第83回 アーツマネジメントは、つまるところ「社会脳」と「人間愛」に依っている経営の手法なのだ。

2010年4月18日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

小泉改革で地方自治法が改正され指定管理者制度が導入されてから、この8年間の公共文化施設を取り囲む環境は激変しています。2003年の改正地方自治法による指定管理者制度、2008年の公益法人改革三法の成立、従来の文化庁の補助事業をすべて整理して統合する、今秋の成立が予定されている劇場法を先取りする形の文化庁の「優れた劇場・音楽堂の創造発信事業」、改正労働基準法の施行四点がそれです。劇場法によって階層化されることになる公共ホールは、いま激動の時代の真っただ中にあります。そのような「変化の時代」に生き残るには、道はただ一つです。みずからが「変わる」ことです。先陣を切って「変わる」ことしかありません。ドラッカーの言う「チェンジ・リーダー」になることではないでしょうか。あわせて、古い仕組みや意識を戦略的・計画的に破棄していくことが、外部環境の変化に対応できる組織体質をつくることになります。

アーラは、今年度いっぱいで指定期間の一期目が終わります。常勤となってからのこの二年間は、アーラの価値を高め、余人をもって替え難し、の環境をつくることに尽力してきました。次期も特命指定となれるように、さまざまな経営の仕組みを設計し、言葉が共有できる職場環境をつくってきました。月二回の館長ゼミ、この連載エッセイ、ウェブ上の『集客から創客』の論文、事業に取り掛かる前と事後のワークアウトなどで、私と職員たちが言葉を共有できるように努力してきました。「創客」、「経験価値創造」、「経験価値演出」、「社会機関としてのアーラ」、「顧客の立場に立って受取価値を考える」等など、共有できた言葉は少なくありません。アーラを強い組織とするためには、「言葉」を共有することが前提になると考えています。共有された「言葉」が発想の原点となり、結果に大きな誤差がなくなるからです。これが「強い組織」となるための第一歩です。

さらに「強い組織」では、その日々の仕事のプロセスで、次代のリーダーが確実に育てているか否かです。リーダーシップとは、「周囲にいる人を元気にして、幸せにする能力」のことです。豊かな人間力と包容力、大胆な決断力と実行力によって、職員の達成感(従業員満足)を手助けするリーダーは、劇場経営に携わる職員にとって大切な「環境」であると言ってよいでしょう。この考え方は、私も含めた管理職の姿勢として認識を共有しなければなりません。そして、そういう次代のリーダーを、個々の資質を見極め、「強み」を伸ばし育成することが、管理職には求められます。「周りの人を元気にして、幸せにする」とは、やりがいのある職場をつくることです。従業員満足が顧客満足に直結することは言うまでもありません。

「Cool head but Hot heart」(熱い心を持て、しかし冷静な判断をしろ)、私が職員たちにアーツマネジメントの基本姿勢として説く言葉です。お客様に対する場合には、「Cool head  but Warm heart」になります。アーツマネジメントは、芸術における経営管理のスキルですが、あわせて損得を超えて相手(アーチスト、顧客、市民、同僚職員等)の気持ちを思いやる感情のスキルでもあります。常にニュートラルな気持ちでコトやヒトと向き合い、間合いをはかり、調整をして、創造環境や経営環境を整えるという人間関係のスキルです。「マネジメント」や「マーケティング」と聞くと何か冷たい、あるいは芸術的な営為とは真逆にあるもののように思えますが、きわめて人間臭い、しかも創造的なスキルなのです。つまり、「社会脳」の発達している人間に適性のある職業なのです。

したがって、コミュニケーションを図ることが不得手な人間には向かない仕事です。相手の気持ちを思いやれない人間にも難しい仕事です。つまり「社会脳」の発達した人間でなければできない仕事です。また、場合によってはアーチストに毅然と「NO」と言わなければなりません。アーチスト至上主義者にも向かない仕事です。アーツマネジャーは、アーチストの「パシリ」ではありません。アーチストの創造環境を、さまざまな制約を調整して「最適化」するのがミッションのひとつです。それには高度に発達した「社会脳」を必要とされます。あらためて言っておかなければならないと思いますが、「制約」は公共文化施設だけにあるのではなく、民間劇場でも、公園でも、小劇場でも大劇場でも、ありとあらゆる「場」には「制約」は付きまとうものです。「制約」なしにアーチストが創造活動をできることはあり得ないのです。それを調整して「最適化」するのが、アーツマネジャーの劇場やカンパニーにおける大切な役割なのです。誤解をおそれずに言えば、自由奔放にアーチストに仕事をさせるのがアーツマネジメントのミッションではありません。

