外」というのは、一時期の下北沢のザ・スズナリという小劇場のように、ここからは多くのすぐれた才能が輩出されていて、空間のバリューが非常に高く、今後注目に値する新進気鋭の演劇人に出会いたければ「ザ・ズズナリへ」というブランドが成立していました。また、たとえば新日本フィルの演奏会は、主にフランチャイズしているトリフォニーホールと、ホールを借りてのサントリーホールでの演奏会とがあります。音の響きは共に甲乙はなく聴衆の好みとも言えるのですが、チケット価格はサントリーホールでの場合は、むろん貸館料金という多額の固定費が掛かるので、かなり高めに設定されています。これも「例外」の一類型と言えます。これらはあくまでも「例外」であって、一般的には作品や舞台が「一時的に」劇場やコンサートホールに短期間だけレジデントして上演・演奏されていたのです。したがって、白井氏の「自分たちの上演や展示を、如何に優れた質であるかを広報する劇場やミュージアム」という状況判断には一理ありますが、それは日本の舞台芸術界の構造的な問題がそうさせている訳です。

白井氏の指摘は、あくまでも自分たちのフランチャイズとなる劇場ホールを持っていないという日本の舞台芸術界の特徴を前提になされたものです。これは日本の舞台芸術の構造的な問題です。だからと言って「広告界と芸術界は、水と油の関係」と断ずるのは早計ではないかと私は思っています。この論理の展開で行くと、そこで上演や展示される一プロジェクトなら可能であっても、劇場や美術館それ自体にクラウドファンディングは適用できないという結論が導かれてしまいます。私はそうは思いません。従来、「劇場経営」や「美術館経営」というマネジメント概念が日本では立ち遅れていました。それが、近年では次第に機関施設経営への志向が強まりつつある、と私は感じているからです。その近年の変化の兆しを白井氏は敏感に捕らえてはいないのではないでしょうか。

「クラウドファンディング」とは、インターネット上で不特定の人々から資金を調達する手法です。「クラウドファンディングとは、群衆(crowd)と資金調達 (fundingを組み合わせた造語である。 ソーシャルファンディングとも呼ばれる。クラウドファンディングは防災や市民ジャーナリズム、ファンによるアーティストの支援、政治運動、ベンチャー企業への出資、映画、フリーソフトウェアの開発、発明品の開発、科学研究 、個人・事業会社・プロジェクトへの貸付など、幅広い分野への出資に活用されている。引用元: Wikipedia」。現在ブームの感のある「ふるさと納税」も、この「クラウドファンディング」の一類型と考えるべきでしょう。「クラウドファンディング」には大きく三つの類型があり、「投資型」、「購入型」、「寄付型」とあります。いまブームとなっている「ふるさと納税」のほとんどは「購入型」であり、何らかの地元特産物の給付を期待する面が強いものです。

が、パブリックな施設や機関の場合、基本的には「寄付型」になると私は考えます。少額の寄付をすることによって「公共に参画している喜びや、満足感、施設経営に関与しているという充足感」を無形給付として寄付者には味わっていただくことになります。これは、マーケティングで言うところの「Sense of Belonging(身内意識)」による関係づくりです。むろん、アーラで発行している「alaまち元気プロジェクト」の<まち元気ブック>や<まち元気グッズ>を寄付者に贈呈することは私どもも考えています。というのは、アーラでは現在、クラウドファンディングの対象として、教育機関、福祉施設、保健医療機関、多文化施設等へのアウトリーチをはじめとするアーラの社会包摂活動である「alaまち元気プロジェクト」を考えているからです。

「クラウドファンディング」はプロジェクトや経営に対する考え方への共感と、参画意識からの共創や賛同を梃子として行われる資金調達です。そこには社会的信頼という強靭な紐帯がなければ成立しません。つまり、プロジェクトに対する強い信頼と共感と賛同、もしあるのなら申し分ないのですがある程度のブランド力が「クラウドファンディング」の実施には必須なのです。キーワードは「信頼」と「共感」と「賛同」、加えて資金調達の広域性を考えれば一定程度以上の「ブランド力」となります。

企業の本社機能が集積する東京圏や都市部では、劇場運営の資金元の多様化は、そのように機能する担当部署や人材を劇場組織に配置すれば容易とは言わないまでも比較的可能なのですが、可児のように中小地域を拠点とする劇場や美術館においては、資金の多元化はかなり難しい経営課題となります。難しいのですが、この「多元化」を実現しないと、経営は非常に不安定なものとなります。その経営課題を解決する手段の選択肢の一つとして、私は「クラウドファンディング」があるのではないかと考えてきました。

