第二章 最新のアーツマーケティング/その理論的根拠。(4)

2008年9月17日

前回は、顧客にとって最も望ましい経験価値を体験してもらうための「環境」を提供する手段として、劇場の多資源化を紹介した。今回はまず、劇場を中心にまち全体で多資源化をはたしている事例を紹介する。

まちが「劇場」―オレゴン・シェイクスピア・フェスティバル。

米国・オレゴン州のアッシュランド(人口約2万人)にあるオレゴン・シェイクスピア・フェスティバル(OSF)は、エリザベザン・ステージ(アレン・パピリオン)、アンガス・ボーマー劇場、ニューシアターの大中小の三つの劇場を持った事業規模約22億円のNPO経営の劇場で、ここは周辺のすべてのレストランと連携して飲食サービスの情報を提供している。レストランは非常に数が多く、また多彩な特徴を持っていて、個性的な料理を提供している。終演時間が遅いので食事をしてから観劇しようと好みのレストランに予約の電話を入れると、「グリーンショーをご覧になりますか」と電話口で質問してくる。

「グリーンショー」とは、劇場群に取り囲まれた傾斜のある芝生広場で行われる舞台開演前の無料のショーのことだ。ダンスや音楽演奏が仮設ステージで6時半から45分ほど上演される。それが終わると、近隣の町民や観光客は三々五々に帰路に着き、チケット予約をした人々は、その夜観劇するそれぞれの劇場に入っていく仕組みとなっている。「グリーンショーは観たいですね」とレストランのオペレーターに答えると、「それでは5時45分までにはおいでください」と時間を指定してくる。劇場とレストランのあいだには経済的な取り決めはないらしい。自然発生的に始まった連携ということだ。

いわば人口2万人のアシュランドという小さな町全体が、年間40万人の観客にとって「劇場」のように機能しているのだ。OSFのウェブサイトhttp://www.osfashland.org/index.aspx‘Your Visit’というページには、チケット購入はもちろんだが、宿泊施設、レストランなどの食事、周辺の観光地や美術館へのオプショナルツアー、ワイナリー見学、温泉、ショッピング、子供向けアーツサービス、託児サービスなど20種以上の観劇以外の劇場周辺のサービスを予約できる配慮がなされている。ちょっとしたショーを楽しめるミュージックシアターまで案内されている。

ここでちょっとオレゴン・シェイクスピア・フェスティバル(OSF)を概観してみようと思う。年間約40万人の観客のうち85%がリピーターで新規顧客は15%に過ぎない。リピーターのうちの28%が20年以上定期的にOSFを訪れている優良顧客だという。OSFの隆盛の裏には、このような優良顧客を多く生み出し、継続的な観客として維持しているマネジメントがある。

ポートランドの南約300マイル(480キロ)、サンフランシスコの北350マイル(560キロ)にある南オレゴンの人口2万人小さな町である以上、当然のことだが、遠隔地からの訪問客がおよそ88%にもなる。その他が車で1時間半以内からの顧客である。遠隔地からの顧客の平均滞在日数は3.2日で、平均観劇回数は3.5回、11の演目を年間791回上演するレパートリー・システムをとっている。このレパートリー・システムの採用もまた、アシュランドという「田舎町」で劇場ビジネスを成功させた要諦のひとつである。OSFに観劇に来る遠隔地からの顧客は、観劇料以外に1人平均一日あたり$91.08の消費をしているという調査結果が出ている。ということは、アシュランドでのOSFの観客の年間消費額は$3640万強になり、これにOSFの年間予算を加えると直接経済効果としておよそ$5500万にもなる。これにオレゴン州の乗数効果指数2.9をかけると、OSFの経済的インパクトは約$1億6000万にも達する。これがOSFのマネジメントによって町全体を「劇場化」している成果である。

「遠方から観客を引き寄せるのであれば、その人達が自分の住んでいる所では得られない何物かを提供する必要があるでしょう。他の劇場と異質なニッチを創り出す必要があるでしょう。皆さんは来る人達に特殊な体験を提供する事により、より多くの人達が長距離を旅して皆さんの市や町へ積極的にやって来るよう仕掛けなければなりません」。OSFの経営面のエグゼクティブ・ディレクターであるポール・ニコルソンはこのように語っている。

カナダのオンタリオ州にあるストラットフォード・フェスティバル(SFC)も同様のビジネスモデルで、年間68万人の観客を獲得している。ここでも‘Plan Your Visit’というタグをクリックすると劇場周辺の多様なサービスに辿りつけるようになっている。http://www.stratfordfestival.ca/ また、同様に、アラバマ・シェイクスピア・フェスティバル(ASF)の‘Travel Packages’ http://www.asf.net/index.aspx でも、宿泊の案内から美術館、ダンスシアター、バレエ劇場、動物園、レストラン、カフェなどが紹介され、滞在型のフェスティバルらしく、当日から五日間の天気予報までがリンクされている。

