第二章 最新のアーツマーケティング/その理論的根拠。(2)

2008年8月7日

チケットを購入する顧客は「満足を与えます」という誓約を買っている。この現存しない無形の商品を購入するという不安を軽減するにはブランディングが効果的であることを述べる。また、生産と消費が同時に行われ、日々舞台成果が変わる商品特性を芸術経営の機会を生み出し、観客の受け取る価値を高める仕組みを構築する必要があることを述べる。

アーツマーケティングの視点から舞台芸術の商品特性を定義する。

舞台芸術が非物質的生産物であり、「無形性」を商品特性としていることはすでに述べた。それらに付随して、現存しない無形の商品を購入しなければならない、という顧客が負わなければならないリスクの片務性についても触れた。これは「認識の困難性」という商品特性のひとつで、これがアーツマーケティングを厄介なものにしている主要素といえる。

「見込み客はずばり『満足を与えます』という誓約を買っている」とセオドア・レビットは『無形性のマーケティング』の中で指摘している。別のところでは「誓約が踏みにじられる可能性は、有形財よりも無形財のほうが高い」(インタビュー『All Sharing Marketing Mind』)とも述べている。舞台芸術という無形財を提供する私たちのような者には耳の痛い言葉である。

「誓約を購入する」というこの「認識の困難性」と「不確実性」をどう克服して、顧客に「確信」を持ってもらうかがアーツマーケティングの最重要課題となる。なぜなら、すでに述べているように、認識の困難性によって損失を感じる可能性のあるものは極力回避しようとする外部環境が厳然としてあり、しかも行動経済学の実証研究で、人間はその損失を2倍から2.5倍に評価するのだから、当然ではあるが不確実性の高いものはなるべく購入を控えるのが通常の消費性向だからだ。

油谷遵の『マーケッティング・サイコロジー』では、商品にかんする情報が不完全である場合の購入条件の一つとして、「選択保証条件」が挙げられている。購入しようという「気持ちが生じたとき、必ず無意識のうちに<だけど買ってもいいかな><下手な買い物にならないかな>という反対の気持ちをもっている」。その「反対する気持ちを沈静化する働きを持つ条件」を「選択保証条件」と呼んでおり、「反対気分を抑制するものとして、マスコミへの露出度数の多さ、ブランド・ロイヤリティ、仲間うちでの購入(観劇)などがある」とある。

つまり、認識の困難性を克服する特効薬は、メディアの社会的信頼性を活用するかたちのパブリシティ・リリースとブランディング活動と影響力のある人物による口コミ(インフルエンサー・マーケティングやバズ・マーケティング)なのである。ブランドとは社会的信頼性によって顧客に確証と確信を与える記号であり、これによって「誓約」の信頼度を保証するしか、商品特性に見合った認識の困難性を克服する手立てはないのである。いずれにしても、「社会的信頼性」がキーワードとなる。レビットのいう、「無形性の有形化」、あるいは「誓約の有形化」である。

「無形性の有形化」、「誓約の有形化」には、チラシやポスターのデザイン・コンセプト、有名タレントの起用、事前関連企画の充実、チケットのパッケージ方法による不確実性の払拭など、その方法は、顧客の意識に強く働きかける機会を捉え、そのポジショニングにそって象徴的に行われるべきである。マスコミの信頼性を利用したパブリシティ・リリースもまた「誓約の有形化」と捉えることができる。また、食事やグッズを組み合わせたチケットの販売なども「誓約の有形化」のひとつである。むろん、芸術団体そのものや、劇場・ホール自体の社会的認知度を高めるブランディング活動に優る「誓約の有形化」はない。

パフォーミング・アーツのマーケターたちは、自分たちの提供品を有形化するために様々な方法をとることができる。比較的名前を知られていないパフォーマーを宣伝する場合、マーケターたちは、そのパフォーマーの受賞記録や過去のカーネギーホールでの公演経験など、具体的なシンボルを引用する。こうしたシンボルは、物的製品に対してブランドネームが働くのと同じような効果をもたらす。

(フィリップ・コトラー&ジョアン・シェフ・バーンスタイン『Standing Room Only』)

