第108回 寄り添うということ  被災時における文化芸術の役割。

2011年4月15日

可児市文化創造センターala 館長兼劇場総監督 衛 紀生

可児市文化創造センターalaの三本のフラッグポールに掲げられている三旒の旗が、震災以来1ヶ月あまり半旗になっています。可児市民にとっても、この度の震災・津波には深い関心を示さずにはいられない不幸な出来事でした。                                               

仙台出身のアーラの職員が帰省しています。一週間程度の休暇をとって帰省し、家族や友人から被災時の話を聞いて、それを丸ごと受け容れて、いわば家族や友人に「寄り添う」ことをしたあと、時間があればボランティアをしてくるように、という館長命令を東北出身者の職員4人に向けて出したからです。もうすでに一人は帰省し、石巻で被災した家の片付けのボランティアをしてアーラに戻ってきています。いま帰っている職員も同じ石巻でボランティアをしています。これは、「サバイバーズ・ギルト」(生き残りの罪悪感)の一種である、被災時に当該地にいなかった職員たちの「不在抑圧」を軽減するための指示でした。

いま帰省している職員には、その他に、6月から始める被災者のこころのケアを目的とした避難所アウトリーチのコーディネイトの全般を依頼している仙台の舞台監督工房の石井忍氏と、さらには震災時の神戸でアートエイド神戸(神戸文化復興基金)を立ち上げた島田誠氏を紹介した仙台メディアテークの佐藤副館長を訪ねて情報交換をしてくるように、という二つのミッションを与えました。ともに、今後、アーラが被災地へ向けてアクセスしていく上での、いわば橋頭堡づくりの初手を打ってくるようにという意味でのミッションです。

震災から1ヶ月が過ぎて、多くの芸術文化関係者が被災地に入り始めています。被災地でのワークショップなどの活動を前提とした動きで歓迎すべき動向と言えます。また、演劇集団キャラメルボックスが、『賢治島探検記』という作品の上演権を無償提供するという動きがあります。この作品は、「阪神淡路大震災の後に何もできなかった体験を元に、街頭や公園など、屋外で上演することを念頭に置いた作品」であり、「基本的にセットチェンジや大がかりな美術を必要とせず(略)役者の力だけで上演でき、初めて演劇を見るようなお客さんにも楽しんでいただけるように作られている脚本」(ブログ 加藤の今日)だそうです。

しかし、何を行動に移すにしても、被災者の立場に立てているかを必ず検証して行動してほしいと、私は老婆心ながら考えてしまいます。演劇や音楽では決して死に至ることはないから、慰問のつもりで何をしても楽しければ良いだろうと考えがちですが、迂闊な行動が被災した人々のこころを、さらに深く傷付けることになります。それだけは絶対に回避してほしいと願うばかりです。阪神淡路大震災の時には、一般的に「楽しいもの」、「笑えるもの」が演劇や音楽に求められました。避難所に常駐していた生活支援のボランティアからも、そういうリクエストが当時、私たちが行っていた神戸シアターワークスに向けられました。

しかし、それは本当に被災者に必要とされているものなのでしょうか。被災者に「寄り添う」ことになるのでしょうか。もちろん、いっときでも被災を忘れて「笑う」ことはあっても良いとは思いますが、サバイバーズ・ギルトに苛まれ、将来の生活設計も見通せない不安を抱えている人々に、「楽しいもの」や「笑えるもの」は無神経過ぎると私は思います。被災者も、実はそのようなものは求めていません。神戸で自らも被災者であった日経新聞の記者と震災直後に話したとき、彼は、「音楽でも、むしろ深刻なもの、映画でも泣けるものの方がいいんだよね」と言っていました。

