第三章 経験価値マーケティングとブランディング(5

2008年12月11日

「健全なコミュニティ形成」や「地域産業の創造性」に貢献するマーケティングをするということは、芸術団体や劇場・ホールにとっては地域社会との関係づくりの作法であり、社会貢献型マーケティング(CRM : Cause Related Marketing)という近年とみに注目されているマーケティング手法に位置づけられる。

それは団体や施設の各々がコミュニティに供給するサービスによって、その供給源である団体・施設のブランディングを飛躍的に推進するという、経営上きわめて重要な役割を果たす。これは、社会的責任経営(CSR : Corporate Social Responsibility)の一環に位置づけられる。

コーズ・リレイテッド・マーケティングの「コーズ(cause)」とは、「主張、理念、目標、信念、運動」という意味で、企業や団体にとってはさまざまなフェイズでの活動根拠であり、社会的使命(ミッション)や社会的意義に近いものと考えて良いだろう。「リレイテッド(related)」は言うまでもなく「関連した」という意味で、したがって、コーズ・リレイテッド・マーケティングとは、企業・団体の経営活動の社会的存立根拠に関連した社会貢献を、集積した技術や機能、製品、人材を使って行う活動のことで、顧客との信頼関係を密接なものとする経営手法である。CRMは、企業・団体と顧客、さらには運動体である第三者的な組織(NPO法人など)がともに協働するプログラムであり、三者がそれぞれの立場で社会に関わることでそれぞれにメリットとなる、いわばソーシャル・マーケティングに分類されるマーケティングである。その活動によって社会的信頼、すなわち企業・団体や商品のブランディングを促そうとする経営方策のひとつである。

社会貢献型マーケティング(CRM)とブランディング。

芸術的な製品はユニークなビジョンから生み出されるものではあるが、社会的に孤立状態であっては、創造性すら生まれない。すべてのアーチストは、自分たちが生きている世界に対して敏感に反応する。
(
フィリップ・コトラー ジョアン・シェフ・バーンスタイン『Standing Room Only)

アーツは、それ自体に社会的諸問題を反映しており、また将来予測できる社会不安に対処するポテンシャルを内包している。それは、たとえば舞台芸術の創造活動における人間相互の関わり合いと、それを鑑賞するという舞台との相互行為が、ともに人間的な共感をベースとして影響を与え合うサービスだからである。ここでは「共感」と「共創」がキーワードとなる。他のサービス商品との際立った違いはここにあると言って良いだろう。したがって、舞台芸術の成果は、それ自体が芸術家や創造団体、劇場・ホールのコーズ・リレイテッド・アクティビティのアウトカムという性格を色濃く持っており、「共感性」と「共創性」がとりわけて際立った社会的価値財と言える。

つまり、舞台芸術を含むアーツは、コーズ・リレイテッド・ブランディングにきわめてマッチした商品特性を持っているのだ。この章の冒頭に引用しているコトラーの『ソーシャル・マーケティング 行動変革のための戦略』日本語版への序文は、人々の悪しき習慣や慣習、行動や行為に変化をもたらそうとする、彼自身が最初に提唱した「ソーシャル・マーケティング」について彼がある種の感慨をこめて述べているのだが、それは、そのままコーズ・リレイテッド・マーケティングの定義に演繹できる。

いま一度、このコトラーの言葉を吟味していただきたい。「マーケティングは、長いあいだ、人々の物質的福祉の向上をそのねらいとしてきました。しかし、今日では、人々の社会的・文化的福祉の改善という責任も果たさなければならないのです。大変皮肉なことには、物質的進歩の増大がかえって、様々な社会問題を生み出し、かつ悪化させてきたようです」。

「マーケティング」という言葉を、「販売を促進して利益をあげること」と理解している向きは、ここで立ち止まってしまうだろう。もう一度言おう、マーケティングとは「新しい価値」を生むことである。ソーシャル・マーケティングの成果もまた、「新しい価値」の生成である。

それが悪しき慣習から人々が逃れる梃子になり、深い感動や共感、達成感、自己実現による新しい関係や自己認識をもたらして新しい価値を生成し、行動に変化をもたらす。コーズ・リレイテッド・マーケティングは、結果として、それがブランディングに寄与して企業や団体への社会的信頼形成に結びつく経営手法である。いわば、社会との関係づくりの作法といえる。

コーズ・リレイテッド・マーケティングと従業員満足。

 コーズ・リレイテッド・マーケティング(CRM)の嚆矢は、アメリカン・エキスプレスが、1981年にサンフランシスコ地区の芸術振興というコーズに対して、カードが使用される度に2セントを寄付するキャンペーンを行ったことだ。このキャンペーンに対して、初めて「コーズ・リレイテッド・マーケティング」という言葉が用いられる。このキャンペーンでは、3カ月の間に10万ドルの寄付が集まった。

