第11回 芸術のありがたさを実感した年末の箱根で思った

2008年1月18日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

 今年も1月17日がやってきました。この日には決まって早朝五時半には目が覚めます。自分でも不思議な習性と思っていますが、これもトラウマなのかも知れません。すぐにテレビのスイッチを入れて五時四十六分の追悼の祈りにブラウン管を通して立ち会います。もう13年も経ってしまった、遠い以前のことのように思えると同時に、輪郭のはっきりした瓦礫のまちの記憶がよみがえります。平衡感覚のなくなるデコボコの道といろいろな角度で傾いてもたれ合っている三ノ宮のビル群。空爆にでもあったかのような長田の光景。それでも、あきらかに尋常ではない光景の中に数日いるとその感覚が麻痺して、そのまちが日常となってしまう人間の不可思議さに当時はザラザラとした抵抗感があったものです。

 今年も年末に箱根に行ってきました。一年の疲れを癒す恒例となっている家族旅行です。そしてこれも恒例となっているポーラ美術館での半日。今年の企画展は「モネと画家たちの旅/フランス風景画紀行」でした。印象派の画家たちの、太陽の光をカンバスに塗りこんだ風景画がてんこ盛りという感じでゲップがでそうな感じでしたが、やはり好きな画家の作品の前では長く立ち止まって彼の感性に寄り添う歓びを感じました。正直言って、モネは好きではないのです。ぼんやりとしたタッチで、光に浮き立つ色に切れがないのが嫌です。印象派では、ポール・シニャックやジョルジュ・スーラやギュスターブ・ロワゾーの作品のほうが好きです。光が色を点として浮き立たせて全体が構成されている点描画タッチの絵からは、画家たちの光への敏感な感性がストレートに出ていて刺激的です。 

 大好きなゴッホの「アザミの花」も展示されていました。一年ぶりの再会でした。ゴッホがみずから命を絶つ前に描かれた作品です。ゴッホと言うと向日葵の黄色を思い浮かべる方が多いと思いますが、彼は精神の安定を欠いているときには青を基調とした作品を描いています。確か向日葵を描いたゴッホの作品は十四点あったと思いますが、私は「青のゴッホ」から受ける彼の苦悩に惹かれます。精力的に作品を創り出しながら評価をされないことで芸術家としての誇りを傷つけられ神経をズタズタにされている彼の心に共感するのです。

 のんびりと美術館での時間を楽しんだあと、ショップでミュージアム・グッズをいろいろと見て箱根の一日が過ぎていきました。このゆったりと流れる至福の時間と13年前の神戸での時間が同一線上にあるとはにわかには信じがたい気分になっていました。

 でもしかし、ザラザラとした感触の、あるいはカサカサとした埃っぽい日々に、こういう時間が必要なのではないか、とも考えました。神戸での時間は、かならずしもあの13年前のあのときにだけあったのではなく、私たちは日常的な「あの日たち」を生きているのではないだろうか。生きる、とはそういうことのように思えてならないのです。だとするなら、私にとって年末のポーラ美術館はひととき羽を休める止まり木のようなものだと感じるのです。現代の喧騒を生きることを余儀なくされている私たちにとって、劇場や美術館はそういう場所でなければならないと強く思います。アーラが市民の皆さんにとってそういう場所であったならこの上のない喜びです。また、そういう場所にするように不断の努力をしなければならないと思うのです。

 ニューイヤー・コンサートの終わったあと、お客さまをお見送りしているときに、皆さんの良い経験をしたというような満ち足りた表情を拝見しながら、少しは皆さんの生活に「劇場のあるライフスタイル」を提案できたかなと思いました。