第五章 戦略的アライアンスの展開―「機会」を創り出す経営。(2

2009年3月4日

コラボレーションという言葉は非営利アーツ団体によって広く使われている言葉であり、様々な共同活動を意味する。全市的なアーツ・フェスティバルや、各イベントへの企業スポンサーシップがその一例だが、こうした試みは概して戦術的であるのがその本質であり、一般的に定義されるようなミッション、構造、計画努力を持たない、非公式な関係であるのが特徴だ。情報は必要な時に分け合い、権限はそれぞれの団体によって保持されるため、事実上、リスクはない。資産も、達成した成果の見返りも、別々になっている。

 それとは対照的に、我々はコラボレーションを、恒久的な献身と広範囲な関係を含む戦略的同盟であると考えている。共通のミッションを遂行するために作られた新規のコラボレート構造に従って、権限が決められる。当事者たちは総合計画に携わり、明確な意志疎通経路を作り上げる。彼らは資産を共同管理し、達成した成果の見返りを分け合う。コラボレーションの各メンバーが自分の資産(これには各団体の評判も含まれる)を寄与するので、他の非公式で短期の関係と比べ、各自が受けるリスクが多大である。
 上手にデザインされ、上手に実行された戦略的コラボレーションは、アーツ団体がそのミッションや質を妥協することなく、顧客ベースの拡大、新しい財源の開発、経費の削減を行うのに役立つ。
(フィリップ・コトラー&ジョアン・シェフ・バーンスタイン『Standing Room Only』)

他の機関との戦略的コラボレーションによる経営基盤の強化(その1)

 『How the Arts Can Prosper Through Strategic Collaborations』(芸術とビジネスのコラボレーション)でフリップ・コトラーとジョアン・シェフ・バーンスタインは、60年代半ばから約20年間つづいた、アメリカの非営利芸術団体の右肩上がりの拡大のあと、その盛況がすっかり影をひそめてしまったことを報告している。87年には非営利芸術団体の興行収入はスポーツのそれを上回っていたし、潤沢な資金をバックにして芸術団体は意欲的なプログラムを次々に打ち出していた。このまま観客数も寄付金も右肩上がりで増え続けていくだろうと、その時期には楽観的な空気が非営利芸術団体を覆っていたという。

 それが一転厳しい経営環境におかれたのは、政府からの補助金の大幅削減、企業メセナの特定公演に限定した寄付金の拠出、あわせてアメリカ人のライフスタイルの大きな変化が非営利芸術団体を襲うことになった、と報告している。

 この状況に対しての解決策のひとつとして、 『How the Arts Can Prosper Through Strategic Collaborations』で提案されているのが、戦略的コラボレーションと呼ばれる手法である。

戦略的コラボレーションとは、公演の都度、寄付金を出してもらうのではなく、参加する全団体が恩恵に浴することができる、集中的かつ長期的な協力体制を意味する。

計画と実行に失敗しなければ、戦略的コラボレーションは、顧客層の拡大、新たな資金源の開発にきわめて有効である。各団体の使命を妨げたり、公演の質を落としたりすることなく、コストも切り詰められる。

日本の芸術文化、とりわけ今日の公共文化施設を取り囲む環境は、アメリカとは違った意味で厳しい状況 = レッドオーシャンの状態におかれている。行財政改革を背景とした指定管理者制度と、前述したような経費節減のみにシフトした制度運用が、施設の経営環境に強い制約を与えている。施設側が経費削減によって萎縮している状態である。指定管理者に指定されるには、まず予算の削減を前提として経営を考える。一見、正当な感じではあるが、「住民サービスの向上」を置き去りにしているという点では、片肺飛行なのである。いわば、経費削減による経営の萎縮は、ともかくも予算の枠を圧縮して決めてから、その額に合わせるかたちでサービスを考えるという自主規制までも生み出している。「住民サービスの向上」とはそのようなものなのか。