米国西海岸のサンノゼには「アーツカード」というアライブ・アフター・ファイブ(訳注:午後五時以降の活気ある生活の意)のための仕組みがあることがフィリップ・コトラーの『How the Arts Can Prosper Through Strategic Collaborations』に報告されている。このアーツカードは、地元のパフォーミング・アーツ・グループと博物館を代表するサンノゼ・アーツ・ラウンドテーブルと地元ビジネスグループのサンノゼ・ダウンタウン・アソシエーションやレストランやエンタテイメントビジネスのオーナーたちで組成された共同事業体http://www.sjdowntown.com/bus_art.htmlによって無料発行されており、カード所持者は15のレストランすべてでVIP待遇を約束されており、食事の割引が受けられる仕組みになっている。ダウンタウンにあるクラブや映画館でも特典が受けられる。プログラム開始からの9年間で、公演の前後に食事をするアーツ観客の割合は15%から85%に増加しているという。

アーツカードはサンノゼのダウンタウンに多くの人を集めるのに成功したばかりでなく、普段は支援をせがむばかりのアーツ団体がビジネスに対して何らかの返礼をするのに役立っている。コミュニティ精神への貢献は、アーツ・グループの(地域社会への)影響力を強化することにつながる。(How the Arts Can Prosper Through Strategic Collaborations)

これらを俯瞰してみると、観劇や鑑賞という「劇場経験を利用したマーケティング」というよりも、「多様性と選択の自由の提供をウェブによって担保することで、劇場とその周辺に顧客自身の意志によって望ましい経験価値を創り出せる仕組み」を提供することが顧客志向のマーケティングであると、これらの町の劇場は考えているのではないか。あわせてそれが、地域経済や地元ビジネスグループへの貢献にもつながっている。芸術の側は支援を受けるばかりではなく、その資金を地域に還流させて貢献するという循環可能なサイクルを実現できる変換装置になっている。芸術団体や劇場・ホールは、そういう可能性をも持っているのである。

ウェブサイトにおける多様なサービスの提供は、最大限に顧客の意志に選択をゆだねて、顧客にとって望ましい価値を受け取ってもらおうとする劇場サイドの意思表示である。顧客の側に立っての「受取価値の最大化」を企図していると言える。

劇場は、多様な人々にライフスタイルを提案する社会的制度であり、新しい価値を提案する機関でなければならない、と私は考えている。その視点に立てば、上記の事例は、その事業定義と目的にそって考案された仕組みである。そう考えると、私たちは、組織や事業の仕組みとともに、ハードウェアのあり方や周辺環境にまで配慮せざる得なくなる。あるいは、まちやその周辺の環境を、劇場・ホールの経営資源として再評価することが求められる。何度も繰り返すが、「何かを観る、聴く場所」という役割に留まる限りは一方的な「享受の場の提供」に過ぎない。それでは、「自分らしさ」を生活の中に実現する、創造的なライフスタイルの提案には到底ならない。

再び、狭隘な舞台芸術市場に必要なマーケティングとは。

序章で英国の「鑑賞者開発」に触れた。これはサッチャー政権下での家計経済の低落傾向から起きた芸術離れを、宝くじを原資として回復させようとする政策意図に基づいた英国芸術評議会のプログラムである。ここには、労働党政権による「ソーシャル・インクルージョン」という社会政策の基本理念が底流としてあるのだが、それはのちに触れる。

ともかくも、「鑑賞者開発」は、サッチャー政権下で起きた芸術分野における「病理」(新しい資金源の開拓をはじめとする市場原理主義とValue for Moneyの原則の導入による疲弊)に対する処方である。むろん、この施策が無条件で芸術を支援したのではないことを心しておくべきだが、しかしながら「鑑賞者開発」が一定程度の成果をアウトプットして、劇場・ホールや美術館などの文化施設を活性化したことは事実である。

しかし、英国北部リーズ市のウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)でコミュニケーション部長をやっていたケイト・サンダーソンの「リレーションシップはマスメディアによってではなく、コミュニケーションでしか作り出せない」という言葉は、新規顧客のおよそ60%が再来場しないという厳しい現実から出た本音である。サッチャー政権下で観客が著しく減少したのは事実であり、その処方としての「鑑賞者開発」であったが、それが回復傾向を示しだすと、今度は「顧客維持」や「顧客進化」のためのノウハウが必要となってきたのである。

本来のアーツマーケティングのあり方は、狭隘な市場規模に対して「顧客創造」と「顧客維持」のバランスをとり、維持したロイヤルティのある顧客にさらに進化してもらう環境を演出し整えるスキルである。英国のその後の動向が、ロイヤルティの高い常連顧客づくりにシフトせざるを得なかったのを見ても、「鑑賞者開発」というプログラムがサッチャー政権下で起こった病理への対症療法の処方であることは明白であるだろう。舞台芸術の本来的な市場対応が「顧客維持」と「顧客進化」にあるのは自明である。

