第27回 営業の旅で考えさせられたこと ― 指定管理者制度の未来。

2008年9月3日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

今年の秋にアーラで自主製作する『向日葵の柩』の来年度地方公演の営業で長旅をしてきました。泊数は7月と8月で9泊、日数は11日間で、24館を回りました。最も長い距離は、長崎、熊本、宮崎を一日でまわるというハードなもの。いささか疲れましたが、成果はありました。予算を費やすだけではなく、収益をきちんと上げるという私の経営方針にそったトップセールスの旅でした。

あらかじめ企画書をお送りしていたのですが、訪れていきなり「大ホールでやりたい」、「是非来てください」とセールストークを始める前に切り出してくれたところもあれば、端から断わりの言い訳に終始するホールもありました。喜んだり、へこんだり、腹を立てたりのタフな仕事でしたが、いろいろな劇場・ホール、それに人々との出会いのあった実りある旅になりました。

今回の旅では「指定管理者制度」というものを改めて考えさせられました。地方自治法の改正によるこの制度は、「官から民へ」を標榜して、「効率のよい運営」と「質の高いサービス」を目指すものとされています。その趣旨は結構なのですが、実態はひどいものです。「質の高いサービス」を放棄して、生かさず殺さずの状態でホールを存続させている自治体がありました。周辺は高層のマンションが立ち並ぶ立地で、98億とも101億ともいわれる建設費の非常に大きくて、立派な建物です。開館当初は先駆的な事業をしていて、大いに期待されていたホールです。指定管理者として民間のビルメンテナンス会社が運営に携わっているのですが、施設の大きさに比べて驚くほど廉価な指定管理料で請け負っているようでした。責任はこの民間会社のみにあるとは思えません。自治体が「指定管理者制度を悪用」した結果です。設置した責任を果たしていないのです。「行政の失敗」です。次回の切り替え時には「廃館」も含めて検討している、という情報が中央の文化機関から私の耳に入りました。毎年、およそ5億円の償還(建設時の借金の返済)をしているというのに、「廃館」とは、失政と言われても反論のしようはないと思います。

もし、この劇場の広大な敷地と大きな建物が、高層住宅マンション群のど真ん中で廃館になったらどういうことが起こるか、想像してみてください。何が起きるかを考えてみてください。「効率のよい運営」とは、投下資金に対して費用対効果の見込める経営のことであって、「生かさず殺さず」程度の指定管理料で「何もやらない」、もっと言えば「何もやらせない」ことではないはずです。明かりのつかない廃墟に等しい建物と広大な土地がまちの中心を占めているということが、将来、その周辺に何をもたらすかは容易に想像できるのではないでしょうか。「治安」に係わる問題です。「地域の安全」に係わる重大な事案です。

指定管理者制度は「雇用問題」や「格差問題」でもあります。管理費を削るだけ削るために職員から館長まで契約職員という身分だったり、非常勤職員とアルバイトばかりにしてしまうことで管理費を削減するのです。今回営業をかけたところではないのですが、週29時間という脱法的な雇用条件で非常勤職員を働かせるという「格差問題」としか言いようのないホールが関東にあります。なぜ29時間が「格差問題」であり「脱法」であるかというと、労働時間が週30時間に達すると社会保険に加入しなければならない責任義務が雇用者に発生するからです。社会保険にかかる経済的な負担をなくすためのマイナス一時間の「29時間勤務」なのです。酷い話です。法は犯してはいないが、法をくぐりぬけているとしか思えない手法です。「官から民へ」の「指定管理者制度」という美名の下で、目を覆いたくなるようなひどいことが全国で起こっているのです。あるいは、想定はしていなかったのだろうが、「地域の安全」に係わる将来の問題を「指定管理者制度」が用意してしまっているのです。

「官から民へ」というとき、「民は正義」のように思われています。効率的な運営は「民間」にしかできないように多くの人が思い込んでいるのではないでしょうか。少なくとも、可児市文化創造センターは、中央に本社のある大手の指定管理業者より数段まさった経営を行っています。リスクをとって新しい価値を生み出しています。「官」だろうが、「民」だろうが、地域にとって、あるいは地域住民にとって、不利益になる運営は「悪」なのです。さらに言えば、設置した責任を負わない自治体は「失政」を認めているに等しいのです。住民の利益と安全を守る義務が自治体には厳然とあります。「行財政改革」、「官から民へ」の美名に隠れて住民の不利益となる事態が進行しています。私たちはしっかりと監視していかなければなりません。

長崎県では「幸せなホール」と出会いました。丘の中腹に立地して、ホール部分が地下にあるとぎつカナリーホール(時津町)です。屋上が緑に覆われていて、その屋上が丘に設置されている公園と地続きになっており、公園で遊んでいる子ども達が、遊びの延長でホールに出入りしているのです。緑の屋上の階下が児童館になっていました。事業費は開館時からほぼ横ばいと聞きました。町長は選挙の時には反対派だったのですが、造ったものは有効に使わなければならないと事業費の圧縮を回避しているそうです。住民に対して、「行政の継続性」と「行政責任」をしっかりと果たしていると、清々しい気持ちになりました。

指定管理者制度は、将来的に「官から民へ」でもなく、「官と民」の指定管理者争いにもならないのではないかと私は思います。「行財政改革」が予算の一律削減と同義とされている的外れな傾向にあるという外部環境はありますが、将来的には「優勝劣敗」になっていくと思います。とりわけ公共文化施設の「大競争時代」の到来を私は予感しています。官であろうと民であろうと、十年後くらいには、優れた経営感覚を持って地域社会にさまざまな便益をもたらす団体が、複数地域の公共文化施設の指定管理者になるという時代が来るようになると思えてならないのです。「白い猫でも、黒い猫でも、ねずみを取る猫がいい猫」になるのです。逆に言えば、それほど従来の委託管理制度にもたれかかって甘えの体質を改善できず、新しい価値を地域にもたらす健全な「経営」をしてこなかった官製財団がほとんどだったことと、指定管理者として公共文化施設運営に参入した民間会社の運営が、絵に描いたように「安かろう悪かろう」であるという現実があるということなのです。

このまま何年も経過すれば、地域はコミュニケーションの活性化とロイヤルティの醸成のための大切な拠点を失ってしまいます。それが中長期にわたってどれほど地域社会に損失をもたらすかを考えてみてください。文化はむろんのこと、地域社会を暮らし易いコミュニティにするための、福祉、教育、医療などの拠点が将来にわたって失われる危機にあるのです。これは「地域経営」の問題です。自治体も議会も私たちも、そして住民も、一緒に考えなければいけない地域の将来に係わる重大な問題です。財政の危機は何とかしなければならないですが、財政が健全化しても、地域社会が崩壊の危機にさらされては何にもなりません。地域のすべての知恵を集めてみんなで考えなければならない問題が、現行の指定管理者制度に象徴的に現われていると、つくづく考えさせられる旅でした。