ただし、私も白井氏が言うように、一企画や製作上演演目への資金調達は、多様であることが前提となる芸術的評価を梃子とするだけにかなりの困難性を伴います。ならば制度導入にはどのような条件が必要なのかについては後述しますが、文化舞台芸術は共感商品ですし、いかにも「クラウドファンディング」とマッチするように思えるのですが、前述のように芸術的評価の多様性がむしろ阻害要因になります。そこで私は、劇場それ自体のCSR(社会的責任経営 Corporate Social Responsibility)の質の高さこそが「クラウドファンディグ」の強いレバレッジになると、その輪郭を考えています。

専門外ですし、極めて個人的な感想のようなものになりますが、美術館に関しても、私は企画展の面白さやその質で出かける美術館を選びません。むしろ常設展を好みます。私はその美術館の鑑賞環境を最優先して、作品鑑賞までのアプローチを大切にしています。たとえば箱根・仙石原のポーラ美術館は展示までのアプローチが素晴らしく、作品を見る前のフラットな気持ちをつくってくれますし、鑑賞し終わった後の心のほてりのクールダウンの役割も果たしてくれます。常設展に並ぶポーラ美術館の収蔵品が私の好みにマッチしていることも、此処で長い時間を過ごす理由の一つになっています。しかし、ここでは私の専門である劇場経営に焦点を当てることにします。

さて、いま手元に井原哲夫氏の『愛は経済社会を変える』という経済学に関連する著作があります。一級の経済学者から見た「愛」への論考と言えます。本来の経済学は、人間を利己的な存在であるという前提条件(ホモ・エコノミクス)で世の中の事象を扱ってきましたが、井原氏は、「愛」もまた利己心から起きる、とまずは問題提起します。合理的な選択を必ずやする「ホモ・エコノミクス」を想定して社会の事象を分析してきた経済学者らしい仮説です。なのに、人間は莫大な費用と膨大な時間を「愛する者」のために費やすことが間々ある、という著者の疑問が首をもたげます。それは、あまりにも不合理と考えます。そして「愛は自己の犠牲のもとに他に与えるものであり、その行為の社会的評価はきわめて高い。一方、利己心とは他人のことは顧みず自己の利益や快楽だけを求めるこころであるから大変評判が悪い。まるで反対の極に位置しているようにみえる。実は、この二つが密接に結びついているのだから面白い」と展開して、「人間には<自己愛>の範囲を広げるところがある」と説いてみせます。

つまり、子どもが受験に失敗すれば大いに落胆し、合格すれば「我がこと」のように喜ぶ。ひいきのプロ野球チームやJリーグチームが勝ったり、母校だけではなく、故郷の高校が甲子園で勝てば「我がこと」のように欣喜雀躍して、サヨナラ負けにでもなれば心が痛みます。心底から悔しがる。これは「自己愛」が広がった結果であり、これを「身内意識」」(Sense of Belonging)と呼ぶ、と井原氏はこの論の基点をつくります。

ならば子どもを持ったことを後悔しているのかと問えば「とんでもない」という返答があるし、そんなに心配ならひいきのチームのファンをやめればよいと忠告しても「考えられない」と反論されるという。「どうも、現象からみるかぎり、人間は身内意識をもてる相手を求めているようなのだ」と分析して、「人間は愛の対象をもとめているといえる」と結論づける。井原氏の結論は、「自己愛」を広げたがっているのが人間の本性である、ということになります。私自身の経験でも、私が演劇評論家として世に送り出した若手演劇人の公演では、観客の反応が気になって仕方がなかったし、私が評価されているかのような気分になる、一種独特の心の状態で舞台と向かい合っていました。まさに「身内意識」です。まさしく「他人事ではなくなる」のです。

したがって、前述した「劇場それ自体のCSR(社会的責任経営 Corporate Social Responsibility)の質の高さ」はクラウドファンディングの必要条件ですが、それを制度として成立させるためには、加えて「他人事ではなくなる」という「身内意識」を形成するという十分条件を成り立たさせる必要があるのです。「身内意識」とは、一種のブランド力と言っても良いでしょう。

