第三章 経験価値マーケティングとブランディング(4

2008年11月26日

社会が成熟化した結果、さまざまな矛盾が噴出している。改正派遣法の施行によって非正規雇用者が増大して、急速に進行した格差社会とそこからくる社会の劣化は目を覆うほどである。ライブドア問題、給食費の未納問題、食品偽装などに代表される経済道徳観・社会倫理感の欠如、動機不明の殺傷事件のほとんど日常的な発生など、私たちの周囲の変化は将来の社会不安をいやがうえにも煽っている。グローバル経済化や米国発の金融危機による円高、株安、資源高の進行、実質的増税、社会保険料の値上げ、医療費の増加による国民負担率の増大と反比例する国民所得の九年連続の減少、スタグフレーション化している家計経済環境。つい10年前までは21世紀は「希望の世紀」と思われていたが、大多数の人々にとってはまさに「受難の世紀」になろうとしている。

回復の時代のアーツマーケティング / 創客へのリバレッジ。

一方では、地方自治体の財政困難ばかりか、日本の国家財政もすでに先進国の中でかつて財政状態が悪いことの代名詞だったイタリアをいつの間にか抜いて最悪のシナリオにある。にもかかわらず、社会的指導者の危機意識の欠如と目線の高さには失望感さえ覚える。

 前回の栗東市さきら問題のみならず、文化関係者のあいだの話題を独占した感のあったびわ湖ホール問題にも社会的指導者の意識と認識の劣化を感ぜずにはいられない。滋賀県議会の最大会派湖翔クラブが、新年度一般会計予算案を「福祉が不十分で承認できない」として、一部修正する案を3月下旬の予算特別委員会に提出する構えを見せたという。修正案は、県が削減した乳幼児などの福祉医療費約4億円を復活増額して前年度と同水準に引き上げ、その財源として、びわ湖ホール(大津市)を約半年間休館し、その間に民間会社も含めた管理者を公募して自主運営費を削減することを検討している、という記事を見て心底から呆れてしまった。

 すでに翌年度事業の契約等は済んでおり、違約金の発生など必ずしも予算の削減に直結しないのは言うまでもない。その不見識さには呆れるばかりである。また、指定管理料の削減も、新たな管理者を公募することも契約違反であるが、ここでは詳述しない。

だが、「何らかの社会的・福祉的課題や教育施策を実現するための<政策手段>」という視座に立てば、文化と福祉を秤にかける政党の発想自体に貧しさと劣化を感じる。むろん、これまでの事業運営でびわ湖ホールが、社会的存在理由を確立する活動と努力を全うしてきたのかはきちんと検証する必要はあるが、この問題の当事者たちは、社会政策をはじめとする公共政策を進める上での重要なグローバル・キーワードとなっている「ソーシャル・インクルージョン(social inclusion)」という、欧州各国が推し進めている社会政策のことを承知しているのだろうか。

たとえばEUは2004年6月18日に採択された欧州憲法草案において、ソーシャル・インクルージョンを社会政策の基本理念として規定している。また、日本においても2000年12月に発行された厚生省社会・擁護局による「社会的な擁護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会」の報告書においても、新たな福祉課題に対応するための方法を導く理念としてソーシャル・インクルージョンがあげられている。これは、劇場・ホールや芸術団体に適用すれば、後述するコーズ・リレイテッド・マーケティングを導き出し、ブランド形成に大きな役割を果たす根拠となる報告である。公共文化施設の社会的存立基盤を確固とするばかりか、多くの支持者と観客を創出することにも直結する。

ソーシャル・インクルージョンと文化芸術(Marketing through the arts)

とりわけ英国におけるソーシャル・インクルージョン政策は、ブレア政権下の97年12月に、労働党内閣の中に「ソーシャル・インクルージョン・ユニット」を設置して重点政策に位置づけられ、その具体的施策のひとつとして、文化芸術が構造的に持っている社会への強い影響力、コミュニティの健全形成に対する強力な推進力に着目して、英国芸術評議会を経由したコミュニティ政策として展開されることになる。

障害を持っている人、高齢者や子ども、失業や貧困などの問題を抱える人、国籍の違いによる差別、セクシャル・マイノリティの人たちなど、社会から排除や差別や社会的被害の対象とされやすい人々や孤立している人々に対して、英国では、劇場・ホール、美術館などの文化施設のエデュケーション・プロラムを通して、他者との交流の機会を社会政策として提供している。そのプログラムが孤立しがちな人々の社会的なつながりを回復に向かわせているのだ。

それぞれの属性や個性を損なうことなく、違いのある他者と共生して、社会の一構成員として支えあう社会づくりに参加する契機に深く文化芸術が関わっているのである。その施策を推進するために英国芸術評議会は、文化施設にエデュケーション部門、あるいはアーツ・デベロップ部門の設置を要件として双務契約的な意味で国営宝くじの資金を助成金として給付している。これは、序章と第一章で触れた「鑑賞者開発」と表裏とも、一体とも言える社会政策(コミュニティ政策)である。

