第100回 劇場法(仮称)がもたらす社会を構想する  「失われた30年」を取り戻す。

2011年2月28日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

名古屋での「世界劇場会議国際フォーラム」、文化庁での「劇場・音楽堂等の制度的な在り方に関する検討会」、東京芸術劇場の会議室に集まった有志での「演劇部会」と、この1ヶ月足らずの間に「劇場法」(仮称)についてのセッションや検討に立ち合いました。その合間を縫って、奈良のたんぽぽの家での『臨床するアート』という2日間にわたったアートと福祉・医療に関するミーティングで、「アートとソーシャル・マーケティング」に関する基調講演をしました。また、世界劇場会議の直前には、狙ったようなタイミングで、『文化芸術の振興に関する基本的な方針』(第3次基本方針)が閣議決定されました。この1ヶ月あまりのあいだは、随分と「劇場法」(仮称)について考える機会がありました。

2月8日に閣議決定された『文化芸術の振興に関する基本的な方針』(第3次基本方針)が画期的と思えるのは、その基本理念において、「文化芸術は、子ども・若者や、高齢者・障害者、失業者、在留外国人等にも社会参加の機会をひらく社会基盤となり得るものであり、昨今、そのような社会包摂の機能も注目されつつある」とした点です。さらに、「そのような認識の下、従来、社会的費用として捉える向きもあった文化芸術への公的支援に関する考え方を転換し、社会的必要性に基づく戦略的な投資と捉え直す。そして、成熟社会における新たな成長分野として潜在力を喚起するとともに、社会関係資本の増大を図る観点から、公共政策としての位置づけを明確化する」という文化政策の位置づけです。ここは、後年振り返って、文化政策のある意味での「転換点」と評価されるのではないかとも思えます。

ただ、後に続く「文化芸術振興に関する重点施策」と「文化芸術振興に関する基本施策」において、前段のこの件の展開がなく、従来からの認識をブレークスルーしていないのにはいささか不満は残ります。しかし、ともかくも「文化芸術の社会包摂の機能」に着目した点と、「文化芸術への公的支援を社会的必要に基づく戦略的な投資」と位置づけた点は高く評価できます。福祉・医療の現場でアートを積極的に取り入れて活動している『臨床するアート』でたんぽぽの家に集まった多くの人々にとっては、「朗報」とも言える文言だったのではないかと推察できます。とりわけ「子ども・若者や、高齢者・障害者、失業者、在留外国人等にも社会参加の機会をひらく社会基盤となり得るものであり、昨今、そのような社会包摂の機能も注目されつつある」として「社会関係資本の増大を図る観点から、公共政策としての位置づけを明確化する」という認識が示されたことは、『臨床するアート』の人々の大きな励みになると思えます。まさしく、「いのちの格差」をなくす社会づくりに文化政策を位置づける方向に舵を切ったと評価します。

従来、「ソーシャル・キャピタル」(社会資本)への投資というと、橋梁、道路、建築物などを公共事業で整備設置することを指す傾向が強く、人間同士の信頼関係とか、コミュニティとか、きずなを指す「関係資本」という概念は薄かった、というよりないに等しいものでした。人や、人の関係づくり(コミュニティ形成)への投資は公共政策に馴染まないものとの認識が厳然とあったからです。その好例なのが、「建築国債」と「赤字国債(特例国債)」の峻別です。公共事業により建設される社会資本は行政財産として将来の国民も利用できるから建設国債は正当化できる、という論理です。これは成熟社会には馴染まない考え方です。成長社会では公共建造物が社会資本となりますが、成熟社会においては、人や人との関係づくりこそが公共投資に値する分野なのではないでしょうか。たとえば、公共ホールの建設設置は「費用」ですが、事業経営は「投資」と言えば分ってもらえるでしょうか。

私たちは、将来世代に、こんなに問題だらけの軋んだ社会を残すことを好ましいと思っているでしょうか。この無縁社会を引き継いで良いものでしょうか。心がザラザラとして、人間関係がギシギシと軋む社会をそのままにして後から来る世代に負わせても良いものでしょうか。それが今回の答申では、「社会関係資本」という語彙を使って、コミュニティやきずなという「関係資本」形成にまで踏み込んでいるのです。人々の多様な関係(きずな)もまた、ソーシャル・キャピタルである、と言い切っているのです。文化芸術が、社会の健全形成のためのキャピタル=資本であるとの認識が示され、その機能の有用性が明示されたのです。社会関係資本の形成と増大化のための戦略的投資として、文化芸術への公的支援が位置づけられたわけで、転換点の端緒としては合格点です。なかなかの見識と言えます。

