第122回 「3・11」が社会と劇場を近づける  この機会を逃すべきではない。

2011年12月23日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

劇場・音楽堂等の制度的な在り方に関する検討会の第10回目が開かれて、11月15日に提示された「劇場・音楽堂等の制度的な在り方に関する中間まとめ(案)」の修正がパブリックコメントを経て、大きくなされました。何よりも、私が従前から主張してきた劇場・音楽堂の「社会包摂機能」が大きく取り上げられたことは、劇場・音楽堂のみならず、パフォーミングアーツそのものを社会と近づけるという意味で、本当に喜ばしいかぎりです。舞台芸術が持っている社会的機能は多様であり、社会に対して大きな効用のあるものだと信じて疑いません。目の前で自閉症の女の子の心が開いていくのを、また重度の身体障害者と保育園の年長さんたちが頬を合わせてワークショップをする光景を見ている者としては、舞台芸術が人々の生活から遠いもの、無縁なものとされていることに何とも言いようのない違和感を感じてきました。「違和感」を感じた時が自分の「変わるチャンス」であり、他者や社会の価値観を「変えるチャンス」というのが私のアーツマネジメント観ですから、「社会包摂機能」が織り込まれたことで、舞台芸術が国民・市民の社会的必要に応じられる環境が整い始めたと感じています。本当に嬉しいかぎりです。

劇場・音楽堂を階層化して大きな金額の支援をしようとする劇場法(仮称)の芸団協案、平田オリザ案は、6月段階で急速に説得力を失っていきました。直接的には、多くの中小ホールにとって必要な法律であるべきという考え方が検討会の空気になったことがありますが、そうなったのには「3・11」が演劇や音楽に突き付けた問題意識があったと私は考えています。演劇人や音楽家たちの多くは、被災地の状況や被災者の心の現状の前で立ち尽くしたという表現がぴったりだったと私は思っています。そして、自分たちの携わっている「芸術」が彼らにどのような意味を持っているのかを考えはじめました。「平時の舞台芸術」はそんなことを考えなくても存在できたのですから、あらためてその「意味」を自問することで被災地と被災者に向き合ったのです。あまりに不用意ではなかったのか、という意見もあろうかと思いますが、それでも阪神淡路大震災の時にはそれさえも自問しなかったというのが正直なところです。「武庫川(兵庫と大阪の県境にある河川)を渡れない」と言った演劇人もいました。誤解を恐れずに言えば見て見ぬふりをしていた、というのが「芸術家」の状態でした。それを知っているだけに、「3・11」を機会として舞台芸術や劇場・ホールに携わっている人間が、もう一度自分たちの足元を見てみたというのは、今後の舞台芸術や劇場・ホールのあり方に少なからぬ影響を与えたという意味で歓迎することです。「3・11」後の舞台芸術には、何らかの「変化」が長い時間をかけてあらわれてくる、と希望的観測を私はしています。

私は、震災後に劇場・音楽堂等の制度的な在り方に関する検討会が再開された5月段階で会議の空気が変わったと感じました。その意味では、芸団協案や平田オリザ案が「3・11」にその意味を問われたのだと感じています。「その前にやるべきことがあるだろう」と被災状況や被災者の心情から激しく問われたのだと思っています。芸団協案や平田オリザ案の以前にやるべきことがある、というのが私の偽らざる気持ちです。それが言い続けてきた「社会包摂機能」の認知であり、その拠点施設としての劇場・音楽堂の存在だったのです。アーツは社会を健全に機能させるための公共財である、という認知を前提にしてはじめて芸団協案や平田オリザ案にリアリティが出てくるのではないでしょうか。「公共財だ」と自認しているだけでは何も進まないのです。大切なのは、最終受益者となるべき国民・市民の合意を抜きにこの法律は「不機嫌な決めごと」になってしまうことに留意すべきということです。芸団協案や平田オリザ案がリアリティを持つためには、ある「前提」が社会的に共有されなければなりません。今回の「中間とりまとめ」修正案は、その前提を社会全体で共有するためのメッセージであると私は位置づけています。

「社会包摂」を噛み砕いて分かりやすくしようとの意図が逆に分かりづらい文言にしてしまったという点が今後の課題ではあります。2000年12月の厚生省社会・擁護局による「社会的な擁護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会」の報告書において、新たな福祉課題に対応するための方法を導く理念としてソーシャル・インクルージョン(社会包摂)が位置付けられているのですから、素直に「社会包摂機能」と書き込んでも良いのではないかと思います。ともかくも、「劇場・音楽堂等の制度的な在り方に関する中間まとめ」の修正案の方向で法律としてまとめていくのなら、舞台芸術にとっても劇場・ホールにとっても、また国民・市民にとっても、「新しい価値」との出会いのプラットホームが用意されることになります。心から歓迎します。予断は許さないと思いますが、良い正月が迎えられそうです。