第68回 アーラコレクション・シリーズが始まった ― 滞在型創造事業の可能性。

2009年12月12日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

今年もアーラコレクション・シリーズの稽古が可児市滞在で始まりました。演出の西川信廣、俳優の音無美紀子、麻丘めぐみ、若松泰弘、村井麻由美の各氏が長期滞在して、「岸田國士小品選」― 『紙風船』、『葉桜』、『留守』の三本の短編戯曲を精緻な舞台に創りあげようと連日の稽古励んでいます。岸田國士の短編戯曲は、科白が比較的短いセンテンスによって構成されており、いわば行間に込められた「感情」や「情動」を掘り起こせばいくらでも「鉱脈」に行きあたる余白の多いものです。したがって、現在の稽古場は、その鉱脈を探り当てるための演出家と俳優たちとのディスカッションの様相を呈しています。岸田作品は、人間の「可笑しさ」や「切なさ」や「哀しさ」を地塗りにした人物のスケッチ画です。練達の西川氏の手腕で、「新しい岸田國士」が掘り起こされるのではないかと、プロデューサーの立場からも期待しています。この舞台は可児市文化創造センターで1月15日から、東京・新国立劇場で23日から公演されます。来年には北陸・関西・東海での公演が決まっています。

これまで地域発信の舞台は数多くありましたが、そのほとんどは東京で稽古をして創りあげ、地域から発信するという、私に言わせれば温泉や観光地の土産物屋に並べられている土産品のようなものでした。ニューヨークで買ったブルゾンが「MEDE IN CHINA」だった、と言えば分ってもらえるでしょうか。

なぜそうなるのかと言えば、第一に東京で製作するほうが予算は膨らまないからです。それに必要なものをすぐに調達できる地理的条件があるからです。東京で製作するとキャストやスタッフの滞在費がかかりません。これだけで百万単位の予算が軽減されます。小道具や衣装などの調達先が近くにあって、急事の際の手当てが容易であり、便利であることも東京で製作するメリットです。

第二には、キャスティングが比較的容易であることが挙げられます。地域滞在だと、俳優たちは東京での映像やテレビなどの仕事ができません。芝居の稽古とその他の仕事を並行してできないのは、俳優にとっては一種の「恐怖」です。いろいろな所に出演することが、彼らにとってはいわば「営業活動」を意味するからです。同時に、一時的であっても東京を離れることには「恐怖」が付きまといます。「人気稼業」なのですから、そのように心が働くことは当然ではあります。副業やアルバイトをしないと食べられない俳優には、地域に長期滞在することは死活問題です。舞台をつくるには最低でも一ヶ月程度の時間が必要です。それに舞台の仕込みや舞台稽古や公演期間を加えれば、45日間程度は東京を留守にしなければなりません。したがって、可児滞在で稽古と本番を、という条件は非常に高いハードルなのです。アーラコレクションでキャスティングの困難さは嫌というほど味わっています。やはり、まだ可児市滞在を、たった1ヶ月でも敬遠されます。来年度から始める「シリーズ恋文」は、3日間の稽古と2日間の公演で5日間の可児滞在です。現在出演交渉をしていますが、これでも敬遠する傾向はあります。

それでも私は、地域滞在型に拘ります。それは、長年私が言い続けているマーケティングの手法である「創客」と深く関わっているからです。観客を多く集める舞台が必ずしも「良質の舞台」ではないないのは言うまでもないことですが、それでも一人でも多くの観客を迎えてこその舞台芸術だと思います。地域滞在型の舞台製作は、滞在期間中のすべての時間が「創客」の機会となります。シンプルに言えば、市民と関わる、あるいは市民の耳目を集める機会がいくらでもあるということです。そういうマーケティング機会がある、というだけで地域滞在型には価値があると私は思っています。

「創客」のマーケティング機会がある、ということは、俳優やスタッフが豊かな創造環境や生活環境に置かれることと同義です。地域滞在型は、市民に支えられ、市民の想いにつつまれて作品創造の日々を過ごすことを意味します。身近にいる市民たちの期待を日々、折々に感じることになります。作品にとっては、あるいはそれに関わる人間たちにとっては本当に「幸せな時間」と言えます。それでなくとも、東京にいる時のように様々な「雑音」に妨げられることなく、演劇づくり、役づくりに集中できる「豊かな時間」があるのですから、これらの要素が加われば演出家や俳優にとっては至福の時間となるのは言うまでもありません。そのうえ、一軒家、マンスリーマンション、ホテルとそれぞれの選択で場所は違っていても、同じ時間を、同じ土地で過ごすのですから、良好なチームワークを短期間で形成できることになります。楽しい稽古場からは、観客の心を揺さぶる「良質の舞台」が生まれることは、40数年の私の評論家生活からの経験値で知っています。

