第152回 「経験価値経営」というアーラの経営手法の原点を概観する。

2013年9月7日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

たとえば、「価値観が変わるような感動」、「心が動いていく刻々の変化への驚き」などの経験価値をマネジメントするのが劇場ホールのビジネスと言えます。県立宮城大学事業構想学部・大学院研究科で学生や院生と向かい合って、私に突き付けられていたのは「芸術と社会の架け橋」というような抽象的な言葉では説明しきれない、実際的なアーツマネジメントの手法を詳らかにすることでした。「芸術と社会の架け橋」などという言辞では何ひとつ説明したことにならない、現場に立った時に何の役にも立たないというのが、長年の現場経験から私が実感していたアーツマネジメントの外郭でした。

劇場ホールという場所では、1000人の観客・聴衆がいれば、1000の「物語」が生まれます。さらに言えば、年間10万人の来館者がいれば、10万の「物語」が劇場への記憶として生まれなければならないのが劇場ホールのマネジメントだと、私は経験的に知っていました。年間多い時で430本の演劇を観て、加えて趣味として音楽やオペラを鑑賞していた経験が、「物語消費」というのは、そこに「いる」人間の数だけ行われていることを実感していました。私のアーツマネジメントやアーツマーケティングの出発点は、この「実感」を基盤としています。

米国のコミュニタリアニズム(共同体主義)の哲学者アラスディア・マッキンタイアは、「人間は何かを理解するために物語をつむぐ存在である」と書いています。さらには、「行為の連続体が理解可能となるためには、ある文脈が必要」とも書いています。ここで言う「文脈」が「物語」(narrative)であることは自明です。対人的なコミュニケーションしかり、風景の記憶しかり、交渉事しかりです。舞台と観客のあいだに「起こる」ことしかり、劇場ホールと人々のあいだに派生するブランディング(社会的信頼)もまたしかりです。劇場ホールに対するロイヤルティ(帰属性)も「物語」によって獲得された個人的な「変化」の集積値です。あらゆる経験と体験は個が紡ぐ「物語」によって獲得され、さらに大きな「物語」に連なっていくのです。さらに大きな「変化」に連なっていくのです。 この「物語=変化」をマネジメントするのが、アーツマネジメントであり、アーツマーケティングではないか、という思考の輪郭に私は行き着いていました。

舞台芸術や劇場ホールは「プラットホーム型商品」と言えます。サービスマネジメントの研究者近藤隆雄氏によれば「プラットホームに何を乗せ、どう意味を持たせるかは、顧客の創作にゆだねる」わけで、「経験価値」においては享受者の内部に起こることがすべてであることが自明のことと理解できます。したがって、劇場・ホールの職員の仕事は「経験価値」を高度化するための「演出家」としての仕事にほかならないのです。「経験価値」をより高度化して、より強いインパクトを生み、より大きな「変化」を演出するのが、アーツマネジメントであり、またアーツマーケティングだと私は考えています。すでに述べたように、「変化」は顧客にとってきわめて個人的な経験です。その個人的な経験の集積が社会の価値観の変容に連なるのです。「社会との架け橋」論には、それによって何を実現しようとするのかが欠落しています。アーツマネジメントとアーツマーケティングは、明らかに「変化した個人」と、その集積である「変化する社会」を果実とする経営思想なのです。

そして私は、ジョセフ・パインとジェイムス・ギルモアの、「Experience」という新たな経済価値に注目して、それを「経験経済(Experience Economy)」として理論化した『経験経済』という一冊の本に出会います。「商品」や「サービス」を経済価値のある「経験」へと変化させる努力をすべきである、という理論に行き着くことになるのです。「物語消費=経済価値」という概念です。これがアーラの劇場経営の骨組みであり、原点なのです。言うまでもなく経験価値は「ある刺激に反応して発生する個人的な出来事」であり、それは「自発的に生み出されるものではなく、誘発されるもの」であって、マーケッターは顧客にとって最も望ましい経験価値を獲得してもらうための最適環境を提供しなければならない、という考えに行き着くのです。これが「経験価値の演出家としての職員」というアーラの根幹の就業思想です。

ここで私たちは、従来から「常識」と思い込んでいた考え方の大きな転換を求められます。私たちが提供する「価値」は顧客の側の、観客・聴衆・来館者の数だけ生まれる「経験」の総和であり、必ずしも舞台芸術の単一的な芸術的価値を指すのではない、という厳然たる事実に行きあたることになるのです。「顧客の受け取る価値がすべて」という考え方で、従来からの「舞台の芸術的価値を売る」という考えからはテイクオフすることが求められるのです。「常識からの逸脱」です。作品を企画し、キャスティングをして、スタッフィングをした段階で「価値の確定」が起こるという考えは劇場経営者の意識から排除しなければならないのです。著名な演劇作家の舞台を見る、有名な俳優の演技に触れる、タレントのパフォーマンスとの同時性を楽しむ、ということも「経験価値」であり、それによってより多くの観客・聴衆を集客するという企画は間違ってはいません。

しかし、その「経験価値」が「変化」に連ならなければ本質的に「物語消費」とはならない、と私は考えています。私たち劇場ホール関係者が「価値」を決めるのではない、という立場に立脚しなければ「経験価値経営」は成立しません。「価値の決定権」という権限の移譲です。顧客への権限の委譲です。冒頭に述べたような「価値観が変わるような感動」、「心が動いていく刻々の変化への驚き」や「共有する経験によるコミュニティの創出」、「劇場ホールというサービス機関へのロイヤルティの発生」などの、Make a Change(内的に深い心の動きによって成果として外化する変化)こそが、本来的に求められる顧客志向の「企画」なのではないでしょうか。

私たちは、舞台や演奏やロビー環境などの「プラットホーム」を提供することによって「個人的な出来事」という、それを経験した人数だけの「価値」を生む機関なのです。公立機関としての劇場ホールは、自分たちが決めた「価値」を「どうだ、凄いだろう」と顧客に価値を押し付ける商業的な興行会社ではないのです。地域の公立の劇場ホールが「ハコモノ化」しているのは、そのような東京圏のプロモータ―の経営方法を無批判に踏襲してしまっているからなのです。中長期的に「価値」を発生させて、少しずつ関係資産を積み上げてブランディングする余地のないマネジメントをしているからです。「顔の見えない観客・聴衆」を相手にしている東京圏の劇場ホールとは、当然ですが、一線を画しなければならないのが地域の生きる劇場ホールのマネジメントとマーケティングなのです。観客・聴衆をマスとして捉えているのが東京圏の劇場ホールの手法ですが、本来は東京圏であっても、地域の経営手法に立ち帰るべきと私は考えています。リレーションシップ形成をベースとしたワン・トゥ・ワン・マーケティングを行うべきと思っています。「瞬間最大風速」の観客数に期待するのではなく、「継続的な固定客」という関係資産としての顧客形成をすべきではないかと思っています。