第三章 経験価値マーケティングとブランディング(1

2008年10月16日

舞台芸術産業の中核商品(コア・プロダクト)は音楽であり演劇でありダンスであるが、マネジメントとマーケティングの中核をなすのはカスタマーバリュー・デリバリー・システム(顧客価値提供システム)と考えるべき、と書いた。

マーケティングは、長いあいだ、人々の物質的福祉の向上をそのねらいとしてきました。しかし、今日では、人々の社会的・文化的福祉の改善という責任も果たさなければならないのです。大変皮肉なことには、物質的進歩の増大がかえって、様々な社会問題を生み出し、かつ悪化させてきたようです。
『ソーシャル・マーケティング 行動変革のための戦略』フィリップ・コトラーの日本語版への序文

We offer experiences,not shows.(私たちは興行ではなく、経験を提供する)
We’re about people,not art.(私たちの活動は芸術についてのではなく、人間に関するのものである)

英国芸術評議会のサーベイより

製品だけを売るな、解決策を売れ。
クラウス・レイジンガー

どんな鳥だって想像力よりは高く飛べない。
寺山修司

劇場・ホールはむろんのこと、舞台芸術そのものも、舞台の上のアーチストと客席にいる顧客が協働して新しい価値を創造する対面型のサービス業の業態に分類される。したがって、そこで生成される新しい価値が「創客」への発火点となる。「創客」とは、「共感」と「共創」という交流(コミュニケーション)によって誘発される顧客価値形成のプロセスのことである。

顧客価値は「ある刺激に反応して発生する個人的な出来事」であるが、それは単独で「自発的に生み出されるものではなく、誘発されるもの」と前述したが、往々にして私たちは、顧客の感動がその後の舞台芸術への関心を惹起して、顧客価値の創造と進化を促すようになると考えがちだ。「感動」と「共感」はともに外部からの刺激によって誘発される心の動きである。だが、未知のものに対しても「感動」できるが、「共感」は顧客自身の内部にある「既知」の記憶や感情と外からの刺激が響きあって心が揺さぶられ個的な物語が紡がれる、いわば「物語消費」であり、そのプロセスこそ私の言うところの「共創」の概念である。

「共感」と「共創」は、何かから働きかけられた結果としてではなく、何かに働きかけた結果の価値創造であることに留意したい。したがって、顧客の個的な想像力によって惹起される「共感」と「共創」は、受身の「感動」というよりも、参加というきわめて意識的で、自律的な働きかけによる能動的な消費行動であり、共同生産性に依拠した関係創造パラダイムに分類できる。「共感」と「共創」の関係性で結ばれて相対する両者は、ある種の相互依存関係という強い絆でつながりを持つことになる。「創客」のマーケティングとは、ワン・トゥ・ワン・マーケティング、あるいはリレーションシップ・マーケティングによって結ばれた相互依存によって生じる関係信頼性のことをも指すと言ってよいだろう。

「顧客価値」と劇場職員の演出の仕事。

モリス・B・ホルブルック(コロンビア大学ビジネススクール教授)の定義した「Consumer Value」(顧客価値)はどこで生まれるものなのか。製品やサービスそのものに価値が存在する、という考え方はある。舞台芸術でいうなら、演技や演奏などのパフォーマンスそれ自体に顧客価値がある、という考え方である。むろんパフォーマンスに固有の価値がないと言うつもりはない。

が、しかし、マネジメントやマーケティングの視点に立った場合、顧客の存在を無視してサービスや製品の価値は考えられない。芸術的価値が絶対的な価値として作品そのものに存在するとは、私には到底思えない。(芸術学的にも、デカルトやカントの例を引くまでもなく表現内容の存在は観賞者の認識に依存する、と言われている)。芸術表現の価値が作品の中にとどまるものでなく、鑑賞者の認識や経験などの個人史を経由してはじめて価値を持つように、アーツマーケティングでいう「顧客価値」は、前述したように、舞台の表現というパフォーマンスと顧客の鑑賞というパフォーマンスとのあいだに起きる「出来事」=「共感」と「共創」という協働(コボレーション)の結果であり、それをはじめとする劇場体験に関連するすべての消費行動のなかで生成されるのだ。舞台芸術の「顧客価値」とは相互関係性において成立する経済概念である。

顧客の立場にたてば、鑑賞前のティータイムも鑑賞後のアフターディナーも、あるいは劇場へのアクセス条件、チケット購入に関わる経済的、時間的、労力的なコスト、一緒に鑑賞した友人や家族、恋人との語らいも「顧客価値」の品質に影響を与える。

