第20回 どうして、こんなになっちまったのだろう。

2008年6月13日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

酷いことが起こってしまいました。秋葉原の通り魔の殺傷事件のことです。どのような事情があろうと、許せることではありません。ただ、私はこの事件の詳細が分かっていくほど、切なくなって涙も出やしない、という気分になってきています。

人間というのは、こんなにも簡単に箍が外れるものだったでしょうか。堪えて踏みとどまる辛抱の出来ないものだったでしょうか。それとは別に、自分の命を軽く評価している分だけ、他人の命も同じように軽く見てしまうのかもしれない、とも思いました。一昔前にアメリカで若者による銃の乱射事件が起きたとき、日本では有り得ないことと思い込んでいましたが、もはやどこでも起こりうる出来事になってしまったようです。また、あの犯人の心の動きは、もしかしたらいまの日本では誰にでも起こる可能性のある心の闇なのかもしれないと思ったのです。

彼と同じように私も、高校に進学したとき、いきなりクラスで下から三番目という成績になってしまったことがあります。私の下にいる二人のうち、一人は休学していましたから、ほとんどドン尻です。中学校のときは大して試験勉強をしなくとも上から五番以内には入っていましたから、そのショックといったら並大抵ではありません。それでも私は野球部で入学直後からレギュラーになっていましたから、確かな「居場所」はありました。とはいっても、成績はそんなに簡単には上がってくれませんでした。

成績が急上昇したのは一年の二学期の期末テストからでした。その契機をつくってくれたのはクラスの「仲間たち」でした。その頃の私は、グランドでは溌剌としていても、教室では萎縮していました。ちょっとした「すね者」でした。そんな私をある出来事が変えてくれました。文化祭の折に私が中心となって教室に茶屋を造り上げ、茶屋娘の衣装を調達して、私たちのクラスが学校から高く評価されたのがそもそもの始まりでした。そのときに、クラスの仲間が私のリーダーシップで一つにまとまりました。文化祭の準備に関するいろいろな相談事を仲間は私に持ちかけてきました。「必要とされている」という実感は何物にも変えがたい充実感を私に与えました。クラスにも「居場所」ができたのです。その充実感が勉強への集中に向かったのです。もう、およそ半世紀も前の話です。

あの時に、あの「仲間たち」がいなかったら、と思うと背筋が寒くなり、眩暈さえ覚えます。あのままだったら、ひねくれたままで野球部も辞めていたかもしれません。むろん、早稲田大学に入ってもいなかったでしょう。おそらく文化とも縁がなかったに違いありません。そうだとしたら、評論家にもなっていないし、大学の教師にもなっていないし、可児市に住むことも絶対になかったでしょう。

そう考えてくると、たまの休みに可児市内をのんびりと歩いているときに、フッと「どうして此処に居るのだろう」という思いに衝かれることがあります。人間の一生というのは紙一重でどうにでもなるのだなぁ、と人間の不思議を思います。人との出会いによって、人間はどうにでもなるのだなぁ、とも考えます。私とあの犯人は紙一重なのではないか、と感じるのです。やはり人間は自分以外の人間に生かされているのだと実感するのです。独りでは決して生きていけない社会的な動物なのだと思います。

それにしても、酷い社会になってしまったものです。「死刑になりたいから」という理由で人を殺める事件が続いています。理不尽な理由で人を殺傷する事件が日常的に起こっているのです。一つにはゲーム脳というものが原因かと思います。現実とゲームの境目が分からなくなって、人を殺傷することさえバーチャルと感応してしまう、人間の生命さえゲームの中のイノチと等価になってしまっているのではないか。そんな病的で、危険な思考回路が出来上がってしまっているのかもしれません。限度を越えてリンチを加えて、殴打して、結果殺めてしまう少年犯罪は、そのような危険なリアリティのなさが引き起こしているとしか思えません。

もう一つには、自分を生かしてくれている他者の存在がない、のではないでしょうか。私にとっては高校の時のあの「仲間たち」のような存在です。自分が命の舵取りを間違えそうになったときに、「ちょっと待て」と背中を引っ張ってくれる他者の存在です。別の言い方をすれば「自制心」と言えるかもしれません。その「自制心」も、私は他者との関係の濃淡から発するものだと思うのです。あの犯人も、たとえばたった一人の人間から必要とされていたなら、秋葉原で犠牲になった七人の方々は今日もそれぞれの命を謳歌していたに違いないのです。「背中をちょっと引っ張ってくれる、誰か」が、社会の劣化を食い止めるブレーキになると、私は強く思います。

日本は物凄いスピードで劣化して行っています。それを実感することばかりが起こっています。心がザラザラして、関係がギシギシと音を立てています。その音を聞き取る耳を持て余してしまうほど、社会の劣化は進んでいます。だからこそ、思い切り「ブレーキ」を踏む時は今だ、と思うのです。出会い、語り合い、違いを認めあう「こころの豊かさ」の中に身を置いて「背中をちょっと引っ張ってくれる、誰か」を必要とし、必要とされるために、いまこそ文化やスポーツが、その社会的必要(ニーズ)に応えなければならないと思うのです。アーラは、そういう意味で可児市民や時代の「ラスト・リゾート(最後のよりどころ)」でありたいと考えています。そうでなければ、市民の負託に応えたことにならないと思い続けています。公益の実現に必要なそのような事業を、儲からないから切り捨てるのでは、「公益の放棄という政策目的変更」であって、決して「効率化」ではないと思います。可児市民が望む公益を低コストで実現できて、はじめて真の効率化と言えるのではないでしょうか。