東京の劇場界を見ている限りにおいてはあまり大きな変化はないのですが、この数年間で、地域の劇場ホール大きな地殻変動とでも言える変化が起こっています。それは舞台個々の評価というよりも、劇場ホールそれ自体のブランディングが急であるということです。むろんその背景には、劇場法の成立と大臣指針の公布、文化庁の補助事業である「劇場音楽堂等活性化事業」があるのは言うまでもありません。しかし、あわせて、アーツマネジメントがプロジェクト経営ばかりを指すのではなく「施設機関経営」を意味することに現場が気付き始めていることが当事者意識の大きな変化です。本来、「アーツマネジメント」とは、プロジェクト経営ではなく、60年代半ばの米国でのその概念の発生の背景からも劇場やホールや美術館などの施設や機関の経営を意味していたのであって、その意味では日本においては地域の公立劇場等でようやく本来のアーツマネジメントの指し示す実体に近くなってきたと言えます。この時点で、白井氏の「プロジェクトの質を売りにした宣伝」という前提は近年に至って崩れてきていると言えます。

アーツマネジメントは三つの主要な柱によって構成されている概念と私は言い続けて来ました。その三つとは、

1 Arts Marketing(顧客との関係づくりマネジメント)

2 Arts Finance(芸術財務)

3 Human Resource Management(組織と人材のマネジメント)

であると考えています。

このなかで、ブランディングとクラウドマーケティングに最も関わるのが[1]のアーツマーケティングです。したがって、このアーツマーケティングが十全になされてクラウド(不特定多数の人々)との「関係づくり」と「身内意識」が共感と共創と賛同の相乗作用で出来あがり、ブランディングが推し進められ、ブランド力が高まって、クラウドファンディングの可能性が高まると言って良いでしよう。逆に言えば、それが可能になって初めて、自治体によって設置された公立の劇場が、名実ともに「公共劇場」と呼んでよいものになるのだ、と私は考えています。

アーツマーケティングとは、劇場と不特定多数の人々が「共感と共創と賛同」を梃子にして強い信頼関係を結ぶコミュニケーションの作法と言えます。その限りにおいては、むろん一プロジェクトへの「創客」と捉えても間違ってはいないのですが、それでは当該劇場の商圏内のみでのマーケティングでしかなくなってしまいます。私が目指すのは、あるいは「公共劇場」としての社会的認知を得る広範囲へ向けたブランディングなのですから、対象はあくまでもすべての日本国民であり、そうなってこその「クラウド」であると考えるのです。また、上演される一プロジェクトということになれば、前述したようにそこには多様な芸術的評価が入ってくる余地を与えてしまいます。そのことでクラウドのマーケットはきわめて狭隘なものになってしまいます。

芸術的評価は多様であるべきですし、むろん、それが健全であると私は考えます。一方、社会的評価(教育・福祉・保健医療・多文化等)は、人間の社会性と普遍性に依拠しています。CSR(社会的責任経営)への共感や共創や賛同という「身内意識」が、個々人で芸術的評価のようにまったく異なるという多様性はありえません。むしろ、人々の社会的正義という普遍的な価値観に依拠しているから比較的一様であると言えます。したがって、劇場をマーケティングするには、一プロジェクトではなく、舞台の出来不出来に左右されない劇場の社会包摂性(公共性)でもって「共感と共創と賛同」の関係づくりを築き、「身内意識」を創出します。

アーラはそういう哲学と信念で経営されています。文化芸術に関心の薄い人にも「新しい価値」となるような劇場を目指すべきと考えて来ました。演劇や音楽に特別な関心を持っていない人でも「あっても良いのでは」という思いになる劇場ホールを、私たちはこれまでも、そして今後も目指すべきと考えています。「芸術の殿堂より人間の家を」、「アーラまち元気プロジェクト」などに色濃く反映されている、人々の幸せな生活をおくる権利(憲法第十三条)に依拠した劇場経営への共感と、それを共に創り上げようという人々の意志によって、「クラウドファンディング」の成立は視野に入ってくるのではないでしょうか。公益財団法人であるので、寄付者が税制上の寄付金控除も受けられるという、導入のための環境は整っています。

現在アーラでは、近々の「クラウドファンディング」の導入を視野に入れた制度設計の取り組みをしています。500円からできるファンディングを構想しています。集まった金額の多寡ではなく、共感してくださった人の数こそが私たちの力になると思っています。そのためのキャンペーンの制度設計は大変難しい作業になっています。大口の寄付者ではなく、数多い小口の寄付者に制度が届くのには何を為すべきなのか。私がアーラから退くまでの大変に難しい宿題です。