私はよく職員に、お客さまがチラシを手にとって(「これは何だろう?」というような認識的反応)、その詳細を確かめようと裏返して(評価的な「それで?」という反応)、ボディコピーを読んだ時点からサービスは始まって、その顧客経験価値の品質が問われており、舞台の幕が下りて帰宅するまでの、さらには帰宅した後に生じるコミュニケーションまでが私たちが関わっているサービスである、と言っている。チラシのコンセプトデザイン、キャッチコピー、ボディコピーのみならず、さまざまな局面に効果的な演出をほどこすことが事業担当者やマーケッターの仕事(task)である

そのミッションを遂行するためには想像力と創造力がマネージャーとマーケッターの資質の必須の条件となる。顧客の身になって考え、事業の仕組みを設計し、実践する能力が求められるのである。飛行機の乗客が機内からステップに一歩足を踏み出したところで航空会社のサービスが終わるのではないのと同様に、幕が上がったときから私たちのサービスが始まり、幕が下りると同時にサービスが完了するのではない。

顧客価値と鑑賞環境の相関性。

慶応義塾大学の桑原武夫氏によれば、ホルブルックの先行研究として、いまから50年以上前に経済学者のアボットは次のように「経験価値」について看破しているという。「人々が本当にほしいと思っているのは、プロダクトではなく、満足のゆく経験なのである。(中略)人々がプロダクトを欲するのは、実は、そうしたプロダクトに生み出してほしいと考えているような経験をもたらすサービスを望んでいるのである」。顧客は製品やサービスを購入しているのではなく、それらがもたらすだろう「経験というベネフィット」を買っている、と言うのである。セオドア・レビットは「会社がつくるものと、顧客が買うものを見事に取り違えて失敗した」アイスクリーム・メーカーを例示して、消費者は製品やサービスの問題解決機能や役割というベネフィットを購入している、と『サービス・マニュファクチャリング』で述べている。

芸術団体や劇場・ホールが何を売っているか、私たちはそこを見誤らないことが重要である。私たちは、顧客の抱える問題の解決を促したり、選好的デマンドや潜在的なニーズの充足のためのツールを提供しているのだ。芸術だけを売っているわけではない。レビットのひそみに倣えば、芸術団体や劇場・ホールが創っている、あるいは提供しているものと、顧客が潜在的なニーズを含めて購入しようとしているものを取り違えると、顧客の足は劇場・ホールから遠ざかってしまう。アーチストなら許せる勘違いでも、マネジメントやマーケティングに従事する者には踏み外せない考え方がある。顧客に対して何をもってマーケティングをするのかを明確に認識しなければならない。

あらためて繰り返すが、顧客価値とは経験価値(experience value)と同義である。顧客が経験する価値、である。そして、前述したように、その価値は共感と共創によって形づくられる。その数多くのフェイズのなかで、その経験価値を形成するコア・プロダクトが、アボットの吟味を待つまでもなく、舞台芸術を鑑賞する時間と空間のクォリティなのは言うまでもない。ライブ・パフォーマンスのクォリティは、舞台や演奏の芸術的価値にとどまらないのもまた言うまでもない。まさしくその上演に際する時間と空間の質の問題である。言うなれば舞台と観客が協働して創りあげる「劇場」というメディア、演奏と聴衆の創る「コンサートホール」というメディアのクォリティこそが、経験価値のコア・プロダクトであり、「顧客価値」を決定づけるのである。

可児市文化創造センターでは、Dan-Danチケット(当日ハーフプライスを含む)というシステムを採用している。公演二週間前になるとインターネット・チケッティングに限って15%OFF、公演当日の0時から開演までは50%OFFのハーフプライス、と段々と割引率の上がる仕組みになっている。

これは、装置型産業の劇場にあっては、売れ残った座席は開演と同時に絶対的損失になる。そのことを回避しようとするシステムであり、その座席から少しでも収入を上げようとする経済的側面があることは否定できない。また、ある程度高い価格でも必ず購入する価格弾力性のない顧客に対して、廉価なら是非観てみたい、聴いてみたいという価格弾力性のある顧客を劇場にいざなうための仕組みでもある。

しかし、私の真の狙いは、より良い「経験」をコア・プロダクトで実現することを強く意識している顧客志向からの発想である。つまり、空席の目立つ劇場・ホールでの「経験」より、満席に近い状態の鑑賞環境での「経験」の方がはるかに素晴らしいことを根拠にしているチケッティング・システムである。コア・プロダクトでの経験を高度化することで、その後のお客さまの多様な経験に好結果をもたらすだろうことは想像に難くない。良い体験を共有すれば、鑑賞後の会話は弾むだろうし、食事は楽しいだろうし、家族の会話の核になる話題も提供できるだろう。可児市文化創造センターは、「顧客価値」の高度化に重点をおいたマネジメント・ポリシーを持っており、それをチケットのシステム設計にダウンロードしたのがこの仕組みと言える。

【次回】第三章 経験価値マーケティングとブランディング(2)