第114回 被災地アウトリーチ【報告】(ala Timesより転載)

2011年8月25日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

多文化共生のシンポジウムを15時に終えてすぐに名鉄に飛び乗り、7月30日に盛岡に入って、31日から岩手県の山田町、宮古市、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、8月4日から宮城県の亘理町、山元町、石巻市、七ヶ浜町の10市町11か所を被災地アウトリーチで回ってきました。昨年アーラで上演した『恋文vol.1』から九篇の恋文を山本陽子さんが読み、上田亨さんのピアノがバックに流れる、という40分程度のプログラムです。3月末の陽子さんからの申し出で急遽動き始めたプロジェクトです。アーラが被災者にできることは、「きずなの募金箱」の設置と「祈りのコンサート』で「可児市民は決して、忘れない」のメッセージを送ることと、アーラで上演して、涙の流せない被災した人々に今日は心おきなく泣いてください、と贈る九篇の「恋文」だと私は思っています。町が一瞬にして根こそぎなくなる、という信じがたい出来事。どの町にも言葉では言い尽くせない「空気」が漂っていました。

その中に飛び込んで行くということは、胃が痛くなるほどの緊張感を伴って、すべての思い出を奪われた人々と向かい合わなければならない勇気が必要でした。山本陽子さんの表情もいつになく硬くなっていました。山田町では喫煙所のあたりで被災者の方々と自然発生的に交流の輪ができ、タオルで鉢巻をした漁師のおっちゃんが陽子さんに「ヨッ、久しぶり」と軽口を言い放って輪の空気が一瞬にして和みました。

阪神淡路大震災の例でいえば仮設住宅はあまり人が外に出ていないのですが、宮古市の水産学校グランドに建てられた仮設では、私たちが早く到着したこともあり、1時間半前から陽子さんを中心に多くの人たち交流の輪ができました。子供たちのはしゃいだ声が仮設に轟いていました。きっといつもと違う仮設住宅だったのではないでしょうか。「恋文」の朗読が終わって陽子さんが一人一人に声をかけて握手して回っていたとき、陽子さんにすがって泣き崩れたお母さんがいました。皆、一様に泣きじゃくっていました。涙が流せてよかった、と思いました。あまりのことに泣けなくて、泣けないことがストレスをさらに大きくさせてPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症するケースが多いのは知られているところです。

被災地に入った7月31日は、ちょうど祖先の霊を迎える「迎え火」の時季でした。被災して土台しかなくなった家々らしき場所で迎え火は焚かれていました。家は流されても、祖先の霊は迎え火にユラユラと浮かび上がる顔や声を頼りに今生に帰ってくるのだな、と思いました。関東はオガラを焚くのですが、被災地ではオガラが手に入らないのか小割りした焚き木が闇のいたるところで燃えていました。迎え火で花火に火がつけられていました。花火のはぜ火がきれいに闇と顔をユラユラと彩っていました。そこはかとなく哀しい光景でした。

言葉を無くして私たち皆が黙りこくってしまったのが陸前高田市の、海岸から山裾までが根こそぎ津波にさらわれた光景でした。陸前高田第一中学校の避難所と隣接した仮設住宅での「恋文」公演でしたが、良くもあんなに根こそぎ被災した町で生き残った人がいると思いました。奇跡のような人々との出会いでした。皆が誰かしら近親者を亡くしていました。ここでも皆さんが泣いてくれました。「こんなに心にしみる静かな慰問は初めて」と印象的な言葉をかけてくれた方。杖をついてやっと歩いて私に近づき握手を求めた八十がらみのお爺さん。私たちが準備をしているとき、明日避難所の体育館でエアロビクス番組の収録をするNHKのスタッフが大音量の音楽と、「テストッ、テストッ」の耳障りなマイクチェックをしていました。皆さんが段ボールで区切られた布団に横になって心と身体を休めているのに、です。私は怒りで奥歯を食いしばっていました。何も避難所でエアロビクスをやることもないのに、と思いました。この無神経さ、慰問する人間に非常に多いそうです。その意味でも、陽子さんを中心にした「恋文」の心を届ける今回のプロジェクトは行く先々で歓迎されました。神戸のときに実際にあった酷い罵声を浴びされるのではという危惧は杞憂に終わりました。町を根こそぎ奪われた人々から、私たちは「元気」と「勇気」をもらってきてしまいました。山本陽子さんは「来年も来るよ」といつもより元気です。「そんな約束していいのかな」と思いながら、私もちょっぴり元気になって帰ってきました。

陸前高田で岩手が終わり、次の日からの宮城に向けて盛岡に戻りました。盛岡は「さんさ踊り」でまっすぐは歩けないほどの賑わいでした。華やいだ表情の人々が十重二十重と踊っていました。沿岸部とのあまりの温度差に戸惑いましたが、これも霊を迎えるセレモニーのひとつなのだな、と思いました。踊り呆けて元気な今を霊に見てもらうのも、しめやかに家のあった辺りで火を焚くのも、ともに亡くなった霊の「迎え方」なのだと思いながら、さんさ踊りのざわめきの中を歩いていました。