第79回 いちばん大事なものに、いちばん大事ないのちをかける。 

2010年3月21日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

『オーケストラで踊ろう!』の大垣公演が終わりました。八ヶ月にわたったプロジェクトが幕を下ろしました。移動のバスに乗り込む可児の子どもたちとそれを見送る大垣の子どもたちは大泣きしていました。長い長い時間でした。「花の咲かない寒い日は 下へ下へと根を伸ばせ」という言葉があります。植物が花を咲かせるには大変なエネルギーを要します。彼らは八ヶ月もの時間、下へ下へと根を伸ばしてきたのです。そして、大輪の花を咲かせました。可児交響楽団による『フィンランディア』のオーバチュアに続いて、同じジャン・シベリウスの『交響曲第二番』で153人の可児市民と大垣市民によるコンテンポラリー・ダンスが展開されました。確かな手応えで、彼らは大輪の花を見事に咲かせてくれました。大垣の観客は、楽章ごとに拍手をするばかりか、大声で笑い、声をかけるほどの「ノリ」で、可児交響楽団の面々が曰く、クラシック演奏会では決して得られない体験をさせてもらった、ということでした。

彼らの涙は、彼らの一生の財産になります。八ヶ月間にあった多くの出逢い、語らいが、彼らの財産です。彼らは将来、シベリウスを耳にするたびに、この八ヶ月間を思い起こすでしょう。そればかりか、挫けそうになったとき、辛い出来事に遭遇したとき、悲しいことに打ちひしがれたとき、彼らは、汗にまみれた八月の稽古始めから、凍える冬を越して、公演が近づいて春めいてくるまでのこの八ヶ月の時間を思い出すでしょう。それが五年後かも知れませんし、十年後かも知れませんし、二十年後かもしれません。でも、決して忘れることはないでしよう。彼らにとっては生きていくうえでの突っかい棒になる「下へ下へと根を張り、心と心をたずさえる」時間だったと思います。文化芸術には即効性はありません。市場原理主義者のもっとも嫌うところですが、しかし十年後、二十年後にじわりと滲むように効き目出てくるのです。

ある調査では、中学生の男子は2人に1人、女子は3人に2人、小学生の男子は3人に1人、女子は2人に1人が「自分が嫌い」なのだそうです。これは困ったことです。自己肯定感のない子どもたちの生活は未来に重苦しい雲をたれこませます。しかし、『オーケストラで踊ろう!』に出演した子どもたちのなかに「自分が嫌い」な子はいないと確信します。仮にそうだったとしても、この八ヶ月の時間が、彼らを自己肯定に導いたと確信しています。みんなと違うことがこんなに素敵で、豊かで、みんなと出逢うことがこんなにも喜びに満ちていることを、彼らは身体と心で体験したのです。

文化芸術には漢方薬のような「効き目」があるのです。決して「ムダ」とは言わせません。私たちは、十年後、二十年後の家庭や地域や社会に向かいあって仕事をしているのです。アーラは、その意味で、私にとっては、私が死んでも誰かの心の中で生き続けることのできる「タイムマシーン」のようなものです。だからアーラは、可児市の未来の健全な社会形成に貢献できる大事な施設です。「いちばん大事なものに、いちばん大事ないのちをかける」、確か相田みつをだったと思います。いまの私にとってアーラは「一番大事なもの」です。その「一番大事なもの」に、私は「大切ないのちをかける」という生き方を選んでいます。文化芸術が金持ちと閑人の独占物ではなく、一夜の慰みでもなく、人間の生き方と社会のあり方を光のさす方向にみちびくものであることを、多くの人に認めてもらえるように、アーラは、多くの集いと出会いと語らいをこれからも用意して行きます。来年の市民参加事業は『わが町可児』です。二年前から、今年度の岸田國士戯曲賞作家柴幸男さんにワークショップリーダーになってもらって、市民たちが書き直しに挑んでいる作品の舞台化です。また、多くの出逢いと語りあいが生まれ、たくさんの思い出が心に刻まれるでしょう。「そのときの出逢いが人生を根底から変えることがある、よき出逢いを」、これも相田みつをです。