たとえば、その是非は別として、舞台成果には少々目をつぶってもテレビなどのマスコミでの知名度の高い俳優や歌手、タレントをキャスティングするのは、彼らの知名度を利用したブランディングであり、それによって「認識の困難性」を克服しようとする方策のひとつである。序章で触れた「情報の非対称性」を、そのようなキャスティングによっていくらかでも軽減しようと企図するのである。

もっとも効果的な「誓約の有形化」はブランディング。

コトラーは、そのようなマーケティングを『Standing Room Only』のなかで、「例えば、ある劇場が一人のスター・パフォーマーの人気に基づいて、大規模なテレマーケティングやダイレクトメール・キャンペーンを行い、年間予約会員券の販売をプロモートしたとする。こうした販売志向の手段は、短期の顧客を増やすには間違いなく有効である。しかしこれは、劇場が長期に渡ってより大きなセールスを生み出すためのマーケティング戦略の使い方では、決してないのだ。販売志向のマーケティングは、競合他社の中で自社の提供するものを受け入れるよう、最もうまく顧客を説得した企業が成功する、という考えに立っている。販売は、マーケティングという氷山のほんの一角でしかない」と、販売指向のマーケティングの限界性を指摘している。また、別のところでは、「一晩限りのスター・パフォーマー出演であったとしても、それは団体のイメージを高めたり、サブスクリプション・セールスを刺激するのに役立つ」とも、その効果が及ぶ範囲を記している。

その是非は別として、スターやタレントをキャスティングする手法は、サービス購入に特有の顧客の不安を軽減するために、人々に何らかのサインや証拠を提示して「無形のものを有形にする」ためにするマーケティングの一方策である。新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどのマスメディアの持っている社会的信頼性を活用して行うパブリシティ・リリースもまた、顧客や潜在顧客が抱いている不確実性への不安を軽減しようとする手立てだ。

ライブ・パフォーマンスの品質をあらかじめ判断するのはきわめて困難である。そこで「ブランド」が重要な役割を果たすことになるわけである。いわば「認識の困難性」をブランディングによって克服する方策をさまざまに立てる作業がアーツマーケティングの仕事の根幹にあるのだ。ハーバート・ハイマンとポール・シーツレーは『Some Reasons Why Information Campaigns Fail』のなかで、失敗したソーシャル・マーケティングから抽出したいくつかの法則のひとつとして以下のような要素をあげている。

ある人が新しい情報を受容する程度は、その情報が、その人がすでに持っている考え方とどこまで相容れるかによって決まる。一般的に、人々は同意できない情報を回避する傾向がある。

ブランディングは顧客の受容を促進するための経営戦略であり、ブランドは重要な無形資産であり、経営資源である。これは顧客の経験価値を必ずや高度化する。とくに舞台芸術のような物質的無形性の商品にあっては言うまでもない。したがって、ブランディングは、芸術団体や劇場・ホールの職員の、顧客の鑑賞環境を演出する際の重要なミッションの一つである。ブランディングもまた、顧客にとって重要な「鑑賞環境」のひとつと捉えるべきだろう。日々のルーティンを無難にこなしているだけでは、このミッションを遂行することは決してできない。

たとえばステータスの高い賞の受賞歴はブランディングを促す。また、劇場・ホール自体のブランディングも「誓約を買っている」顧客に安心感を与える。いわば「無形性の有形化」や「誓約の有形化」は、レオナルド・L・ベリーの言によれば、顧客による「証拠がため」(『Service Marketing is Different』)に手を貸すことである。そのための情報を、どの機会に、どのような「証拠」として、どのような方法で提供するかが、舞台芸術や劇場・ホールのマーケッターには求められる。あらためて言うが、劇場・ホールや団体それ自体のブランド化が、経営者やマーケッターの何よりも最優先すべきミッションであることは間違いない。

コトラーは、「パフォーミング・ホールの中には、品質と名声があまりに高く、そのホールを訪れること自体がイベントになるホールもある」と、その劇場・ホールを訪れること自体が顧客に何らかの価値をもたらすことを指摘している。たとえばカーネギーホールや、かつてサー・サイモン・ラトルが率いたバーミンガム市交響楽団(CBSO)の拠点であるバーミンガム・シンフォニーホールなどがそれにあたる。「一見に値する」というものである。美術館ではロンドンのテート・モダンも訪れること自体に価値を見出せる施設である。

