第116回 コモンズ(共有地)としての公共劇場。

2011年9月1日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

「なんでこんなに沢山の人がいるのだろう、しかも何もやっていない昼日中から」と最初はキツネにつままれた気分にさせられた劇場が北部イングランド・リーズ市にありました。ウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)です。その前にも、テムズ川南岸のウォータールー橋のたもとにあるロイヤル・ナショナルシアター(RNT)で同様の印象をもったことがありました。しかし、RNTはロンドンの、しかもロンドン市民や観光客の散策ポイントであるテムズ河畔にあるのだから、それほどの不思議は感じませんでした。WYPを最初に訪れた日はウィークディでした。なのに、その人の多さと、いかにも其処にいる時間を楽しんでいる市民の様子に、非常に強い衝撃を受けました。

モスクワ、レニングラード、パリ、ロンドン、ニューヨーク、ロスアンジェルス、北京、ソウル、ポートランド、それまでに行ったことのあるまちの劇場では、開場時間が近づくと人だかりができることはあっても、極論すれば「四六時中」おしなべて人で賑わっている劇場は、まったくありませんでした。50代に入ったばかりの私には初めての体験でした。「何かイベントでもあるのだろう」と最初は思ったのですが、夕刻からの演劇公演はあるものの、昼前から公演の開場時間までの間には何もないという説明にただただ驚きました。リーズを訪れる直前、私は、スペインのバルセロナで開催された国際文化経済学会世界大会で、『Public Theater as a Means of Community Revitalization(コミュニティ再生装置としての公立劇場)』という論文を発表していました。97年に上梓した『芸術文化行政と地域社会 ―レジデントシアターへのデザイン』の延長線上にある研究論文でした。その翌日に初めて訪れた北部イングランドのまちで、発表論文の論旨と寸分も違わぬ機能をしている現実の劇場のなかに身を置いていました。私は「不思議」の中にいました。驚愕していました。まさしくコモンズ(共有地)と呼ぶに相応しい地域劇場でした。1998年のことです。 日本にこういう地域劇場が地方毎にあったら、日本は風通しの良い、心豊かな素晴らしい国になるだろう、と思ったものでした。

『芸術文化行政と地域社会 ― レジデントシアターへのデザイン』は、教育、福祉、医療と地域劇場の社会的機能のマッチングを構想したものでしたが、それはあくまでも机上での研究に過ぎないものでした。私が日本にWYPのような劇場をつくることを夢想しはじめたのは、この年からです。そのためには「何をなすべきか」と考え始めたのはWYPに出会ってからのことです。その直後に私は、「北海道劇場計画」に委員として、のちに主査として関わることになります。劇場計画には机上の構想ではない「当事者性」が絶対条件であると考えて、フィリップ・コトラーやセオドア・レビットのマーケティング理論にのめり込んで行きました。「当事者性」を身につけないと「壮大なハコモノ」を造ってしまうと思ったからでした。マーケティングほど「当事者性」が求められる経営分野はないと思っています。先達のマーケティング理論を透かして、WYPの「不思議」を読み解く作業に明け暮れました。

北海道劇場を「コモンズとしての地域劇場」にするためにはどのような経営理論で運営すべきか、どのような組織体系が必須か、どのようなサービスシステムを構築すべきか、コモンズとして機能するためにはどのようなマーケティングを必要とするか、複雑に絡み合った作業に糸口が見え始めたと思ったときに知事の交代があり劇場計画は「瞬間凍結」となってしまいました。その後、数年間の教員生活のあとで可児市文化創造センターalaに来ることになりました。ここでも私は「コモンズとしての地域劇場」というデザインに向かうことになります。多くの人々が集い、語り合い、知り合い、打ち解ける劇場づくりを目指すことになります。北海道劇場で目指したデザインを、ダウンサイジングして可児市文化創造センターalaで「コモンズとしての地域劇場」を実現しようと考えました。結果として、23万人だった年間来館者数が、私の4年間で33万人超となりました。有料入場者数は260%伸びて、客席稼働率も171%伸びて84.8%となりました。あらゆる年代層の人々が集い、さまざまな価値観を持った人々が語り合い、知り合い、笑顔で打ち解ける「コモンズとしての地域劇場」に少しずつではありますが、近づいているという実感はあります。

私の古い知人である英国の演出家と、何も催し物のない新国立劇場を訪れたとき彼女はこう呟きました。「エンプティ!」。「空っぽじゃないの」くらいの意味でしょう。日本では新国立劇場に限った事ではないです「エンプティ」なのは、と私は説明しました。それは、演劇やオペラやダンスが日本人の生活に根付いていないからだという見方があります。そうではない、と私は思っています。劇場経営サイドが、何かの公演の時にだけ多くの人が集めればよい、と考えているからだと思います。「集客」しか考えていないからです。「販売」しか考えていないからです。劇場やホールを借りて公演をする芸術団体の従来からの経営手法をそのまま水平に移行させているだけなのです。芸術団体は、貸館で公演を打っているのですから、劇場それ自体に関心が向かないのは当然です。したがって、「券売」だけにしか関心がないのです。同然と言えば、当然です。「セリング(Selling)」であって、売れる環境を創る「マーケティング(Marketing)」には関心が向かないのです。