ただ、その具体的な政策展開が、「文化芸術活動の公演・展示等において、高齢者、障害者、子育て中の保護者、外国人等が文化芸術を享受しやすいように、施設のバリアフリー化、字幕や音声案内サービス、託児サービス、利用料や入館料の軽減など対象者のニーズに応じた様々な工夫や配慮等を促進する」、「高齢者、障害者、子育て中の保護者等の文化芸術活動を支援する活動を行う団体等の取組を促進する」と、従来の枠から脱していないことが、私には物足りません。「関係資本」形成に資する根拠と、目指すべき社会的成果を「文化芸術振興に関する重点施策」と「文化芸術振興に関する基本施策」で科学的根拠に基づいた具体的な政策として展開してほしかったと強く思います。「社会包摂」という成果は、従来からの「上演・展示と鑑賞」という文化芸術に対する考え方からは決して出てはきません。英国の「社会包摂施策」としての、地域社会とコミットした劇場・音楽堂や美術館の具体的な事業設計と活動展開を間近に見てきた私としては、「指は掛っているのに引き寄せていない」というじれったさ、もどかしさを感じます。隔靴掻痒の感です。

「科学的根拠」とは、たとえば脳科学における社会脳(ソーシャル・ブレイン)の研究成果の活用などであり、それを具体的に施策に落とし込めれば、社会的矛盾の露呈による将来にわたる社会不安に対処する文化政策の可能性が提示できたのではないかと思います。文化芸術を「公演・展示と鑑賞」という枠からしか捉えられないのが日本の文化政策の最大の欠陥であり、改めるべき点であると思います。それが日本社会における「常識」ではあるのですが、ここ20年の社会環境の激変とも言える変化の中では、その「常識」をいかにブレークスルーするかが問われ続けているのではないでしょうか。可児市文化創造センターalaの活動が評価されているのだとするなら、従来の公共文化施設の運営に「経営=マネジメント、マーケティング」という概念を持ち込んで、その枠を大きく破った事業展開をデザインして、実施していることだと思っています。地域創造大賞(総務大臣賞)の受賞理由にあったように、その成果を可児市民の生活環境と質の「変化」としている点ではないでしょうか。

これは「劇場法」(仮称)を考える上でも非常に重要な考え方となります。文化芸術の社会的機能を、「公演・展示と鑑賞」という従来からの枠に押し込めてしまっては、施設を社会に開いて、その「社会包摂」という成果を国民や住民の共有財産にすることは決して出来ないでしょう。「ハコモノ」と揶揄され、ムダ批判の対象から脱するためにも、劇場・音楽堂を「社会包摂」をミッションする社会機関化する必要がある、と私は考えています。たんぽぽの家での『臨床するアート』での種々の報告から、そのニーズの多様性と、しかもそのニーズが大きく社会全般に広がっていることを改めて再認識しました。劇場・音楽堂は、そのためのセンター機能を果たさなければならない時代に至っている、という私の認識は誤っているでしょうか。私はこの考えは、およそ15年前に上梓した『芸術文化行政と地域社会』に収録されている『ドラマファームとレジデントシアターのネットワーク形成』(96年)の「レジデントシアター構想」の展開の中で、レジデントシアターが地域社会に果たす社会的役割として言及しているのですが。

「劇場・音楽堂」という用語が地域の中小の施設には抵抗感があり、それは大都市圏の施設を指して言っているのではないかとの指摘があります。もっともなことですが、『文化芸術振興基本法』で使っている文言を継承しているに過ぎないので、ここではあまり問題とはしません。その中小の公共ホールを含めて、いま為さなければならないのは、自分たちの「事業定義」と、施設の「存在理由と価値の提示」ではないかと私は思っています。自らを「上演・展示と鑑賞のための施設」と考えているようでは、時代の要請に応えられないのは間違いのないところです。時代に取り残されていることを自身の認識と自身の存在で証明しているようなものです。前回の『いのちの格差をなくす ―公共劇場の最終ミッションは』にある「劇場法」(仮称)の前文趣旨で、同法の名称を「舞台芸術拠点による社会包摂推進法」としているのには、そういう理由があるのです。

公共ホールの整備が公共事業として行われるようになってからおよそ30年、本来なら、中小のホールも大都市圏の劇場・音楽堂も、「公共」の施設である以上、当初からそのような使命を果たしてこなければならなかったのです。それを果たしてきたならば、「ハコモノ批判や「ムダ批判」は決して起きなかったでしょう。文化芸術施設の社会的認知は緻密に、しかも十全に推し進められていたはずです。文化芸術への公的資金による支援は「社会の健全形成への戦略的投資」として認知されていたに違いありません。

