第117回 稀代の名優「平幹二朗」の役づくりを間近に見る幸せ。

2011年9月26日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

今年もアーラコレクション・シリーズの季節となりました。清水邦夫さんが1983年に書き下ろした『エレジー』に取り組んでいます。暑い盛りの8月31日から、俳優、スタッフは可児市に滞在して、可児市文化創造センターalaの演劇ロフトを占有して稽古に励んでいます。今年は、「平幹二朗」という稀代の名優が可児市に滞在しています。この俳優の稽古場での姿勢、芝居に対する真摯さを目の前にできる幸せは、望外なものがあります。空気はすっかり秋になって、稽古場は追い込みに入っています。「清水邦夫の世界」がさまざまに、そして色とりどりに登場人物の物語を乱反射させて稽古場をいっぱいに充たしつつあります。

今回で4回目になるアーラコレクション・シリーズは、私が可児市文化創造センターalaの館長兼劇場総監督に就任して始めた作品製作事業です。かねてから、かつて観て心を激しく揺さぶられた舞台が「演劇史」のなかだけに眠ってしまう日本の業界の悪しき特徴をなんとか変えられないかと思っていました。再演を嫌う傾向が日本の演劇界にはあります。マスコミも再演はなかなか取り上げずに、新作優先に走っています。それによって「才能」が消費されてしまう、という悪習が繰り返されています。私の良く知っている劇作家は、大きな演劇賞を受賞して一気に注目され、一番忙しくしていたときは年に5本の新作を書いていました。作品を残す、というより次から次に消費しているという感じです。

その悪しき傾向に警鐘を鳴らす意味で、アーラコレクション・シリーズは始まりました。10年以上以前に上演されて再演されていない作品に新たな生命を吹き込もうとする企画です。可児と東京と10都市前後の地域公演で、4年目でおよそ25から30ステージのプロジェクトになりました。いま創っている『エレジー』は、可児8ステージ、東京8ステージ、地域11ステージで、能登演劇堂で大千秋楽を迎えることになっています。『エレジー』は、平幹二朗主演、蜷川幸雄演出でパルコ劇場(当時は西武劇場)上演された清水邦夫さんの傑作『タンゴ冬の終わりに』の前年に、宇野重吉という名優に当てて書かれ、宇野さん自身の演出で劇団民芸公演として上演された作品です。「老い」と「家族」を縦糸にして、横糸に「仄かな恋心」を配して紡がれた物語は、30年近くたった今でも少しも古くなっていません。古くなっていないどころか、「いま」を書き下ろしたように生命の輝きを失っていません。

東京では、「平幹二朗」は可児にレジデンスはしていないで、『エレジー』の稽古は東京でやっているのではないか、と巷間ささやかれているようです。「平幹二朗」は、そう噂されるほどの大俳優です。可児のような岐阜県の小さなまちに「平幹二朗」が行くわけはない、と思われているようです。それに従来からのほとんどの「地方発」の舞台は、東京で稽古をしているのが実態です。それを地域に持って行って「地域発」として上演するのが慣例となっています。私はこれを善しとしません。私たち劇場が売っているのは「舞台」だけではないのです。「舞台」や「演奏」だけをサービスしているというならば、何処で創ろうと何の問題はありません。しかし私は、顧客(市民)の価値、生活、欲求から劇場経営を考えます。私たちがサービスしているのは「舞台」や「演奏」そのものではなく、それが観客一人ひとり、あるいは市民一人ひとりの裡で生成することになる「新しい価値」や「変化」をサービスしているのだと私は考えています。

したがって、「平幹二朗」が私たちの町の劇場に滞在して稽古をしている、私たちと同じ風を感じている、私たちと同じものを食べている、という共生感や共感もまた、劇場が市民へ供給するサービスのひとつと考えているのです。「自分たちのまちへの誇り」もまた私たちが供給できるサービスであり、滞在型事業が生成する社会的効用なのです。アーチスト・イン・レジデンス型事業の社会的効用は広範囲に地域に波及します。創造した成果である舞台のみならず、そのプロセスが地域社会に与える効用は甚大なものがあります。その結果として、1600人程度の観客動員がされます。可児市には、そんなに演劇好きがいるわけではありません。「わが町への投票行動」としてチケットを購入していただける方々が存在するということです。地域に滞在したくない傾向にある俳優を説得するキャスティングの苦労はありますが、東京で創って地域で発信するという「温泉土産」のような舞台や演奏は、東京から作品を購入する「買い公演」と大差ない、と私は思っています。観客は「舞台」という商品・製品だけを体験しにくる、と考えているから、東京で稽古する、という発想が出てくるのだと思います。

「平幹二朗」という俳優の凄さは、稽古前に自分の役の「平吉」の衣装を自前で揃えて劇場宛てに送ってきたことでも分かります。稽古に入る前に役づくりのラフスケッチが出来あがっているのでなれば、そんな芸当はできません。役者全員の衣装を演出の西川信廣さんと美術デザインの朝倉摂さんが決めていく衣装パレードが稽古初日から3週間後にあったのですが、一枚だけ持ち込んだ衣装の色違いを縫製することになりましたが、基本すべての衣装にOKが出ました。これは尋常なことではありません。稽古場にいても、彼は毎日、役や演技の解釈を何か持ち込んできます。稽古前に「ラフスケッチ」ができているということは、セリフが稽古初日には相当程度入っている状態でした。平さんの年齢を考えると、これは驚くべきことです。そして、稽古の進行に従って「平吉像」の輪郭がくっきりと浮かび上がってくるのです。「平幹二朗」という俳優の役づくりのプロセスに可児の劇場の稽古場で立ち会える幸せ、おそらく二度とない機会だと考えています。

長岡造形大学で『エレジー』の関連企画として、朝倉摂先生と舞台美術のワークショップをするために一日劇場を留守にした翌日、通し稽古に立ち会いました。驚きました。加速度的に舞台が仕上がっているのを感じました。平さんの「平吉」は、「老い」をさらに纏って、逃れようのない人間の宿命を漂わせていました。「野っぱらに立つ老いた樫の木」の風情をふわりとにじませる「平吉」になっていました。