105回 劇場の危機をどう「機会」とするか。

2011年3月25日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

今週、どうしても東京に行かなければならない用件があり、それを済ませてから時間があるので世田谷パブリックシアターのトラムで芝居を見てきました。サスペンデッズの『カラスの国』(作・演出 早船聡)です。「世田谷パブリックシアターフェスティバル」の参加舞台ということで期待していたのですが、酷いものを観せられた、というのが率直な感想です。早船さんは、一昨年の新国立劇場での『鳥瞰図』(演出 松本祐子)の作者でもあり、この舞台は随分と気に入りました。今年アーラでも2ステージ上演するのですが、今回は、出来不出来というよりも、作風のあまりの落差に唖然としました。「これは何が起こっているのか」と訝しく思いました。

「世田谷パブリックシアターフェスティバル」の作品のひとつであり、世田谷パブリックシアターの「主催公演」でもあり、文化庁の「優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業」の一環でもあるのです。「企画・制作」にも「世田谷パブリックシアター」のクレジットがあります。「主催」であり「企画制作」である以上、私は、すべての責任は世田谷パブリックシアターの側にあると考えました。あるいは、これが良い作品であると劇場側が認めたのでしようか。だとしたら、あまりに不見識と言わざるを得ません。サスペンデッズの自主公演なら、何らの問題はないのですが、世田谷パブリックシアターの「主催公演」であり、多額の補助金が投入されているのです。早船さんとの作品の創りこみという協働作業はなしに、劇団に「丸投げ」したのでしようか。たとえ「フェスティバル」であっても、そうであるなら無責任です。「主催」であることの責任の所在は何処にあるのでしょうか。これなら「貸館」と同じではないか、と思いました。実質的に「貸館」と何の違いもありません。「主催」でありながら、内実は「貸館」であるということは、全体誰が責任を持っているというのでしょうか。

もしも、このような「丸投げ方式」でいままでも主催公演をやってきたのなら、私は、世田谷パブリックシアターのアーツマネジメントの手腕に疑問符を投げざるを得ません。プロデュース能力に首を傾げざるを得ません。それは「世田谷パブリックシアター」が築きあげたブランドを棄損していると言ってもよいのではないでしょうか。「世田谷パブリックシアター」のブランド・エクイティを劇場の経営陣はどう考えているのでしょうか。私自身、劇場経営者の一人として、到底腑に落ちない気分になりました。公共劇場の「現在」に暗澹たる気分になりました。

実は、本稿の本題はそこではありません。『カラスの国』の客席があまりに淋しいことからある近い将来に生じる現実を思ったのでした。客席が薄いのは、計画停電のせいではないかと思いました。隣の席に座った大手紙の演劇記者から、何処の劇場も、震災以降、というより計画停電以降なのでしょうが、「客の入りが悪い」と聞きました。およそ800席のル・テアトロ銀座で、従来なら満席になるはずの人気カンパニーの客席が前方の席に200程度しか入っていなかったということでした。交通機関の不便があるのだから致し方ない、と思いながら、私は別のことを考えていました。

夏場に近付くと、現在より計画停電が厳しいものになるだろう、ということです。暑くなって冷房が使われると、東京電力管内で1500万キロワットの電力不足が発生すると試算されているようです。当然、計画停電も、現行のように都内の特別区(足立区、荒川区を省く)を例外にすることはなくなるでしょう。しかも、現在のように計画自体が前日や直近に東電から発表されるようなら、劇場の公演はお手上げになることは目に見えます。長く見積もれば、6月中旬から9月一杯は実質的な「劇場クライシス」となってしまいます。劇場は開けようがないという事態となります。それは劇団にとっても、いや劇団ばかりではなく、音楽団体にとっても、前例のない「危機」になります。電力不足は、旧式で閉鎖している火力発電所の再稼働と減炭素方式の新型火力発電所の建設まで、最低でも3年は続くのではないでしょうか。今年の劇場予約のキャンセルばかりか、もうすでに押さえてある来年の予約までもがキャンセルとなる事態が充分に予測できます。

私たち劇場関係者、舞台芸術関係者は、これから被災地の復興の進行を見ながら、こころのケアのための出動を考えることが求められます。あわせて、この「劇場の危機」をどのように回避し、「機会」とするか。私たち劇場関係者と芸術文化関係者は両にらみで考えなければなりません。