被災時に必要なのは、苛まれているこころの重石や、見通せない不安を涙として吐き出すか、誰かに話して、受け止めてもらうことだと私は思います。「楽しいもの」や「笑えるもの」は、一時的にそれらを忘れることになるかもしれませんが、こころは軽くならず、「楽しんだ分だけ」、「笑った分だけ」、余計に重く現実が圧し掛かってくるのではないでしようか。被災者はこころに「重傷」を負っています。そのこころに「寄り添う」もの、こころの痛手を「癒すもの」、重石のようになっている気持ちを「吐き出せる」ものが、こころのレスキュー活動の本質であり、根幹なのです。その枝葉として「楽しいもの」や「笑えるもの」があっても良い、という程度です。むしろ、避難所での同居者の目を憚って泣けない現状を抱えている人々に、思い切り「泣いてもらう」ことの方が、被災者のこころを真に軽くするのです。

別の勘違いもあります。東京のある演劇関係者から「支え合うコミュニティをワークショップでつくる」という提案があったと仄聞しました。被災地を良く見ていない暴言のたぐいです。かつてのコミュニティから引き剥がされてバラバラに入居した神戸の仮設住宅とは異なり、現在ある避難所は近隣の人びとが身を寄せ合っているのです。コミュニティはいまのところは温存されているのです。被災者はもう充分に支え合っているのです。むしろ、そのことに疲れ始めているのです。そのような処で、いまさら「自己紹介ゲーム」や「他己紹介ゲーム」をしたところで、被災者の現状を馬鹿にするだけなのです。こころの傷に塩をすりこむような行為です。自分勝手な「善意」を振りかざしているに過ぎないことを、コミュニケーションの専門家であるべきその演劇人本人がなぜ気付かないのでしょうか。「善意」をマネジメントできていないばかりか、被災者に「善意」を押し付けているだけの行為です。被災者の立場でものを考えていないばかりか、被災地では一番厄介な種類のボランティアです。

演劇集団キャラメルボックスが無償提供するという『賢治島探検記』ですが、私は無暗に被災地や避難所にパフォーマンスを持ちこむことには賛成できません。被災地でパフォーマンスが出来ないのは、彼らが言うように「セットチェンジや大がかりな美術」が困難だからでは決してありません。そういうものがなくても上演できる、というのは演劇人の側の都合でしかありません。重視すべきは、被災者がパフォーマンスを観たがっているかどうかであり、観ることで被災者の石を飲み下したような気持ちが軽くなるかです。一言でいえば被災者の「生きる意欲」にパフォーマンスが関われるのか、ということです。関われるのだとしたら、あと最低でも3年程度の時間は必要なのだと私は思います。終戦から2、3年たった頃、当時の東劇や帝劇に3万人超の観客が押し掛けたことがありました。出し物は、興行会社が委託した新劇団の舞台でした。そういうニーズの時期は必ず来ます。ただ、いまは、まだそういう時期ではない、ということです。だからと言って、演劇に災害時の即応力がないということではありません。演劇が持っている人と人を結びつけ、関わり合うコミュニケーション機能が、パフォーマンス以外の局面で大きなレスキュー機能を果たすのです。

例外があるとすれば、被災者の「いま」に寄り添えるパフォーマンスです。被災者が共感できるもの、「いま」のこころの状態や他者との関係の在り方に「いまのままで」、「ありのまま」で良いのだと肯定的してもらえるもの、などではないでしょうか。胸一杯にたまっている涙を誰はばかることなく流せるものです。「笑えるもの」、「面白いもの」との思い込みで避難所や仮設住宅に無暗にパフォーマンスを持ち込まないことです。絶対にやってはいけません。「頑張って」、「元気を出そうよ」、「笑おうよ」というメッセージほど、被災者を愚弄し、貶めるものはないのですから。