釣りがキャッチ・アンド・リリースなのに対して、狭隘な市場である舞台芸術のマーケティングはキャッチ・アンド・ノット・リリースなのだ。一度来場した顧客をみすみす手放すというのは理にあわないことはなはだしい。ただでさえ狭いマーケットなのである。次から次に舞台芸術の顧客は湧いて来てはくれない。ということは、現在顧客が誰なのかを知らなければ「次の一手」は打てない(チケット・サービス会社の限界性がここにある)。手をこまねいて空席の多くなっていく事態の前で立ち尽くすしかないのである。

狭隘なマーケットでは顧客のライフスタイルに関わる姿勢が求められる。

オレゴン・シェイクスピア・フェスティバル(OSF)にしても、ストラットフォード・フェスティバル(SFC)にしても、これらの劇場は、訪れる人々がみずからその地での生活の仕方を創造できる環境を提供している。「新しい時代の接客態度には、より普遍的な新しい原理が必要である。人々は他人に決められるよりも自分で決定すること、そして今意識している欲求を大切にしている」(近藤隆雄『サービス・マーケティング』)のである。

顧客の自律性を尊重しながら、どのような経験を演出できるかが、そして「受取価値」をいかにして最大化するかが、今日的に求められている劇場サービスのあり方である。むろんコア・プロダクト(中核製品)である舞台芸術の成果が重要なのは言うまでもないことだが、その品質が高いのは顧客にとっては当然のサービスである。顧客が求めているのは付加価値である。その付加価値によって、顧客のロイヤルティはさらに高度化すると考えてよいだろう。私たちは「産業とは製品を製造するプロセスではなく、顧客に満足をもたらすプロセスである、という考え方を理解することは、すべてのビジネスマンにとってとても重要なことである」というセオドア・レビットの言葉を真摯に受け止めなければならない。

これからの劇場サービスは、中心となるコア・サービスに加えて、顧客の期待するサービスや環境を期待製品(Expected Product)、その他の期待を超えて派生する体験を拡張製品、もしくは付加製品(Augmented Product)というサブ・サービスの数を増やしていく方向のマーケティング・デザインが求められるだろう。人々の余暇時間が希少性を帯びてくるにしたがって時間の重要度は増してくる。今後の芸術鑑賞は「時間消費」という性格を色濃く帯びてくるだろう。人々は一ヶ所でより深い感動体験や歓びや感銘や共感などの多様な感情を体験することに魅力を感じるだろう。

リチャード・ノーマンは『サービス・マネジメント』のなかで、こうした消費性向をサービスの「広範化(ブロードニング)」と呼んで、「契約を十分に活用しようとする企業側の戦略から生まれ」、それは顧客が投資したものを十分に活用して、より大きい満足を得ようとすることと対応している、と述べている。

 サービスの広範化は、あわせて人々の価値観の多様化によって必然的に発現したサービス活動のあり方とも言えるのではないか。工業製品は価値観の多様化とともに多品種少量生産へと経営方針の転換が生じたが、舞台芸術サービスはそれ自体が顧客の多様な価値観によって受け止められるコミュニケーション・サービスであり、サービスのカスタマイズ化は、限定的ではあるが、先験的・構造的に実現している分野ではある。

が、ここで言うサービスの広範化とは、舞台芸術がコミュニケーション・サービスであるところから発した構造的な広範化ではなく、付加された価値自体が中核的なサービスである舞台芸術の品質にまで影響を与えるサブ・サービスのことである。多様な価値観に対応したサブ・サービスを付加することによって、顧客満足を超えた顧客感動へ、さらに言えばモリス B.ホルブルック(コロンビア大学 ビジネススクール教授)の言うProfound Experience(深い体験・感銘のある体験) を実現して、顧客にとってインパクトとなる体験価値を提供する。

サービスとは人やその所有物への何らかの働きかけであり、対象に何らかの変化を生み出す活動、ということだ。つまりサービスとは、自分または自分が所有する対象の現在の位相(状態)を変化させる加工・変換機能なのだ。サービス・パッケージの中で、コア・サービス以外の副次的サービスをサブ・サービスと呼ぶ。副次的サービスであるから、重要性がコア・サービスより低いともいえるが、顧客にとっては、必ずしもそうではない。なぜなら、コア・サービスは顧客にとっては当たり前のサービスであって、サービス商品の特徴は実際にはサブ・サービスが主張していることが多いからだ。(クリストファー.H.ラブロック『サービス・マーケティング』)

劇場やホールでの体験は、そこでの時間を消費してしまえば終わってしまうものではない。「体験」である以上、何らかの外からの力によって内側に良い意味での興奮や動揺が起こるのであり、そこに加速度をつける付加価値を付与することで自己実現という「変化」への里標を手に入れるのである。ライフスタイルに関わる、とはそういうサービスを指している。

「あなたがしてもらいたいと思うことをあなたの隣人にしなさい」という聖書の言葉は、まさにアーツ・マーケティングと付加的サービスのあり方を表している。

【次回】第二章 最新のアーツマーケティング/その理論的根拠。(5)