続いて、同社は1983年に「自由の女神修繕キャンペーン」によって、コーズ・リレイテッド・マーケティングを更に全米規模に拡大することになる。その結果、コーズ・リレイテッド・マーケティングという言葉が広く市民権を得ることになった。同社は自由の女神修復資金を、同社のカード利用ごとに毎回1セント寄付するキャンペーンによって集めることを企図した。このキャンペーンは、同社の新規カード保有者を45%増加させ、カード利用額を28%上昇させたという。なんと170万ドルという資金規模となった。最近のCRMの事例としては、アップル社の「赤いiPod」が購入されると、金額の一部を世界エイズ・結核・マラリア対策基金に寄付する「(RED)プロジェクト」が有名である。

先のコトラーの『ソーシャル・マーケティング』の序文は、21世紀に活動するすべての企業や団体への彼からのメッセージと言える。そして、それが「結果としての利潤」を生むことを指してコーズ・リレイテッド・マーケティングというのであって、このマーケティングの目的は、コトラーの言う「社会的・文化的福祉の改善という責任」を果たすことであり、「物質的な進歩の増大が、かえってさまざまな社会的問題を生み出し、かつ悪化させてきた」ことに対して「新しい価値」を創造して社会的改善に寄与する企業活動ことである。そして、その活動が、社会的な信頼を当該企業や団体に付加して、どのようなかたちであれそこに参加する人々の誇りや自己実現やロイヤルティとなり、ブランディングが実現するのだ。「どのようなかたちであれ」ということは、企業や団体の外部の人々、つまり観客であったり、ワークショップの参加者であったり、また資金を融通している団体であったり、取引業者であったり、そしてそこに働く人々すべてでさえある。つまり、従業者の働き甲斐 = 従業員満足を創ること、仕事に誇りと自己実現の達成感をもつこと、すなわちCRMはインターナル・マーケティングにもなり、ヒューマン・リソース・マネジメントとも結びつくのである。

いったん社会に向かって投げられたブーメランは、その計画と目的さえ間違っていなければ、自分たちのところに正確に戻ってくるのだ。

究極のブランディングは「身内意識(sense of belonging)」の醸成。

 自分の子供や近しい者が受験に失敗したり、希望する就職が出来なかったりすると「心が痛む」ことがある。希望校に入学できたり、恋愛を結実させて幸せな結婚をしたりすれば「心が弾む」だろう。これは「自己愛」の範囲が広がった結果であり、我が事のように「心が痛む」のであり、「心が弾む」のである。個人に対してだけではない。団体や集団に対しても「他人事」でないことがある。野球やサッカーのひいきのチームが勝てば喜ぶし、負ければ自分のことのように悔しい思いをする。周囲の人間に当たったりもする。人間は宗教家が諭すようにすべての人を愛することの出来ない存在だ。きわめて利己的な存在である。愛は著しく偏在するのである。

同時に、愛は拡がりもする。我が事のように喜んだり、憂えたり、悲しんだりするのは、その範囲に「自己愛」が拡がっているのである。ホモ・エコノミクス(経済学的人間)というのは、超合理的に行動し、他人を顧みず自らの利益だけを追求し、そのためには自分を完全にコントロールして、短期的だけではなく長期的にも自分の不利益になるようなことは決してしない人である。が、しかし、人間は実際には合理的にだけ行動する存在ではないことは行動経済学がすでに実証的研究の成果によって証明している。

井原哲夫(慶応義塾大学)のいう「身内意識」(sense of belonging)とは、この行動経済学的な人間の非合理な面を指しているわけで、「自己愛」の拡がる範囲を指している。この「身内意識」を別の言い方で表現すればロイヤルティ(帰属意識・愛着心・献身的な気持ち)である。ロイヤルティがあるとは、「自分の利得」が増えることとは関係なしに、所属していたり、支持したり、共感する集団が繁栄すれば喜ぶし、衰退すれば落胆する筋道がその人の裡に出来ていることを意味している。

 高いロイヤルティを持っている顧客を沢山抱えていれば、それだけ企業や団体は経営的に安定する。関係資産(無形資産)を多く持っていることになるからだ。前述したオレゴン・シェイクスピア・フェスティバルは、およそ85%がリピーターであり、そのうちの28%が20年以上定期的にOSFを訪れているロイヤルティの高い超優良顧客だという。ロイヤルティの高い顧客は、帳簿には記載されない簿外資産である。心を配り、気遣いをすれば、大きく育ち、たちまち殖える資産なのである。

バランスシートに記入される資産はおおむね金で購入できますが、顧客はそうはいきません。企業に盛衰があるのはそのためです。いかに顧客を「購入」し、「維持」するか、それを考える企業行動がマーケティングなのです。

(セオドア・レビット インタビュー『All Sharing Marketing Mind 』)