「創客」の機会は、たとえば昨年の『向日葵の柩』では、作者の柳美里さんとアーラのアドバイザリー・スタッフの朝倉摂さんと、多数の市民が向日葵の絵を描いて、公演終了までおよそ2ヶ月間劇場に展示することをしました。郊外の一軒家に滞在していた主演の山口馬木也さん宅でのキャスト・スタッフと市民との交流会をはじめ、その食材を近くのスーパーで買い物をしている彼を取材してもらって、可児のフリーペーパーに7ページの特集を組んだりもしました。むろん、新聞記者と演出家、出演者との懇談も比較的ゆったりとした時間で組めました。稽古を市民に公開することも容易に企画できます。可児市民たちと「同じ食べ物を食べ」、「同じ空気を吸い」、「同じ環境」のなかで『向日葵の柩』が形づくられているのを市民が体感してくれます。これが「投票行動」としての観劇に結びつきました。10万2千人のまちで1600人を超えるお客さまを迎えることができました。住民の64人に1人が観劇したことになります。

今年は、稽古初日の「顔寄せ」の公開、東京では考えられない早い時期での本番の舞台装置の仕込みと舞台美術家の道具調べ、衣装合わせ、鬘合わせ、それぞれを新聞記者に公開して記事にしてもらいます。1月の事業である「初席」のホワイエに飾る鏡餅をつくる餅つきに、演出家と出演者に参加してもらいます。年明けから公演終了まで、舞台美術と衣装デザインを担当している朝倉摂さんの「朝倉摂、猫を描く」という展覧会を開催します。公演初日には、毎日市民によって行っているイルミネーションの点灯式をやってもらいます。機会をとらえて、市民と関わり、市民の耳目を集めるマーケティング企画を実施します。「創客」や「投票行動」のために、それらは計算されたストーリーに沿って仕組まれます。私がアドバイザーをしている新潟・長岡リリックホールでは、滞在と同時にワークショップや学校へのアウトリーチ活動を並行して行っています。きちんと「創客」を企図して仕組まれ、アーチストへの負担が軽微であるなら、それらも実施することも必要ではないでしょうか。

内閣官房参与に任命され文化・教育を担当することになった平田オリザ氏と懇談したところ、彼の将来的な文化政策のデザインは、公共劇場・ホールに一括補助金のように大きな予算を配分して、東京や大阪に集積している劇団や音楽団体と滞在型の共同製作をする方向に持って行きたいとのことでした。我が意を得たり、の感のグランドデザインです。(社)日本劇団協議会の理事会の席上で評論家の源五郎氏は、「それでは劇団不要論ではないか」との趣旨の発言をしましたが、それは違います。公共劇場・ホールとの協働を成立させるマネジメント能力の欠如と、創造能力のない劇団は淘汰される、ということなのです。その機能と能力を持つ劇団は、経理や制作の事務作業と製作資金の軽減化を実現できる「機会」となるわけで、劇団側にも大きなメリットがあるのです。公共劇場・ホールがそれを肩代わりするからです。

公共劇場・ホールの側にも、前述したメリットのほかに、練達のマネジメント能力と高度なマーケティングの設計能力が求められます。複雑な製作事業の経理や日程全般の調整などの負担が生じます。しかし、その負担を引き受けることによって、館が獲得するものは従来の買い公演に比べてとてつもなく大きなものとなります。貸館事務と買い取った舞台公演を一日だけやるための一般事務の能力では、製作事業はとても通用しません。したがって、それに対応できない職員は淘汰されることになるのは必定です。従来から一般的な公共ホールのやってきたレシービング・シアター(買い公演を専らする劇場・ホール)の制作事務と、プロデューシング・シアター(製作劇場)の制作及びプロデュースの仕事内容は、まったく異なる径庭たる業務なのです。