ピーター・ドラッカーの「究極においてマーケティングはセリングを不要にする」という警句を実感できない経営です。「今日」の1枚に囚われている考え方です。経営は「明日」をデザインし、「未来」を実現するための手続きであり、スキルです。公立劇場・ホールに必要なのは、場のブランディングを進化させるためのマーケティングです。市民や国民とのリレーションシップをマネジメントする機能です。それが「売れる環境づくり」を促します。「エンプティ」なのはマーケティングが不在だからです。公立の劇場・ホールが「コモンズ」として機能するためには、戦略化されたマーケティングが必須です。「芸術団体の貸館公演」に慣れてしまった、あるいはその「常識」を覆せない日本の劇場経営者にとって、マーケティングは理解不能な語彙と言えそうです。芸術団体の制作者と劇場経営者とは類似する意味さえない、真逆に機能する存在であり、思考回路自体が異なっていると言えます。実は、公立劇場・ホールの現場にいる職員も、芸術団体の制作者のように「明日」は見ていないのです。「未来」を見通して仕事をしている者はほとんどいない、と言えます。日本の公立劇場・ホールが「エンプティ=ハコモノ」なのには、そういう背景があるのです。

それでも「日本人の生活に根付いていない論」を言う向きはいるだろうと考えます。それも実のところ、舞台芸術の成果自体をマーケティングしてこなかった「ツケ」なのです。マーケティングとは「関係づくり」の作法です。許容される範囲のミステークであるなら「関係」は毀損しませんが、正直に告白すれば、年間300本前後の舞台を観ていた演劇評論家時代でも、「これは一生ものだな」と思える舞台は年間2、3本あれば良い方でした。それでも日本の観客や聴衆は優しいから、拍手もするし、スタンディングオベーションもするし、「ブラボー」を叫ぶ輩もいる。外国ではつまらなければ上演中なのに途中で退席します。なかには、そうまでしなくてもと思うが、わざわざ舞台の最前列の通路を通って出て行く観客さえいます。

日本の舞台芸術人は観客・聴衆の優しさや人の良さに甘えてはいないだろうかか「粗製乱造」の新作主義。これでは「関係」は大きく毀損します。シジフォスの神話ではないですが、積み上げても、積み上げても、積み上げるそばから崩れていくことになります。一度壊れた顧客との信頼関係は、そう簡単には回復しません。マーケティングは、持続継続的な働きかけであり、螺旋状に「関係」を進化させる顧客との関係づくりのマネジメント作法です。ですから、そもそもマーケティングを進捗させる土壌が日本の舞台芸術界にはない、と言えるのかも知れません。それともマーケティングという考え方自体がなくて、顧客とは一度限りの「仮初の恋」、「行きずりの恋」でよいと考えているのかも知れません。それで自然と「粗製乱造」の新作主義に流れてしまうではないでしょうか。顧客との「関係」をさらに深め、進化させることのできる評価の高い作品の再演をもっとすべきではないか。マーケティング意識があれば、作品選定と舞台創造にはもっと慎重にならざるを得なくなると思われます。そうなれば、芸術団体の経営が健全化する傾向に向かうはずなのですが。

芸術団体の経営とマーケティングとの乖離の話がいささか長くなりました。公立劇場に必要なマーケティングとその成果としてのブランディングを考える上で避けては通れないのでお許し願いたい。縷々述べてきたように、「コモンズとしての公立劇場」を実現するには、いま現在の経営手法からテイクオフしなければならないと、私は考えています。「セリングからマーケティングへ」を徹底すべきと確信します。人々が集う劇場、地域の公立劇場・ホールにはそういうまちのセンター機能が社会的・公共的使命としてあると思います。そのために組織改革と職員の意識改革は必須です。市民とのリレーションシップをマネジメントすることが、職員の重要な仕事となります。「ハコモノからの脱却」です。仕事への向かい方を180度転回させることなので、そう簡単で出来る改革ではありません。多くの困難に立ち向かわなければならないでしょう。ウェブ上の『館長VS局長』に書きましたが、可児市文化創造センターalaも、山の頂と谷の深さを一緒に見上げるような地点から出発したのです。何処でもできる、とまでは言いませんが、自分たちのいまいる場所を変えたい、という意欲さえあれば「コモンズとしての公立劇場」へのスタートラインに立ったことになります。全国に20館程度の「コモンズとしての公立劇場」ができれば、その社会的効用は計り知れないと夢想しています。