指定管理者が萎縮してしまっては縮小再生産を繰り返すことになり、「住民サービスの向上」は遠のくばかりになってしまう。この先にあるのは、事業の廃止と貸館のための管理職員だけを配置するだけの、まぎれもない「ハコモノ」になる将来像である。さらには「廃館」までも視野に入ってくる。外部環境が悪いときほど、それまでの「常識」を逸脱した経営を考えるべきである。指定管理者を「攻めてとる」くらいの気持ちがなければ、行き着く先はおのずと決まってしまう。職員に経験知や技術集積のない「その日暮らしの施設管理」に向かうしかないのだ。

「常識を逸脱する」とは如何いうことなのか。それは「機会」を創出するということだ。従来のように行政からの指定管理料のみに依存したり、行政の下請けのように存在するのではなく、経営資源と資金源を多様化し、協働できる組織(行政・企業・NPO)と手を携えて事業に拡がりを持たせる知恵と工夫と行動が必要になってくるのだ。その協働を経年化する仕組みをつくる、それがいま必要とされる「戦略的アライアンス」である。

 まずは、みずからをどのように位置づけるかである。前述したSWOT分析をしてみるのも良いだろう。みずからの施設を「地域文化の振興」のために福祉配給的に文化事業を提供する、狭義にと定義づけてしまうと、公共文化施設の存在自体が目的化されてしまい、芸術文化が潜在的に持っている社会的機能を劇場・ホール内に封じ込めてしまうことになる。前述したように、公共文化施設とは「政策目的」ではなく、多様な住民の潜在的ニーズに応えるための「政策手段」でなければならない。何らかの地域の社会的ニーズを反映した政策を実現するための手段(装置)として、みずからを位置づける必要がある。たとえば、SWOT分析をすれば、みずからが行政出資型財団であることが「強み」にも「弱み」にも、また「機会」にも「脅威」にもなるだろう。

先年施行された文化芸術振興基本法には以下のような文言がある。

第二十一条 国は、広く国民が自主的に文化芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造する機会の充実を図るため、各地域における文化芸術の公演、展示等への支援、これらに関する情報の提供その他の必要な施策を講ずるものとする。

第二十二条 国は、高齢者、障害者等が行う文化芸術活動の充実を図るため、これらの者の文化芸術活動が活発に行われるような環境の整備その他の必要な施策を講ずるものとする。

第二十三条 国は、青少年が行う文化芸術活動の充実を図るため、青少年を対象とした文化芸術の公演、展示等への支援、青少年による文化芸術活動への支援その他の必要な施策を講ずるものとする。

第二十四条 国は、学校教育における文化芸術活動の充実を図るため、文化芸術に関する体験学習等文化芸術に関する教育の充実、芸術家等及び文化芸術活動を行う団体(以下「文化芸術団体」という。)による学校における文化芸術活動に対する協力への支援その他の必要な施策を講ずるものとする。

第三十二条 国は、第八条から前条までの施策を講ずるに当たっては、芸術家等、文化芸術団体、学校、文化施設、社会教育施設その他の関係機関等の間の連携が図られるよう配慮しなければならない。
2 国は、芸術家等及び文化芸術団体が、学校、文化施設、社会教育施設、福祉施設、医療機関等と協力して、地域の人々が文化芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造する機会を提供できるようにするよう努めなければならない。

 とりわけ32条にある「学校、文化施設、社会教育施設、福祉施設、医療機関等と協力して」の部分に着目してほしい。みずからが行政と強い関係にあるのなら、それを「強み」と「機会」にして経営に活かすべきである。文化芸術振興基本法にある各機関を所管する自治体の部署との連携は最低限とるべきであろう。民間企業に比べて行政出資型財団ならアプローチは取り易いはずである。

