第13回 「友の会」の限界性と次に来るもの − 集客から創客へ。

2008年3月7日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

― 公文協 公立文化施設における「友の会」に関する調査 を見て ―

 顧客の囲い込みのために多くの公共ホールには、会費の有料無料の違いこそあれ、いわゆる「友の会」という会員制度があります。「先行予約・チケット料金の割引・会報の送付」というのが一般的な特典といえます。「友の会」組織は、80年代に急激に増えた公共ホールの伸びとともに多くのホールで導入されました。「文化芸術の普及」を目的とする、という導入理由を述べている施設が 35.8%もありますが、「会員制度」と「文化芸術の普及」はまったく別物です。公共文化施設は何もかもを「文化芸術の普及」に押し込めてしまう傾向があります。しかし、そのことで、実は見えにくくなっていることがあるのです。マーケティングをしているつもりが、その実はマーケティング意識が欠落していることに気付いていないのです。「主催公演の集客」をあげた館が55.8%ありますが、この方が本音であると思います。「会員制度」は文化芸術へのニーズのある顧客への対策とはなりますが、潜在な顧客を掘り起こす手段には決してなりえません。潜在的なニーズとは、「未充足なニーズであるが、充足する商品の存在を認知していない、または自分が未充足であることを認知していない状態」を言います。こういう状態の人に「友の会」が有効であるとは到底思えません。これはSellingの効率性は高めますが、Marketingの仕組みとはなりえないものです。SellingとMarketingとはまったくの別物です。Sellingは「刈り取り」であり、Marketingは「種まき」、あるいは「気付きのヒント」の仕掛けである、と私は学生たちに教えます。この比喩がその違いをもっとも分かりやすいと思うからです。「友の会」は効率的な「刈り取り」を可能にした仕組みですが、「種まき」の仕掛けとはなりえない、と私は考えます。

 そこに「友の会」の限界性があります。「友の会」は、文化芸術に関心のある人々への有効性と、潜在的なニーズをもっている人たちへは届かない限界性の両面をあわせもっている制度と言えるでしょう。極言すれば、放っておいてもアクセスしてきるお客さまへの利便性を訴求し、ホール側からいえばそういうお客さまを囲い込むシステムです。しかし、新しい顧客を掘り起こし、開発することにはほとんど無力であると言わざるをえません。「友の会」の入会勧誘のチラシをいくら配布しても潜在的顧客へのアプローチには決してなりません。勧誘チラシの訴求ターゲットがまったく違うことに気付かなければいけません。

 しかし、「会員をもっと増やしたい」と回答した施設は77.4%もあります。多くの公共ホールが会員を増やしたいと思いながら、的外れのチラシを配布しているという図が想像できます。目的のまったく違う宣材ツールを配布していることに担当職員は気付かなければいけません。とはいえ、「会員をもっと増やしたい」という思いは当然のことです。ならば、潜在的ニーズをもっている人々へのアプローチをしなければなりません。つまり、アーツマーケティングの展開です。そのためには、まず、公共ホールや劇場は何かを観たり、聴いたりする場所である。という概念を拭い去ることから始めなければならないと思います。私たちはお客さまにより良質の「経験価値」を提供する業態であることを、まず前提としなければいけないと思います。「文化芸術サービス業」ではなく、「経験価値サービス業」と自己規定することからアーツマーケティングは始まります。つまり、舞台の上で起こることを顧客に提供する仕事ではなく、劇場に関わるすべての「経験」をより良いものにするための演出をする仕事と考えなければアーツマーケティングは単なるセリングにとどまってしまうのです。