芸術団体が東京などの本拠地である程度を創りこんで、仕上げを地域劇場でするというスキームもあると思います。英国のイングリッシュ・ツアリング・カンパニーの事例がそれにあたります。ちょっと紹介すると、英国北西部チェシャー州のクルーは人口約6万7千人の小さなまちで、ロールスロイスの本社工場があることで有名ですが、ガイドブックにもほとんど載っていないような町です。その町の中心にあるライシャム劇場は伝統的な建築物ではありますが、巡回してくるカンパニーを待ち受けるだけのレシービング・シアターで、まちの人々も年に何回が訪れる巡回型の芸術団体をひたすら待っているだけだったとのこと。ところが、町の人々とカンパニー側の思惑が一致して、ナショナル・ツアーの初日をクルーのライシャム劇場で迎えるという協定が組まれることになって、イングリッシュ・ツアリング・カンパニーはロンドンで稽古をして、初日の二週間程度前になるとクルーにやってきます。初日の幕を開ける準備とリハーサルをしながら、上演作品に関連したアウトリーチやワークショップなどのプログラムをまちの人々や学校に提供します。町はにわかに活気づきます。このようにフル・レジデンス型でなくとも、「創客」のマーケティングは充分に可能と考えます。

滞在型で作品創造をする方法は、確実に「創客」をアウトプットとします。教育機関、福祉施設、医療機関などとの協働や、市民の生活に活気と期待をもたらすなど、滞在型の果実は、しっかりしたマーケティングをすれば、まちの隅々にまで行き渡ります。こう見てくると、滞在型の創造事業は、地域の文化振興という単一な政策目的で実施されるプロジェクトではなく、広範な地域振興、地域経済の活性化、まちづくり、住民のまちへの帰属性の高まりと誇りの醸成などの多様な政策目的を実現する政策手段でもあると言えるでしょう。

この仕組みが円滑に行われるためには、解決しなければならない課題があります。まず、地域には舞台技術の集積がほとんどないため、舞台装置(大道具)を製作することが出来ないのが現状なのです。私の勤務する劇場に近い名古屋のような大都市でも、展示会のパネル製作の技術集積はあっても、舞台の装置製作はほとんど未体験と言ってもよいくらいなのです。これは、札幌でも、高松でも、金沢でも、仙台でも、同様でした。とくに絵を描く「背景さん」は、地域にはゼロと言っても良いくらいです。また、可児市文化創造センターには道具をつくる「叩き場」(作業場)と十分な工具の揃った工具室はあるのですが、日本の公共劇場・ホールは中央から舞台を受け入れる機能しかないために、そういうスペースが設けられていないのが一般的なのです。地域に技術集積がないのは、舞台自体を製作する機会が地域にはほとんどないのですから致し方ないのです。私の劇場の舞台職員も、道具を叩いた経験はないに等しいと言えます。したがって、いきおい技術集積のある東京の業者に発注することになってしまうのです。小道具業者も衣装業者も、ストックしている量が東京の業者とは比べ物にならないくらい少ないので、ベストな選択をできないのです。ここでも、どうしても東京の業者に頼ることになり、経済効果や雇用効果が域外に流出してしまうのです。これらは、今後、いろいろの工夫をして克服しなければならない大きな課題です。

さまざまな「痛み」や「問題解決」の努力は伴いますが、中央の芸術団体と地域劇場の協働という政策が実現することを、私は願ってやみません。文化芸術に「新しい舞台」が用意され、文化芸術が社会的価値財となるか否かが試されるのです。文化芸術の価値の転換が可能となるのです。それに伴って、文化芸術に携わる人間たちの意識の転換も求められるでしょう。おそらく、ここ二、三年ほどのあいだに「劇場法」が成立します。それに付随して新しい政策の実施の局面が拓けると考えられます。待ち遠しいかぎりです。

今日も「岸田國士小品選」の稽古が行われています。「創客」のマーケティングの設計と準備も進んでいます。再来年度あたりをアーラコレクションのブランディングの一応の到達点と、私は考えています。あわせて、滞在型創造事業の創造システムと「創客」のマネジメント、マーケティング手法のシステム設計がある程度完成する時期でもあると思っています。したがって、その時期が、可児市文化創造センター(ala)の第一期の結節点と想定しています。アーラコレクションの「果実」を可児のまちの隅々にまで届けたい。私が20年前に拙著『芸術文化行政と地域社会』で構想した「レジデント・シアター」と機能を一にする滞在型創造事業は、いま始まったばかりです。