可児市文化創造センターであれば、総合政策課(計画行政を推進する)、まちづくり推進課(国際交流やまちづくりを推進する)、市民課(住民登録、外国人登録)、商工観光課(商工界との連携、交流人口の増加)、福祉課(生活福祉、障害者福祉、福祉医療)、いきいき長寿課(高齢者福祉)、学校教育課などとの協議と連携である。最低限、これらの部署とのコミュニケーションは密にしておかなければならない。有機的に各部署と公共文化施設が連携できてこそ、「住民サービスの<質的>向上」が図れるのである。私はすでに各課課長、係長との協議を始めている。この連携こそが、行政と施設経営の効率性を担保すると確信するからである。2009年度事業からは、行政各部署との連携による事業展開が行われる。

「地域文化の振興」などという単一目的で文化施設を孤立させてはならない。孤絶した行政環境に公立文化施設を置くべきではない。孤立状態のところに健全なアートは存在しない。本来的には、公共文化施設におけるアートは、地域住民とのコミュニケーションの中に存在しなければならない。したがって、公共文化施設の指定管理者は、そのコミュニケーションに焦点を合わせなければならない。つまり、地域住民のニーズを充たすことで、ライフスタイルと意識に影響を与えることを使命としなければならない。「変革された個人」(ドラッカー)の創出であり、創客の仕組みである。一部の愛好者のためのみにサービスを提供するという不健全さに拠って立つべきではない。公立文化施設は行政財産であり、ここで執行される政策は、コミュニティ政策全般に関わるものであるはずだ。その施策を効率的、かつ高品質なサービスにするためにも、コミュニティ行政を所管する各部署との協議・連携は住民の付託に応えるものであり、市民との「契約」のまったき履行にほかならない

他の機関との戦略的コラボレーションによる経営基盤の強化(その2)

 近年、企業メセナ活動を、コーポレイト・ソーシャル・レスポンスビリティ(CSR)の一環と捉えようとする傾向が強まっている。社団法人企業メセナ協議会の調査報告書によれば、「メセナ活動をCSRの一環として位置づけている」と回答した企業は61.8パーセント、「今後CSRの一環に含める」と合わせると86.2%にもなる。また、社団法人経済同友会による『企業の社会的責任経営(CSR)に関する経営者意識調査』においては、「CSRは経営の中核課題」とする経営者が69%にも上っており、企業市民として社会の健全発展の責任を果たそうとする意識の高まりを見せている。

80年代の宣伝を企図した冠公演、90年代の企業メセナ協議会発足時の「見返りを求めない支援」論、「利益の一部社会還元」論から、明らかに社会貢献を視野に入れ、「社会からの要請に応えることが企業の持続的発展をもたらす」という企業市民としての自覚のもとにパートナーシップ論にシフトしているといえる。

 今後、指定管理者に求められるのは、地域社会の教育機関、福祉機関、医療機関などとの連携を推進して、コミュニティの健全育成に寄与することが強く求められるようになるだろうことはすでに述べた。鑑賞機会の提供と施設管理を粛々とやっているだけでは近隣の同業態の競争相手との差別化がはかられなくなるからだ。また、地方分権一括法以降、地方交付税交付金の減額によって自治体財政が厳しくなり、あわせて金融危機による税収に与える影響などを考えると、従来のような地域の公共ホール運営を専らするだけでは評価の低下は免れないだろう。指定管理者の健全な経営方針によって、地域社会の問題解決が今後の使命のひとつとなる以上、地域の公共文化施設は、地元企業のCSRとの協働の場をもたなければならなくなるだろう。地域社会の健全発展がともに共通するミッションであるからだ。そのような外部環境になる、と断言しよう。ということは、公共文化施設の活動の同心円と、企業活動の同心円の重なる部分が当然のように浮かび上がってくるということである

 私は、企業メセナによってチケットの提供価格を抑えてアクセシビリティーを高めるという方策よりも、企業からの資金、人材、製品、サービス、ノウハウの提供によって、公共文化施設が社会の問題解決の装置として機能するか、クォリティ・オブ・ライフ(QOL)の提案をする方が、今日的なCSRの考え方に適合したアクティビティであると考えている。