「事業定義」を誤ったために衰退産業化するという警告とも言える指摘は、セオドア・レビットが『近視眼的マーケティング』の中で展開しています。私たちも、公共ホールの「事業定義」をひどく誤ったもののままにしてきたのではないでしょうか。まさしく「失われた30年」なのです。「劇場法」(仮称)は、その失われた時間を取り戻す法律でなければなりません。文化芸術が広く社会的認知を得るための「事業定義」をして、それぞれの施設が自らの地域特性に適応した「ミッション」を設け、「事業定義」にしたがって事業を設計し、実施するための理念法が、まさしく「劇場法」(仮称)でなければなりません。可児市文化創造センターalaは、私たちの事業を、「私たちは<経験価値>と、そこから派生するかけがえのない<思い出>と、さらに新しい価値による行動の<変化」>とその<生き方>を提供する」、 「私たちは地域社会にコミットして、すべての市民を視野に入れたサービスを提供し続ける<社会機関>である」と定義しています。

「劇場法」(仮称)は、全国2200ある施設を縦型に階層化して、創造型の施設には大きな公的資金を投下することで欧米型の劇場・音楽堂と同様な劇場環境をつくる法律ではない、と私は考えます。いずれはそのような立法は必要となるかもしれませんが、やるとしても、それは次に着手すべき制度設計であって、その前にやらなければならないことが私たちにはあるのではないでしょうか。すべての市民と国民から強制的に徴収した税金で設置し、運営しているのですから、公共ホールは、すべての市民と国民の利益となるような文化芸術の社会的効用を社会全体や地域社会に向けて発揮すべきなのです。至極単純で、明白明瞭な理屈です。そうなってこそ、文化芸術への公的資金の投下が「戦略的な投資」として位置づけられるのではないでしょうか。いわば「文化芸術の民主化」です。「文化芸術の地域主権化」です。いまこそ、「失われた30年」を取り戻す「千載一遇のチャンス」であると、私は考えています。

昨年秋に芸団協の主催した『もっと文化を』のシンポジウムの折に、民主党の枝野議員が「文化庁は定量的な評価はまだしも、(文化の)定性的な評価の能力に欠ける。したがって、仕分けされることを押しとどめる説得性がない」という意味の発言がありました。これはひとり文化庁だけに向かってなされた発言ではないと思います。私たち文化芸術関係者すべてに向けられた鋭い指摘であり、警告だと、私は痛みをともなって受け止めました。その議員の指摘への回答こそが「劇場法」(仮称)でなければならないと強く思い続けています。「優れた舞台芸術に触れることで豊かな生活を享受できる」などという甘っちょろい根拠では、舞台芸術に関心のない圧倒的多数の人を説得することはできません。その人々も「公演と鑑賞」という枠組み内でしか文化芸術を認識していないと言えます。その枠組みに止まるかぎり、税を投入する根拠にはならないし、枝野議員ばかりか、国民を納得させられません。劇場・音楽堂や、あるいは公共ホールは、単一目的の上演・鑑賞施設ではないのです。民間施設ではなく公共施設なのですから、「上演・鑑賞機能」をも併せ持った社会機関としての役割を、つまりインスティテュートの機能を果たさなければならないのです。「上演・鑑賞機能」だけを特化するなら、それは単なる興行場に過ぎません。私たちは、まったく違った枠組みから施設を位置づける時代的な必要(social needs)に迫られているのです。

可児市文化創造センターalaでは、「アーチストのいるまちづくり事業」として、コンテンポラリーダンサーの新井英夫さんにレジデントしてもらって、高齢者の体力維持と健康維持、それに仲間づくりのためのワークショップと、障害者と健常者の交流を促進して相互理解を推進するプロジェクトをしています。昨年、そのための助成を独立行政法人福祉医療機構(WAM)に申請しましたが、不採択でした。高齢者・障害者とスポーツについては同機構で認知されているのですが、文化芸術や公共ホールの仕事への理解は、まだまだ其処にまでは至っていないようです。いささかがっかりはしましたが、「劇場法」(仮称)は、そういう仕事も公共文化施設の公益的な使命であるとの全国民的な理解を推し進めるものでなければならないと考えます。私たち劇場人は、福祉・医療の局面においても文化芸術の機能が認知され、すべての国民と市民の文化権が多様に保障される社会を目指すべきだと思っています。

世界劇場会議国際フォーラム『劇場の役割と進む道―すべての人びとに喜びを』での第二セッション「劇場法への提言」は、300名程度の参加者が熱心にディスカッションに注視していました。主体的に参加し、論議に関わっているという空気に会場は満たされていました。関心の高さが感じられる5時間のセッションで、スピーカーとしては身の引き締まる体験でした。「劇場法」(仮称)を何とか良いかたちで結実させなければ、と劇場人の一人としての責任を痛感した世界劇場会議国際フォーラムでした。