東京・下北沢にあるブラックボックスの小劇場ザ・スズナリは、杮落としに山崎哲主宰の転位21の『うお伝説』を上演した。それが前年暮の朝日新聞の年間ベスト5で私を含めた二人の選者があげた収穫の舞台であったことから、この杮落とし公演は立錐の余地のない観客数となり、それ以降、ザ・スズナリは「小劇場演劇のメッカ」というブランドを得ることになる。「一見に値する」わけではないが、ここで上演されるものは間違いがない、という安心感を顧客に与えていたのである。もちろん、それだけに公演と公演の隙間がまったくないほど利用を希望する劇団は多く、結果的にスクリーニングされて好舞台が上演されることになり、ブランディングはスパイラル状に進捗していくことになる。

現在、このようなブランド価値のある事例は、サントリーホール、文学座アトリエなどがある。紀伊国屋ホールは以前には劇場スタッフによって厳しいスクリーニングがされていて品質管理が行き届いていたが、紀伊国屋サザンシアターの開場によって知名度の高いカンパニーがそちらにシフトする傾向にあり、紀伊国屋ホールのブランド力にはかつての勢いはなくなっている。世田谷パブリックシアターのブランド力も、最近いささか翳りが見てとれる。大きく体制が変わり、人事的にも新しい人材によるマネジメントが行われるだろうことは予想できるので、新たなブランド・イメージの確立を期待したい。

再演こそが日本における芸術経営の「機会」。

「無形性」に関連して「消滅性」「一過性」という商品特性がある。在庫(ストック)ができないという商品特性である。むろん、舞台装置や衣装などの有形物に関してはストックが可能であり、二、三日で上演演目を入れ替えていくレパートリー・システムの経営的な存立基盤はそこにある。レパートリー・シアターを別名で「ストックシアター」というのはそれゆえである。また、欧米の地域劇場の多くが、ストックしてある衣装、帽子、バック、小道具、靴などを仮装パーテーや記念写真用に貸し出す「コスチューム・ハイヤー」とか「コスチューム・レンタル」というプログラムをもっている。日本の新国立劇場も銚子市豊里台に「新国立劇場舞台美術センター」というストックヤードを持っており、舞台模型、舞台衣装、小道具などの舞台関係・映像資料を展示公開しているが、それらを貸出す事業はまだやっていない。

この舞台芸術の「消滅性」は「生産と消費の同時性」とも言い換えられるが、これによってマネジメント面で受ける影響は、理論上では再演による経済生産性の向上である。

「理論上では」と断わりをつけるのは、本来は再演が可能であるという経営判断は作品の品質が保証されていることを意味するのだが、日本では、再演はアーチスト側にはあまり歓迎されていないようだ。あわせてマスメディアには再演物を記事として取り上げようとしない傾向が強くある。観客もあまり成熟していないせいか、よい舞台なら同じものを何回も観る、という消費性向にない。マネジメント的にもマーケティング的にも再演は経営的な「機会」と捉えるべきなのだが、その障壁は低くない。

私は30年程以前に『再演こそ日本のロングランシステム』という論文を演劇雑誌「新劇」誌上に掲載して、良質な舞台が残り、経済的にもカンパニーにとっては「機会」になることを説いたが、一向にシステムとして定着しないのには前記のような日本の特殊な事情があるからだろう。日本においては、演劇作品はひたすら消費される傾向が強い。新作至上主義的なこの傾向は、劇作家の才能そのものを消費しているのに等しい。

近年、日本でも「レパートリー・シアター」を標榜するカンパニーが出てきている。が、しかし「良質な舞台が残り、経営的にもカンパニーにとっては<機会>になる」というマネジメント的なメリットをアウトプットするには至っていない。かつて上演した良質の舞台作品を持っているのに新作に挑戦する、あるいは再演であっても舞台美術デザインを変える、などの芸術的欲求を優先させて、経営的な「機会」をみすみす手放しているケースが多く見られる。何のための再演なのか、レパートリー・システムなのか、いささか理解に苦しむところだ。