 「劇場に関わるすべての経験」とはどのようなことまでを指すのでしょうか。まずはチラシのデザインやキャッチコピーです。チラシを見て心が動き、裏を返して情報を取得しようとする行動は「劇場経験」の始まりです。ウェブ検索をして出演者やレビューやプレビューに触れてより深い情報を得ようとすることも「劇場経験」です。それには、従来のように芸術団体から送られてくるチラシを購入して、場所と日時とアクセス地図を追い刷りする作業で事足りるとは思いません。それでは一方向の「情報」の垂れ流しです。マーケティングとは一方向の情報流通とは違います。マーケティングとは、双方向性をもったコミュニケーションです。チラシの裏を返す、という時点で、コミュニケーションは始まります。チケットを予約し、公演前日にあれやこれやと心をときめかせるのも「劇場経験」です。もちろん「観る・聴く」もそうですが、その前後に友人や家族とお茶を飲んだり、食事をして、舞台への期待を話し合ったり、鑑賞後の心の高揚を共有することも「劇場経験」です。そのためにはホール内のレストランや市内の飲食店との連携が必要でしょう。たとえばホールのウェブサイトから食事を予約できるような仕組みを作らなければなりません。チケッティングに際しても、お客さまそれぞれのライフスタイルにマッチした多様性と選択性と自由度を持たさなければならないでしょう。そのモデル事例をここに記すと予定枚数を超えてしまうので可児市文化創造センターのウェブサイトを参照してください(http://www.kpac.or.jp/index.html)。ワークショップやアウトリーチもまたマーケティングとして位置づけ、性格づけるべきです。演劇や音楽と映画を関係づけてアップセルやクロスセルを企図する仕掛けもまたマーケティングの手法のひとつです。まだまだありますが、この程度にとどめます。ただ、絶対に施設側の利便性や都合で制度を設計しないことが肝要です。

 お客さまの立場にたたないで「集客が困難」というのはないものねだりです。たとえば、ライフスタイルにマッチして、時代に対応したチケッティングシステムとは、顧客志向に徹した「創客」の仕掛けに他なりません。「集客」と「創客」はまったく正反対の概念であり、百八十度違うものです。前述したように、「集客」が刈り取りなら「創客」は種まきです。「集客」がセリングなら「創客」はマーケティングです。「友の会」はまさしく「集客」の仕組みにほかなりません。「友の会」という制度は、ホールの側の都合によって作られた集客システムです。

 公共文化施設は「公共」であることで、すべての市民を視野に入れて経営されなければなりません。「経営」というと「文化芸術」と正反対の考え方と考えて違和感を覚える向きもあるかと思います。しかし、「経営」という言葉は、現代では金儲けと同義のように使われていますが、本来は「新しい価値」を生み出すことを意味します。私たちは公共文化施設の仕事に従事する者は、「新しい価値」を、すべての市民を視野に入れて供給することをミッションとしているのです。むろん文化芸術の愛好者に「新しい価値」を提供するのも仕事です。「友の会」はそのような人々に利便性と多くの機会を提供する仕組みです。しかし、それだけでは「公共」の使命を果たせているとは言えません。市民の多様な感性に働きかけてこその「公共」ではないでしょうか。

 つまり、文化芸術の愛好者へのアプローチはユニコーン(一角獣)の角と施設の利害のマッチングですが、現代の消費者や市民は、角のたくさん出ている金平糖のような存在です。様々な感性による嗜好や楽しみや喜びを持っている存在です。そのような人々のどれかの角に届くような体験を提供できれば、劇場はそれぞれの人にとって必要な場所になります。私は劇場やコンサートホールや美術館のような文化施設は、「集い」、「出会い」、「語り合い」「知り合う」場所であると思い続けています。そのような「経験」によって「よい思い出」を残していただいてこその経験価値サービス業です。鑑賞のあとの語らいや食事を楽しみにする方もいらっしゃるでしょう。ワークショップでの出会いとコミュニケーションと仲間づくりに喜びを感じる向きもいらっしゃるでしょう。私たち公共ホールの仕事に従事する人間は、お客さまのそのような「劇場経験」をより良いものにして、かけがえのない思い出を劇場に残していただくために、その「体験」を「演出する」のが主要な役務なのです。

 したがって私たちは、「創客」という目的にマッチした新たな仕組みを考え出さなければならないところに来ているのではないかと思うのです。「友の会」の役割は終えた、のではなく、その限界性を認識した上で、「会員をもっと増やしたい」ではなく「劇場経験」を楽しみにする人が多く訪れるようにしたいという欲求を充たすために、劇場への潜在的ニーズを掘り起こす時期に来ていると思うのです。それによって「劇場経験」をライフスタイルに組み込む人が出てきたら、次にその人はチケットを買ってくださるかもしれません。会員になってくださるかもしれません。ただ、そうでなくても良いのです。お金を落とさなくても「私にとって必要な場所」と感じていただければ、私たちの一応の使命は果たせるのだと思います。「集客から創客へ」、「セリングからマーケティングへ」、時代の変化に私たちも対応すべき時期に来ているのではないでしょうか。