第120回 「幸福追求権」を担保する劇場音楽堂を。

2011年12月3日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

法務省から2011年版の『犯罪白書』が出ました。何らかの犯罪をおかしてしまった者と社会との適応の関係をみるうえで私が注目したのは、再犯者率(検挙されたうちの再犯者の比率)でした。再犯者率は96年を底にして一貫して右肩上がりで上昇しつづけています。今年の『犯罪白書』によれば、42.7%にもなっています。これは見過ごせる数値ではありません。統計を取り始めた89年以来最悪の数値だそうです。忌々しきことと言えます。また、少年鑑別所に入所した非行少年に「悪いことを思いとどまらせる心のブレーキは何か」と質問したところ、68.3%が「父母及び家族全体」と答えています。25歳以下の若年犯罪者という括りでみるとその数値は72.5%にもなります。いずれも「警察に捕まること」と答えた者は11%前後に留まりました。再犯抑止力としては、「家族のきずな」が警察を大幅に上回っています。逆に言えば、その「家族のきずな」が今日では希薄になっているということではないでしょうか。

少年院に入所しているあいだの親族による面会回数と再犯の相関関係も興味深いものです。面会なしか1回だと再犯比率が40.7%なのに対して、面会2回以上だと再犯率がおよそ半分になっています。再犯者率が96年を底にして上昇し続けて、今年の白書で42.7%という数字にもなっていることが「家族のきずな」と再犯の関係を如実に物語っています。少年院や刑務所でも、就労支援や定住先確保、職業訓練など再犯を防ごうと各種支援や矯正プログラムなどの対策を行っているようですが、何よりも「家族のきずな」が希薄となったことが再犯者率を上げているようです。

一方で、今年7月/9月期の正規従業員数は前年同期と比べておよそ50万人も減っています。反対に、非正規従業員は23万人増加しています。その非正規従業員の74%は年収200万円以下のワーキングプアであるとされています。同時期のGDPが年率6%の伸びになっているにもかかわらずです。新卒大学生の内定率は10月1日現在59.9%と、昨年よりは2.3ポイント改善しているとはいえ、就職氷河期と言われた03年に0.3ポイント及びません。日本社会の何かが大きく狂っている、と思わざるを得ません。とても「生きにくい」社会が形成されつつある、と感じます。ふたたび再犯に関してみてみると、保護観察終了時に「無職」だった少年の47.6%が再犯に及んでいます。再犯時期では、出所後1年以内が過半数、2年以内だとなんと約8割にもなります。再チャレンジのしにくい社会、不寛容な社会が出来あがりつつあると言えます。また、刑務所に入るのが2回目以上の再入者が4年連続で新入者を上回って56.2%を占めました。そのおよそ2割が5度目以上の入所者で累犯者の問題も深刻になっています。

ふたたび新卒大学生の内定率の経年推移をみると、労働者派遣法が大きく改正された99年に大きく落ち込んできます。再犯者率もまた、バブル崩壊後に上がり始め、派遣法が改正された99年に急勾配な上昇を示すようになります。この両者の符合が偶然であるとは私には思えません。「生きにくい社会」の別の観点からの統計数値なのだと私は思います。しかも、その「生きにくい社会」を生きるための支えとなるべき「家族のきずな」が希薄になっているのです。99年の労働者派遣法の改正は、日本の社会のかたちを大きく変えるほどの「曲がり角」だったのです。「自己責任」という言葉が盛んに閣僚から発せられるようになったのもこの時期でした。これらは決して偶然の一致ではありません。

英国北部リーズ市にあるウエストヨークシャー・プレイハウス(以下WYP)には、犯罪や麻薬と関わったティーンエイジャーの支え合う仲間づくりを音楽や演劇を活用して進め、成績優秀者にはリーズ音楽大学への推薦入学という制度を持った「ファーストフロア」というコミュニティプログラムがあります。英国も日本も社会事情は相似形なのです。犯罪や麻薬に決して手を染めないリスクヘッジとして、子どもたちをそのような誘惑から守るための放課後プログラム「SPARK」もWYPのコミュニティプログラムにはあります。「SP」はスポーツ、「AR」はアーツ、「K」はナレッジを意味します。それぞれの専門家を学校に派遣して、指導やワークショップをして放課後の時間帯の子どもたちの「居場所づくり」をしています。子どもたちの犯罪と麻薬との関係が午後3時から6時までの放課後に起きている、というデータをもとにしたプログラムです。ロンドンのナショナルシアターで1ヶ月の招待公演をする芸術的評価の高いWYPが、一方では地域社会の健全化のための汗をかいているのです。劇場やホールには制度を変える力はもとよりありません。しかし、その制度から生じる「歪み」を矯正する機能と、その「歪み」の発生を事前に防ごうという強い意思はなければなりません。

翻って、日本の公立劇場・ホールは何をやってきたのでしょうか。WYPはチャリティ法人格を持った有限会社で、いわば民間です。一方の、日本の公立劇場・ホールは、住民から強制的に徴収した税金で設置し、運営しているのです。どちらが「公共的」に機能しているかと言えば明々白々です。日本の公立劇場・ホールの多くは、一部の愛好者への効用にのみ特化している鑑賞施設でしかありません。WYPより優れているのは、地域の文化団体に劇場・ホールを廉価で貸したり、各種団体にこれも廉価で貸室をしている点ではないでしょうか。これはどの国の劇場・ホールをみてもなかなかお目にかかれない特徴です。「地域文化振興」という点では、日本の公立劇場・ホールは世界に類を見ない社会的効用をもっている施設と言えます。そのミッションにおいては充分に「公共的」であるのですが、アーツの持っている「社会包摂機能」を大きく社会に供給していない点では、後進的で、内向きの施設であると言わざるをえません。

「社会包摂機能」は、教育、高齢者福祉、障害者福祉、医療、失業者、多文化共生、まちづくりなどの社会や地域の健全化に資するものです。文化芸術とはそのような社会的効用を持つコミュニケーションの一形態なのです。今年2月8日に閣議決定された「第三次基本方針」では、 「子ども・若者や、高齢者、障害者、失業者、在留外国人等にも社会参加の機会をひらく社会的基盤となり得るものであり、昨今、そのような社会包摂の機能も注目されつつある」との認識が示されています。それを素直に「劇場音楽堂等」の在り方に敷衍すればよいのではないでしょうか。

あるいは、行政の縦割り意識が公立文化施設の機能を「文化振興」という単一目的に封じ込めているのかもしれません。おそらくは間違いないでしょう。しかし、憲法第十三条には、基本的人権の一つである「幸福追求権」が謳われています。公共の秩序に反しないかぎり、この権利は等しく国民に付与されているものです。現在文化庁で検討されている「劇場音楽堂等」は、障害の有無、年齢の違い、男女の違い、国籍の違い、職業の違い、社会的地位、所得の多寡にかかわらず差別されず、不利益を被ることなく、自己実現と自己達成の喜びを得ることのできる理念と運営に依っている「社会機関」であると私は考えています。そうでなければ国民・市民の合意は形成されないと考えています。すなわち社会包摂のための拠点施設です。この「幸福追求の権利」を担保するのが、まさしく社会包摂機能をもった「劇場音楽堂等」でなければならないと確信しています。「劇場音楽堂等」は、「芸術」ではなく、「人間」をど真ん中に据えてマネジメントをすることが、今の時代にとりわけ必要であり、社会からも強く求められているのではないでしょうか。そのような「公共的な使命」の遂行が、社会の健全化に向けての喫緊の課題なのではないでしょうか。「文化振興」という単一目的で対象となる受益者をみずから狭めることはない、と私は考えます。