それだけにアーツマネジメントに従事する人間には、かなり豊かな人間性が必要とされます。むろん前述したように、「資質」が重要ではありますが、どのような「経験」と「個人史」を有しているかは同じ程度に重要視されます。「学歴」よりも「経験値」です。他者との関わり合いの中で、関係式の「応用問題」を瞬時に解いてみせる人間としての幅が重要になります。このあたりはアーツマネジメントという「学問」ではまったく触れられないことですが、この点こそが大切なのです。方程式を知識としてたくさん知っているよりも、その方程式を自在に使えるかどうかが問われる仕事なのです。

さらに、アーツに関わる仕事はサービス業に分類されます。サービス業ということは、仕事の大半は人間に関わることを意味します。そのうえ公共文化施設での仕事は、公的資金で手当てされている以上、地域社会やそこに住んでいる人々に何ができるかという社会貢献が強く求められます。「アーツマネジメント」という言葉が60年代の米国で生まれた背景には、NEA(全米芸術基金)が設立されて、公的資金が芸術に投入されたことと無縁ではありません。芸術創造行為が「もうけ」という経済的な利得から部分的でも解き放たれたのが、この時代であり、芸術創造行為を社会化するためのマネジメントを指す「アーツマネジメント」という言葉が生まれた時代でもあるのです。

マネジメントは日本語では「経営」を意味します。「経営」は利益を生むことと同義のように思われていますが、それは動力の発明という産業革命や戦争による技術革新で経済発展をした20世紀に限ったことで、「経営」の本来の意味は「新しい価値を創造する」ことです。その経済的側面が「利潤=もうけ」なのです。「アーツマネジメント」とは、「芸術的行為」に新しい価値を付与することであり、公的資金によって支援される以上、その「新しい価値」に社会的価値が含まれることは言うまでもありません。

ここで間違えてはいけないのは、社会的価値は必ずしも社会的有用性ではない、ということです。ヘンリー・ムーアの彫像やクロスビー海岸に林立するアンソニー・ゴームレーの作品には、すべての人間にとっての社会的有用性はないかもしれませんが、その彫像や作品が世界的に評価される芸術性をもっている点で高い社会的価値をもっているのです。むろん、社会的有用性を排除するつもりはありません。社会的有用性もまた、社会的価値に包摂されます。そういった社会的価値へ向かうのが「アーツマネジメント」の最終的なミッションです。「アーツマネジメント」とは、社会と関わる行為なのです。

社会と関わる行為ということは、目の前にいる他者を含めて、人間に思いを遣り、社会に思いを遣り、社会の「様子」を理解する仕事と言えます。つまり、自分以外の外の世界を想像力によって思いを遣り、どういう状態や事態にあるのかを創造する「社会脳」が必要なのです。

芸術的な製品はユニークなビジョンから生み出されるものではあるが、社会的に孤立状態であっては、創造性すら生まれない。すべてのアーチストは、自分たちが生きている世界に対して敏感に反応する。(フィリップ・コトラー&ジョアン・シェフ・バーンスタイン『Standing Room Only』)

「アーツは、それ自体に社会的諸問題を反映しており、また将来予測できる社会不安に対処するポテンシャルを内包している。それは、たとえば舞台芸術の創造活動における人間相互の関わり合いと、それを鑑賞するという舞台との相互行為が、ともに人間的な共感をベースとして影響を与え合うサービスだからである。」(『集客から創客へ☆回復の時代のアーツマーケティング』「第三章 経験価値マーケティングとブランディング」当ウェブ「館長の部屋」より)

他者を理解すること、社会を理解すること、世界を理解すること、これらがアーチストのみならず、アーツマネージャーやアーツマーケッターにも強く要求されることになります。世界がどう動いているのか、社会がどのような軌道を走っているのか、その中で人間がどのように翻弄されているのか、幸せなのか不幸せなのか、それらに対する理解なくしては、アーツは成立しないし、それをマネジメントすることもまたあり得ないのです。「組織の存在理由は外の世界への貢献にある」とドラッカーは述べています。社会に貢献してこその組織であり、事業であるということです。人間に貢献してこそのプロジェクトです。そこを理解しないアーツマネジメント(芸術経営)は空理空論に過ぎません。アーツマネジメントとは、究極において、「社会脳」という外の世界への深い配慮と愛情なくしては成立しないものと言えるのです。