私はこの際、7月から9月の暑い時季には、東京電力や東北電力の区域外の地方の公共劇場・ホールと、私が可児ばかりか長岡、八尾でも仕掛けたような「地域拠点契約」を締結して当該地に滞在して稽古を重ね、そのあいだに演劇鑑賞会や他の公共劇場・ホールとの連携や営業活動を進めて地方公演を組むレジデント方式を採用したらどうだろうかと思います。東京公演は、地方公演でブラシアップした舞台で臨むようにできたら「危機」を「機会」とすることが出来るのではないか。夏場、とりわけ8月初旬からお盆時期を経て9月初旬までの公共劇場・ホールは閑散期です。ここに長期滞在して稽古を重ねることは無理なく可能なことです。

むろん、舞台稽古も地域の公共劇場・ホールで行わなければなりません。従来は部材その他の衣装や小道具がすぐに調達できる東京でやる方が効率的であると考えられていました。旅に出る折には、近郊の公共ホールを借りて舞台稽古を行い、足らない部材や器具や道具をすぐに調達するのが慣わしでした。さまざまな舞台関係の業者が東京に集積しているのですから、そのスキームを踏むことが合理的であったのです。しかし、その仕組み自体が不可能となるのです。これまでの「常識」を根底から覆さなければ、今後の状況に対応できなくなるのは自明です。柔軟に対応しなければならない事例として、木材の小割や垂木などの部材の寸法が、関東圏と中京圏、関西圏と少しずつ異なっているのです。地域には道具製作会社なく、東京圏に集積していますが、舞台稽古で部材が必要となった時に、寸法の違う部材を使用しなければならない不都合が生じます。それでも柔軟に対応する以外、これから将来するだろう事態を乗り切ることはできません。また、地域の衣装会社、小道具会社はおおむね舞踊用のみのリース会社です。借用価格も、使用機会が少ない分だけ高止まりしています。この場合には、当然ですが、東京の舞台関連会社からの取り寄せになります。非効率ですが、致し方ありません。

会館の長期利用は地方自治法の244条の【公の施設】の条項に従って議会の議決をとらなければならないので無理ではないか、との意見があると思いますが、これは現在では多くの公共施設では「裁量」でクリアしています。前例主義の行政財産の運用として、文化事業にプライオリティをおくこの「裁量」で可能です。たとえそれが無理だとしても、ならば議会で議決すれば良いだけではないでしょうか。「アーチスト・イン・レジテンス」でまちのにぎわいを創り出し、経済効果を見込めるとなれば、手続きは面倒になりますが、それは可能です。私は、無理筋だとは思いません。プロの芸術団体が地域に滞在して創造活動をするということは、地域の中小の公共劇場・ホールにとっては千載一遇の「機会」であるし、地域社会にとってもまたとない「機会」となると考えています。当該地域にも芸術団体にも、メリットのある仕組みだと思います。夏場に疎開して舞台を創り込み、秋にその成果を東京で公演する。現実的に考えれば、その方式しかないのではないか、と思っています。一極集中した舞台芸術の機能や技術や人材を分散化する「機会」であるとさえ、私は思います。地域の自治体にとっては、文化芸術による、いろいろな意味での「にぎわい」づくりの「機会」であると思います。

この話を演劇関係者や劇場関係者にしたのですが、ピンとこない風でした。しかし、3月22日の東京電力から出されたプレスリリースによれば、現在の5グループを25グループに細分化して、しかも予報マークが「実施する」、「実施しない」の他に「実施する可能性がある」という曖昧なものまであるのです。しかも、直近になって予報が出されるとなれば、劇場・ホールは身動きが取れなくなります。現に、計画停電区域内の公共劇場・ホールは、「計画停電期間」の利用停止を決めているのです。「計画停電実施予定期間まで」と掲示されています。これは、2、3年は劇場・ホールを開けられないということを意味します。あわせて、夏場に絶対に起こる大幅な「電力不足」です。そう考えれば、「危機」は絶対に起こる、と私は考えます。そういう「事態」への対応は、劇場のみならず芸術団体でも、いまからシュミレートすべきではないでしょうか。早すぎるとは思えません。むしろ遅すぎるくらいです。「危機管理」としては、どのようにでも対応できる体制は作っておかなければなりません。競合利用者が比較的少ない地域の中小の公共ホールもまた、受け入れのシュミレートはしておくべきではないでしょうか。期せずして「アーチスト・イン・レジデンス」が全国的に拡がることになります。従来の「常識」を捨てて、「危機」を「機会」にする発想をこの非常時に私たちは持たなければなりません。

サスペンデッズの『カラスの国』を観た後の帰り道、劇場についての二つのことを考え、頭をめぐらせた一日でした。