第123回 平幹二朗さんの『エレジー』での受賞が意味するもの。

2012年1月19日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

昨年8月末から1ヶ月半、キャスト・スタッフが可児に滞在して製作した『エレジー』で、吉村平吉役を演じた平幹二朗さんが、芸術祭演劇部門文部科学大臣優秀賞と讀賣演劇大賞男優部門優秀賞を受賞しました。『エレジー』は、アーラコレクション・シリーズの第4回目の舞台です。このシリーズは、新作重視の日本の演劇界に特有な風潮に対して、10年以上以前に上演されていて優れた作品であるにもかかわらず再演されにくい環境にあるものをリメイクして可児から東京と全国に発信する企画意図から毎年1作品を製作するものです。キャストとスタッフはおよそ1ヶ月の稽古期間と2週間程度の仕込みから場当たり、ゲネ、8ステージの本番を可児に滞在して過ごします。この間にまちに起こることは、キャストやスタッフとまちの人々との日常生活での交流です。人口10万人のまちで彼らが生活をしながら稽古をするということは、その波及効果は甚大なものになります。

私が4年前に可児市文化創造センターalaの館長兼劇場総監督に就任する1年前に企画したこのアーラコレクション・シリーズは、困難なことに遭遇することは予想できましたが、どうしてもアーチスト・イン・レジデンス(AIR)でやりたい、いや「やるべきだ」と思いました。それまでの多くの「地域発信」が、東京で稽古をして地域で初演して再び東京に戻って公演をする、という詐術のような仕組みで行われていました。これでは「地域発信」のもつ意味がまったくありません。それがたとえ顕彰され賞を受けたとしても、それをわが身のこととして心から喜べる市民はどれだけいるのでしょうか。このシステムは、俳優が当該地域に来たがらない、東京を留守にすることに不安を感じるからキャスティングが困難になる、交通費、滞在費などの経費がかさむなどの製作者側の都合勝手で「東京稽古」になるわけで、それで「地域発信」というのはまさに「詐術」です。

「東京一極集中」は、とりわけて演劇では際立っています。そういう日本の演劇状況にあって「地域発信」を試みるということはそこにたとえ小さくとも風穴をあける、その先に東京一極集中をブレイクスルーするというデザインがなければ、「地域発信」はほとんどの意味を喪失してしまいます。また、キャストやスタッフが地域に長期間滞在することでコミュニティに起こる化学反応に無関心である、ということはカンパニーのマーケティング機能を放棄してしまうことを意味します。可児で8公演、およそ1600人の観客が劇場を埋めるということは、日常生活の中での鑑賞者開発のみならず、市民にとってはまちへの誇りとしての「投票行動」でもあるのです。可児市文化創造センターalaの演劇の固定客は4年間でおよそ370程度となっています。その差であるあとの1200強程度の観客は明らかに「投票行動」だと推測できます。

30人前後の「市民サポーター」がこのプロジェクトでは発生します。かれらは道具や衣装作りのサポートから、自宅で調理したものをお茶場に並べます。地元の食材を運びこんで滞在しているキャスト・スタッフの食生活をサポートしてくれます。むろんその中でキャスト・スタッフとサポーターのあいだには緊密な人間関係が出来ます。彼らは東京公演にも可児からやってきます。「投票行動」としての観客、舞台づくりを後方支援する「市民サポーター」、そのなかから「新たな固定客」が生まれていくのです。したがって、確かに交通費や滞在費の固定費はかかるのですが、投資経費としての位置づけでそれらの費用対効果は十分な成果が見込めているのです。地域への波及効果を放棄してしまう「東京発の地域発信」が地域にもたらすものは、たとえ経費を削減しても、何もないと言っても良いでしょう。

平幹二朗さんの今回のダブル受賞は、可児市民にとって驚きと同時に誇りをもって迎えられています。私としても、地域滞在型というシステムで賞がとれたということで、「東京稽古」でなくても顕彰される舞台が創れることを証し立てたと思っています。滞在する皆さんは本当に可児を楽しんでくれます。地域滞在で稽古をすることの豊かさを感じていただきます。大きな稽古場を占有する創造環境の素晴らしさを堪能していただけます。今年はマキノノゾミさんの『高き彼物』を初めて作家自身で演出します。再来年はチョン・ウシンさんの『秋の螢』を松本祐子演出で製作します。旧作に再び光をあてる作業を今後も地道に続けていきます。平さんの今回のダブル受賞は、そういう地域でのささやかな試みの背中を押してくれるものと、私たちは受け取っています。