観客の「受取価値」の高度化を図る。

舞台成果が日々によって違うという「不均質性」も舞台芸術の商品特性のひとつである。実際に舞台のプロデュースをして毎回パフォーマンスに接してみると分かるのだが、舞台はまさに生き物であるし、ナマモノである。加えて、舞台と客席が協働して物語を紡いでいく「共同生産性」という重要な特性もあるので、舞台のみならず、観客の違いや反応によっても成果は日々変化する。「共同生産性」は、舞台と個々の観客のあいだに成立する「共感」と「共創」の関係に依拠する特性である。したがって、空席の目立つ鑑賞環境より、満席の環境の方が良い「経験価値」をアウトプットできるのは言うまでもない。

可児市文化創造センターが採用しているDan-Danチケット制度」の根拠はここにある。公演の二週間前にチケットの価格が正規の15%OFFになり、公演当日は午前0時からハーフプライスになる。最近行われた地域拠点契約の文学座公演では、午前0時から2時までのあいだに多くのハーフプライス・チケットが買われて、最終的には12%弱の価格変動性のある新しい顧客を演劇という分野に招き入れることが出来た。これまでのウェブ・チケットのアクセス統計によると、午後9時前後から急に購入者数のグラフ曲線が右肩上がりとなり、午前0時前後が頂点となって、午前2時頃までに動きが終息する。つまり、可児市文化創造センターのチケット窓口が閉って2時間後からインターネットでのチケット購入が始まる傾向にある。「当日ハーフプライス・チケット」は、販売開始の午前零時に一挙にアクセスが多くなり、午前2時頃までと早朝の午前5時から7時のあいだにハーフプライスのアクセスが集中する。最近行われた、地域拠点契約を結んでいる新日本フィルハーモニー交響楽団のサマーコンサートでは、総観客数の7.4%が当日ハーフプライスの購入者であった。

前述したが、この制度は、空席を可能なかぎり無くして顧客の受取価値の高度化を図っている仕組みである。空席の存在という問題解決のプロセスには顧客は関与できない。全面的に経営側の責任である。人間は関与できない問題に対しては、関与できる立場にあるよりも当然不満が大きくなる。舞台成果の芸術性がいくら高いものであっても、空席の存在によって顧客の経験は劣化するだろうし、場合によっては苦痛さえ感じるだろう。このような差別的価格設定 とは、ひとつの製品もしくはサービスを2種類以上の価格で団体が販売し、その価格がコストの比例差違を反映していない場合を指す。多様な差別的価格設定テクニックの使用は、収入を適正化し、あわせて観客サイズを最大化しようとする際に大いに役立つ、と私は考えている。S席、A席、B席の配分も、学生券の設定も、歌舞伎座の幕見券も、この差別的各設定である。「座席は腐敗しやすく、幕が上がった途端に販売不可能となる」(Standing Room Only)のである。

舞台と観客の「共感」と「共創」の関係―共同生産性は、マーケティングを展開していく上で顧客進化をもたらしてくれる重要な梃子となる。というより、「共感」と「共創」は、関係づくりマーケティングの要諦と言える特性なのである。その意味では、舞台芸術とマーケティングとの相性はきわめて良いと考えられる。また、あわせて劇場やホールで交わされる舞台と観客・聴衆との双方向のコミュニケーションもまたマーケティングと定義づけられる。

しかし、反面では、その共同生産性を満足させてもらえない時には、不満が倍々ゲームのように膨大することも知っておかなければならない。観客の「受取価値」はサービスする側が決めるものではない。観客自身によって決定される。「受取価値」とは、生産者価値と、生産コストに関係なく顧客が提供物に対して感じる価値との違いの利得の差を表しており、プラスの数字にもマイナスの数字にもなる。ということは、この共同生産性は舞台芸術にとって「強み」にもなれば、「凶器」にもなりうるのだ。

したがって、空席対策をしっかり施すことも含めて、劇場・ホールでの舞台鑑賞による感性への刺激がスパイラル状に高められるように、マーケティングにおける芸術団体や劇場・ホールと顧客の関係性も、経験価値の高度化によってスパイラル状に進化していくような仕組みを構築しなければならない。舞台芸術とアーツマーケティングの相性の良さをいかに「強み」 としてその経営の仕組みの中に取り込むかである。効果的なマーケティング戦略を策定するための要点の一つである。

【次回】第二章 最新のアーツマーケティング/その理論的根拠。(3)