仙台の代表的な演劇人である石川裕人氏が「演劇は動き出すのが遅い」というような意味の批判をされたとブログにありましたが、私は逆だと思います。「音楽は早すぎる」と思います。戦時中の慰問団の発想では貧しすぎます。被災者のこころの「いま」を慮って何を届ければ良いのかを考えない「慰問」は愚かしいとさえ思います。被災したから音楽で慰めようという短絡的な発想は、受け手となる人々のこころを顧みていない「善意」の押し売りに過ぎません。「こころの復興」に関わる文化芸術の動きが遅いのは当たり前です。まずは生活支援や生活再建が先にあるのは当然です。生活支援のボランティアが大勢入って、救援物資が多く寄せられる「ハネムーン期」が過ぎて、被災者が否応なく現実に戻される頃になってはじめて、こころに寄り添う演劇的な行為や音楽的な癒しが必要になるのです。

これからしばらくたってからの演劇人のミッションは、被災者の話の聞き役にまわる「嘆きの作業(Grief Work)」の担い手になることではないでしょうか。そのバリエーションとして、神戸シアターワークスがやった、子どもたちの呟きを『燃えない野原をめざして』という物語として紡ぐワークショップなども考えられます。ともかくも、基本は、被災した人々のこころに鬱積した気持ちを吐き出してもらうことです。この時に忘れてはならないのは、事後にデブリーフィング(振り返り)の進め手となる臨床心理士などのこころの専門家の介在です。そういう存在がチームにいないと、「二次被害」が演劇人やワークショップの担い手に起きてしまうのです。被災者の「こころに寄り添う」ということは高いリスクを冒すことでもあります。東北沿岸部の避難所には、常駐ではないにしても、臨床心理士や心療内科の医師が各所を巡回しているようです。そういう専門家に立ち合ってもらう必要はあります。それなしに避難所や仮設住宅に飛び込んでいくということは、あまりに無防備すぎると思います。「リスク」ばかりか、自分の「善意」もマネジメントできていない証左です。

16日から『祈りのコンサート ― 被災地に届け、可児市民は忘れない』のチケットが発売されます。震災直後から考えて、3月20日から新日本フィルなどの各方面に働きかけ始めた事業だけに、マーケティングの準備不足は否めません。どれだけ可児市民が「決して忘れない」という被災者に寄り添うメッセージに呼応してくれるか不安はあります。しかし、来年からは毎年3月11日にこの「決して忘れない」のメッセージを込めた『祈りのコンサート』は継続させるつもりでいます。「3・11」に毎年開かれるコンサートの告知に、「あ、そうだ」と被災した人々の「いま」に思いをはせる可児市民であってほしいと思っています。「忘れないこと」が被災者への最大の支援だと思うからです。

沿岸部の避難所アウトリーチの準備も進んでいます。昨日、避難所の責任者への聞き取りから候補になっている場所にマーカーが引かれた地図が手元に届きました。宮城県では山元町、亘理町、名取市、七ヶ浜町、東松島町、石巻市、岩手県では大槌町、釜石市、大船渡市がマーカーで塗りつぶされていました。自家発電による拡声の用意、寝袋の持ち込みなどの宿泊滞在の計画、臨床心理士の有無と立ち合い依頼の可能性、読み物として避難所に置いてくる台本の増刷、自分たちの水と食料の調達と持参の計画、とくに動きの制約がある岩手県を中心とした行動計画、コミュニティアーツ・ワーカーになってもらうアーチストに無理のかからない環境づくりなど、仙台の舞台監督工房と進めなければならない仕事は山積しています。来年度は市制30周年、劇場開館10周年です。それまでに被災地に向けた仕事がネットワークを充分に活用してスムーズに動くようになればと思っています。ともかく、この4、5年は、被災者のこころに寄り添うことが社会的なニーズであると考えています。

そして、いま検討されている「劇場法」(仮称)は、すべての地域の公立の劇場・音楽堂が、このような事態に出来る範囲でこころの支援に動くことを責務とする精神に貫かれた立法となることを願ってやみません。公共の劇場や音楽堂は、決してイベント会場にとどまらない社会的役割があるのではないでしょうか。