彼らは固定客(clients)であり、支持者・協力者(supporters・leads)であり、支援者・擁護者(advocates)であり、協働者(partners)にもなる。彼らは企業や団体に成り代わって顧客開発をしてくれるだろう。代弁者としてバズ・マーケティングやバイラル・マーケティングやインフルエンサー・マーケティングのスターターになってくれるのだ。同時に、彼らの存在の多寡がマーケティング費用に大きな影響を及ぼす。彼らに対するマーケティング・コストは、新規顧客を開発するコストのおよそ20%しかかからないと言われている。インターネットが発達した現在では、12.5%程度に圧縮されている、と主張する研究者もいる。関係資産である彼らを多く持っていればいるほど、理論的には広告宣伝費やマーケティング予算は大きく削減されることになる。ということは、限界利益率が上がり、損益分岐点が低下して、利益が上がりやすい経営体質をつくる、ということになる。

前述したが、日本の演劇団体や音楽団体の会員制度は、ロイヤルティの高いファンを多く抱えていながら、実際にはこの真逆となっている。大幅な割引制度、会報やDMの郵送費、公演毎のパンフレットの贈呈など、ロイヤルティの高い顧客を持つことで、限界利益率が下がり、むしろコスト高になっているのである。おかしくはないだろうか。

 「身内意識」は必ずしも作品や舞台成果への共感からだけ生まれるものではない。むしろ組織の活動総体に対する共感によって醸成される感情、と定義すべきであろう。作品や舞台成果がひどいからといって消滅するような類の感情は「身内意識」とは言えない。「身内意識」を持っているなら、むしろ周囲の反応が気になったり、事情を思い遣ったり、暗い気分になったりするのが「身内意識」である。その意味では、「身内意識(sense of belonging)」はロイヤルティより上位にある感情の動きであるかもしれない。

芸術団体、劇場ホールに問われる経営感覚。

 そのような意識と感情をもったロイヤルティの高い顧客を生み出すためには、経営者の資質と意識と見識が問われることになる。社会的な機関としてみずからの組織を規定して、公演活動を含めて戦略的な活動を編み出していく能力が必要とされる。したがって、アーツマネジメント(芸術経営)というのは、作品や舞台をマネジメントすることを意味するのではなく、社会的機関として芸術団体や文化施設を成立させ、社会的合意を形成して認知を獲得するための経営手法、と定義づけられるのである。

 ここでも重要となるのは「顧客志向」の経営感覚である。顧客とともに進化する経営である。いわばCo-operating(協働する)を基本方針としながら、Co-learning(共に学習する)Co-evolution(共に進化する)を経営の仕組みの中にどのようにデザインするかが問われるのである。

 私は、学校公演をしている東京演劇集団風の経営コンサルティングの際に、東南アジアの子供たちの学校をつくるプロジェクトに取り組んでいるNPOに売り上げの1%を寄付することを提案したことがある。確かその年の売り上げで試算すると150万円弱程度ではなかったかと記憶している。カンボジアでは120万円程度で学校は建設できる。NPOによれば200人以上の子供たちが教育の機会を得ることができるのだ。このコーズ・リレイテッド・マーケティングが、彼らの営業相手である中高校の教師の共感を呼ぶのは想像に難くない。つまり、彼らの舞台に接する子供たちが、観劇を通して東南アジアの子供たちと繋がるというデザインである。その成果は、その都度、彼らの舞台を観劇した子どもたちに報告する。そのマーケティング成果をふたたび日本の子供たちにフィードパックすることで、海を越えて「友人」を支える喜びを共有することになる。

私が東京演劇集団風への信頼をもつことになった契機は、彼らが巡演する各地の福祉作業所で知り合った障害者たちのアート展を六本木の画廊で主催したときの出来事によってである。その時に出会った千葉の盲学校の小学生のつくった「風」という題の作品からの衝撃が直接の契機となった。何でもない球体の素焼きの作品なのだが、所々に穴があけられていた。当初はどうしてこれが「風」なのか考えあぐねていた。たが、開けられている穴に耳を当てると確かに風の音が聞こえてきたのである。この作家にとっての風は音なのだろうと、作者の聴覚に思いを馳せた。そして、このような作品を世に出そうと経済的、人的な尽力をする集団の活動と深いところで共鳴した。まだ実現はしていないが、彼らの集団的な体質なら私の提案するコーズ・リレイテッド・マーケティングは実現できる、といまも思っている。私が彼らに「身内意識」をもったのも、実は彼らが意識せずに行っていた「コーズ・リレイテッド・マーケティング」がその契機であったのだ。 

 そして、コーズ・リレイテッド・マーケティングの成果は、これもまた関係づくりの作法にのっとったリレーションシップ形成であり、それが進化したロイヤルティであり、ブランディング活動でもある。

【次回】第三章 経験価値マーケティングとブランディング(6)