第26回つながる、ということ ― 「有名性」と「無名性」

2008年8月31日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

コミュニケーション能力の低下が言われています。それに連動するかのように地域社会の危機も叫ばれて久しい。コミュニケーションの集積がコミュニティであるから、問題の根は同じところにあると考えてよいでしょう。

かつて地域社会は「集う」ことで結束力や相互扶助や教育機能を保持してきました。たとえば、そのひとつが「祭り」のもつコミュニティ形成機能でした。いまでも博多の祇園山笠、郡上の盆踊りなど、「集い」が終わった翌日から次の年の「集い」のための準備を始めています。それが技術の継承や互いの顔の見える関係づくりを担保しています。したがって、コミュニケーション能力やコミュニティの問題は「集い」の機会の喪失とも言えるのではないでしょうか。それぞれの個性は尊重しながら、同じ目的を共有して、その目的に向かってコミュニケーションを繰り返し、問題があればその解決のための知恵を出し合う。「祭り」や「屋根の葺き換え」、「家の建替え」など、かつての地域社会は、そのようなコミュニティ形成機能を持った機会によって維持されていました。

戦後の高度成長期に「プライバシーの尊重」ということが盛んに言われました。一億総中流と言われて国民の生活が一応の水準にいたって「豊かさ」を手に入れた日本人は、干渉されない生活の居心地のよさに関心が向きました。「プライバシーの尊重」はその現れです。私が生まれて育った下北沢も、その頃大きく変化していきました。生垣や板塀の町が、次第にブロックの高い塀の町に変わっていきました。家の中をのぞける生垣や板塀を前時代的なもののように排除して行ったのです。子供だった私の目にも、ブロックの塀は「豊かさ」の象徴のように映っていました。しかし、それはいま考えると、町の家々が「自閉」するということだったのではないかと思っています。

確かに生垣や板塀は家の中をのぞかれるということがありました。けれども、寝たきりの方や小さな子供がいる家では主婦がちょっと近くまで出かけるときに隣家の人に「見ておいてね」を頼んで外出することが頻繁にある町でした。子供だった私たちも、板塀の抜き板から寝たきりのお年寄りに「ばあちゃん、元気になってね」と声を掛けていた記憶があります。塀が高いブロック積みになったことで、外部に向かって開かれていた近所づきあいは消えていきました。

「自閉」するということは、交流する機会が失われることを意味します。深く知り合う機会が消えていったのです。高度成長期に盛んに建設された公団住宅は、鉄製の扉と格子の設けられたガラス戸によって外部を遮断する構造になっていました。二十世紀の終わりの頃にそれを憂いた建築家が設計した集合住宅は、通路に向かった大きなガラス戸によって外部に開かれていました。その建築家は、核家族化によってコミュニティから孤立する傾向にある集合住宅を外部に開いて何かが起こったときのリスクヘッジにしようと考えたのでした。むろん、プライバシーは尊重しなければなりませんが、コミュニティの機能も大切にしなければなりません。それを両立させる「何か」が必要になるのではないでしょうか。「自閉」するということは、人々がつながっていない状態に陥るということです。お互いに良く知らない、つまり「無名性」という状態に陥ることです。

私たちの時代が必要としているのは、お互いに良く知り合う機会の創出です。地域とか町というのは、人間と人間の関係の集積以外の何物でもありません。コミュニティ形成とはそのための機会の創出を企図することです。住む人々がお互いに良く知り合う「有名性」を獲得することに他なりません。「祭り」に代わる集いと交流の機会を創らなければならないということです。「有名性」とは、相手を良く知っている、あるいは誰かに理解されている状態のことです。それに対して「無名性」とは、誰にも理解されていない、誰ともつながっていない人間のあり方のことです。秋葉原の通り魔事件のときに「匿名性」ということが盛んに言われていましたが、「無名性」と同義といってよいでしよう。

その意味では、劇場やスポーツ施設は「有名性」への手掛かりとなる今日的な「祭り」の場となります。劇場は何かを観たり聴いたりする場所にとどまらず、「集い」、「よく知り合う」ための人々の大切な磁場でもなければなりません。それらの施設は、そのためのコミュニティ・プログラムを用意しなければ社会的な役割を果たせないと言えます。「つながる」、あるいは「つながっている」という実感は、多くの「果実」を私たちにもたらしてくれます。そのために地域の劇場・ホールはあるのだということは、いままで中央の芸術作品を福祉配給的に上演してきた施設職員にもまだ理解しきっているとは言えません。舞台を買い取って配給する仕事に比べて、コミュニティに係わる仕事は、非常に手間と時間と根気のいる作業になります。パッケージされた舞台を買い取って配給する仕事は一般事務に過ぎません。人間関係に係わる「制作事務」がどれほど大変かを、アーラの職員はいま体感しています。しかし、その大変さをルーティン化しないかぎり、「人間の家」としての地域劇場は現前しないと、私は思っています。「自閉」してしまった地域社会を、もう一度ひらかれたコミュニティにするための、劇場はその装置でなければならないと思います。コミュニケーション能力を開発して、「無名性」を「有名性」に変換する装置であるべきだと強く感じるのです。