第91回 We are about people,not art

2010年8月21日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

表題We are about people,not art(私たちは芸術のために仕事をしているのではなく、「人間」に関する仕事をしている) は、英国芸術評議会が劇場の全国調査をした結果として、「優れた劇場」を定義した文章の一部です。このほかに、もうひとつ We offer experiences,not show.(私たちは興行をしているのではない、経験を提供しているのだ)という定義が示されています。このふたつの文章は、アーラの事務室の壁に大きな文字で貼られています。私の劇場経営の根本は、「人間をど真ん中に据えた経営とマーケティング」です。その意味では、上記の二つのセンテンスで、アーラがこの3年間でやってきた仕事のすべてを表現しています。つねに私が職員に言っている言葉で、職員と共有している言葉のひとつに、「芸術の殿堂から人間の家へ」というのがあります。これは、上記の表題を言い換えたものです。地域劇場が芸術性の高い作品を創造し、鑑賞する機会を提供するのは当たり前で、それとともに求められるのは、「理解されること」、「共感されること」、「打ち解けられること」、「敬意を持って受け入れられること」、「必要とされること」、「賞賛されること」などの人間の健全な営みである「経験価値」を提供しつづけることではないでしょうか。

劇場経営に、どんなに高邁な思想や、どんなに高度な芸術理論をもっていても、あるいはそれを声高に唱えていても、「人間」を大切に思わない思想は思想ではない。理論は理論でしかない。人間の心に届かない思想は思想ではない。人間の現実から出発していない理論は、劇場理論や文化理論とは言えない。私はそう考えています。アーラは、ともかくも可児市民を第一に考えて出発しています。可児市民がどのような「経験価値」を求めているか、どのような「ライフスタイル」の変化を必要としているか、どのような生活の豊かさを希求しているのか。アーラはそこから出発しています。それを出発点として、さまざまなマネジメントやマーケティングの仕組みは設計されています。

中学生の男子は2人に1人、女子は3人に2人、また小学生の男子は3人に1人、女子は2人に1人が「自分が嫌い」なのだそうです。これは困ったことです。自己肯定感のない子どもたちにどのような「未来」が待っているのか、とても気になります。自分が好きでない子どもにとっては、「生きる」こと自体が大難事なのではないでしようか。他者の心を思いやったり、他者の気持ちになったりする余裕など、この子たちにはないのではないでしょうか。

可児市は今年、立て続けに「いじめ」が警察沙汰になりました。劇場人としていたたまれないことです。地域の健全化に責任の一端を持つアーラとしては、忸怩たる思いです。来年度には、そのために設計したスクール・プログラムを大胆な考え方に沿っておよそ200回程度を実施する計画を立てています。とりあえず今年は、アーラは、14地区の公民館のいくつかにでかけて子どもたちやファミリーでのワークショップをやっています。そこでのファシリテーションは、黒田百合さんをリーダーとする金沢の10(テン)シーズの皆さんです。それに、彼女たちに養成してもらっている「ワークショップ・リーダー養成講座」のおよそ30人の受講生が加わることがあります。この10シーズのワークショップを観察していると、「共感する」、「賞賛する」、「敬意を表する」という、参加者との距離感を縮めて、「打ち解ける」こと、すなわち日常的な呪縛から解放しようとしていることが見て取れます。あわせて、「共感され」、「賞賛され」、「敬意を持たれる」ことで、会場の空気は見るみるうちに肯定感に満ちみちてきます。

「教育」と「エデュケーション」は違う、と何処かで書いたことがあります。「教育」の訳語が「エデュケーション」なのには違いないのですが、「教育」には、上から目線で知識を教え諭す、というニュアンスがあります。英語の「educate」には「可能性を引き出す」という意味があります。したがって、「エデュケーション」とは、同じ目の高さで、個人や社会の可能性を引き出すファシリテーションとか、アニメーションとかの技術を持った人間が媒体となります。ファシリテーターとは、議論やワークショップをスムーズに調整しながら協調的な雰囲気を持続させる人間であり、アニメーターとは、英国のコミュニティ・プログラムでよく使われている、ワークショップに命を吹き込むとか、参加者を元気にさせる人間のことを指します。

その意味で、10シーズの彼女たちは、まさに「アニメーター」です。ワークショップ会場の空気ががらりと変わるのです。これと同じ体験をしたことがあります。英国のウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)の契約ワークショップ指導者で、リーズ国際大学の教授でもあるジョン・ミーのつくる空気が、10シーズのそれと同じでした。彼は天才と言えるワークショップ指導者で、10年近く前に東京に招聘して「エデュケーション」という手法を受講者とともに体験したことがあります。10シーズやジョン・ミーのようなリーダーに恵まれた子どもたちは、いや子どもに限らず大人たちも、自己肯定感を持つことになります。だから、彼らの作り出す空間は楽しさに満ちているのです。笑顔が絶えないのです。

このような仕事もまた、アーラの大事なミッションであると考えています。「人間の家」をつくる土台づくりのようなものです。このミッションが欠落していたら、地域劇場としては失格です。

「We are about people,not art.」、大切なアーラのミッションです。派手な仕事ではありません。そのような仕事を束ねたのが『アーラまち元気プロジェクト』(27事業 267回)です。地を這うように地味な仕事です。心の強い足腰が求められる仕事です。しかし、このように土台の上に、アーラへの社会的な信頼が築かれるのです。ブランディングです。このようなコーズ・リレーテッド・マーケティング(社会貢献型マーケティング)によって「創客」が促進されるのです。「人間の家」が造られるのです。