 公共、民間を問わず文化施設は社会的機関としての存立理由をもってしかるべきだと考えている。言うまでもなく、観客や聴衆を増やすことは大きな使命のひとつである。が、それだけで事足りるとは私は考えない。とりわけ、地域の公共文化施設には、住民のクォリティ・オプ・ライフに関わる責務があると思っている。この際の「ライフ」は、「いのち」である。決して「生活水準の向上」を意味するQOLではない。「いのちの質」の健全化であり、向上であり、当該住民が、住んでいて良かったと思える生活環境を創りだすことに、地域の公共文化施設は深く関わるべきであるのだ。それが、住民からの付託に応える、ということである。文化芸術の愛好者のディマンドに応えるだけでは不十分なのである。公共文化施設は、そのための「装置」としての社会的機能を持たなければならない。

 企業は、その存立する地域社会の環境形成に一定程度の責任を持っている。社会的責任経営(CSR)の全体像には、もっと広範な意味合いもあるが、そのひとつとして存立する地域社会にいかに貢献するかも問われることになる。

欧州に社会的責任経営の視察団を派遣した(社)経済同友会の報告書には以下のような文言がある。

(1)CSRは単なる利益の社会還元ではない。企業と社会の相乗作用によって、両者の持続可能な発展を共に実現するための戦略と考えられている。

(2)マネジメントの一部として経営の中核に位置付けられており、CSR担当役員を置いている企業が多く見受けられた。CSRとはコストではなく、5年後の人材の獲得、5年後に市場で支持されているようなブランドを獲得するための「将来への投資」と考えられている。

(3)日本企業・経済界としても日本型の「社会的責任経営」戦略を企業の側からイニシアチブとして提唱し、日本の企業と社会の長期的発展を目指すための第一歩を踏み出すべきである。 また、CSRは景気回復にも貢献すると言われています。例えば、株価が下がってきていますが、その原因のひとつが相次ぐ企業不祥事だったわけで、CSRにきちんと取り組むことで企業不祥事を減らし、引いては株式市場の負の連鎖を断ち切るというわけです。そして環境や従業員に配慮することで新たな設備投資や雇用を創出することにもなります。 (太字筆者)

 このような企業の経営認識は、企業によるCSR活動と地域社会の健全化を重要な使命とする公共文化施設の戦略的コラボレーションや、より高度な戦略的アライアンスへ向かう豊かな土壌を作り出すだろう。

この連携によってもたらされるのは、企業にとっては、地域に密着したイメージと地域社会からの支持、自社を誇りとする従業員満足、文化的な企業イメージによって創造的な優秀人材が集る雇用環境の向上などがあり、地域文化施設の指定管理者にとっては、経営資源の拡張、機会の創出、社会的評価の高度化とブランディング、将来的な指定管理者選定のみならず、様々な局面での競走優位性、社会機関としての認知など、両者にWIN-WINの関係をもたらす。この先に、文化と産業の好ましい循環というグランド・デザインとしての「創造都市」が構想されると言えよう。可児市文化創造センターでは、商工会議所や地元企業とのコラボレーションを進めている。その先に「アーラビジネス倶楽部」を構想し、そこからの資金提供をはじめとする協働によって、地域社会への貢献をしようと考えている。市商工観光課との協議は、むろん「創造都市・可児」を構想するものである

以下に、『Standing Room Only』に述べられているアーツと企業と地域社会の相互の好影響についてのコトラーの言を引用しておく。

多くの企業は、アーツ団体と協力し合うことによって自分たちの戦略的ゴールを果たせると気づき始めている。ビジネスを展開しているコミュニティに対して関与と支援をすることは、その会社の事業と採算性を向上させる。繁栄している文化コミュニティは、高い教育を受けた才能溢れる人々を引きつけて繋ぎ止めておくのに役立つし、顧客、クライアント、従業員の中に企業への信用<goodwill>をプロモートするのにも役立つ。アーツを支援することにより、会社は自分たちの企業イメージに人間味を加えることができる。

【次回】第五章 戦略的アライアンスの展開―「機会」を創り出す経営。(3)