福祉と文化は決して対立する政策概念ではない。北欧三国やオランダのような福祉国家では、福祉部局の中に文化を所掌する部門がおかれている。英語の「welfare」(福祉)は「well-being」と同義であり、すべての人々が、健康を含めて等しく幸福感をもって豊かに生活できる環境にあることを指す言葉である。したがって、文化は広義の福祉に包括される概念である。文化政策が社会福祉の多様性や教育環境の整備の一端を担うことくらい、わが国の社会的指導者は認識してしかるべきである。と同時に、アーツ関係者も自分たちがその担い手であることを強く自覚すべきだ。彼らにとって必要なインテリジェンスである、と私は思い続けている。

アーツに対する評価には「芸術的評価」と「社会的評価」と「財政的評価」の三本の柱がある。「芸術的評価」は個々人の感性や生活史によって多様性があり、これを補助金や助成金の評価軸にすることは担当者の恣意性が入り込むことになる。ソーシャル・イン・クルージョンによる英国芸術評議会を経由する支援は、したがって「社会的評価」を軸に据えて、誰もが納得しやすい、普遍性を持った価値観を尺度として、それを支援政策に持ち込むことで政策的正当性を担保する施策にビルドアップしたと言える。このスキームが、今後の日本の文化政策の進むべき道を指し示しているのではないか、と私は考える。

「侵さざるべき芸術という聖域に社会政策を持ち込むとは冒瀆だ」などという前時代的な発言をする芸術関係者はよもやいないだろうが、社会的指導者にも戦前の苦い歴史からの芸術文化への遠慮はないか。芸術文化は一部の愛好者や生活に余裕のある富裕層だけが鑑賞するものではない。その潜在的なコミュニティ形成機能にもっと着目すべきだと思うが、いかがなものだろうか。

ここで注意しなければならないのは、上記のエディケーション(education)を日本語の「教育」と考えてはいけないことだ。「Educate」の語源学的な意味は「?の可能性を引き出す。?の能力を導き出す」という語意である。日本の劇場・ホールではその種の事業を展開していても「教育普及」とか「学芸」という所管名にしているケースがほとんどだが、本来果たすべき機能から考えれば、その語彙のニュアンスとしては遠く離れている部署名と言わざるをえない。「教育普及」や「学芸」ではいささか誤解が生まれる可能性がある。「Educate」だからこそ個々人の可能性や社会の共生に寄与できるのである。また、「Develop」にも「Education」と類似した意味があることも付け加えておく。「学芸」よりもむしろ、欧米の一部の文化施設に設置されている「Arts Development section = 芸術開発部」の方が社会的効用のあり方を適切に表している。「学芸」や「教育普及」という呼称は、日本においてそういう社会的意識がないという証しなのかもしれない。

 ここで序章に述べた「芸術助成機関や地方自治体はコミュニティにコミットした芸術を支援したのであって、芸術そのものを支持したのではないことである。<創客>のヒントがここに隠されている」という箇所を思い起こしてほしい。

 「鑑賞者開発」は、エデュケーション部門、あるいはアーツ・デベロップ部門の、地域社会へのコミュニティ・プログラム供給を通した社会的存立理由の確立=「創客」の試みであり、アーツを通して地域社会を支援することで反対給付としての鑑賞者育成を企図するスキームである。このコミュニティ・プログラムを通して企図されるコミュニティへの影響も、またマーケティングの一部である。ライフスタイルや生活習慣に影響を与えるという意味では、アーツによるソーシャル・マーケティングである。汎用性の高いアーツによってコミュニティの問題解決を図る、いわばMarketing through the artsの手法である。

とりわけ地域劇場・ホールにおける「創客」とは、Marketing  for the artsばかりではなく、一方では劇場・ホールの使命に沿った地域社会とのコラボレーションであるMarketing through the artsをも視野に入れなければならない。これは地域の劇場・ホール、美術館をはじめとする芸術施設にとっては、いわば住民に対しての「契約の履行」にほかならない。また、それは地域社会のステークホルダーへのマーケティングでもあり、「文化によるまちづくり」の根幹をなす経営姿勢である。それら事業を私たちはMarketing through the artsというスキームで行われるマーケティング活動と考えるべきである。

これは、言うまでもなく健全なコミュニティ形成をミッションとする福祉政策に資する仕事である。コミュニティを「目的、関心、価値、感情などを共有する社会的空間に参加意識を持ち、自立的、主体的に社会的相互作業を行っている場または集団」と規定すると、その形成にアーツの機能を関与させる範囲は限りなく拡がる。Marketing through the artsは、地域社会の問題解決にアーツの多様な機能を通して対処する方策である。文化的な環境とは、そのような地域の健全な生活環境のことであり、そのように安全と安心が担保された都市環境であり、さらに言えば創造的感性を育む環境を整えることによって企業立地の要件を満たし、「創造都市環境」としての基盤整備がなされるのである。逆に考えれば、劇場・ホールの多様な活動が活発な地域は福祉的・創造的な環境が整い、企業の生産性を高度化する良好な経済的循環が起こると考えられているのだ。誤解が蔓延しているようだが、「創造都市」とは、そのように生産的で、創造的な循環の起こる環境が整っている地域のことを指すのであって、文化事業が数多く行われることとは決して同義ではないことを書き加えておく。

1997年に上梓した『芸術文化行政と地域社会』で私は、序章:「芸術支援」から「芸術による社会支援」へ、に次のよう書いた。

 「芸術家への支援」は、彼らが育ってゆける創造環境および市場環境をつくる間接的な支援に限定されるべきで、公的資金が芸術家(団体)に直接支出される場合は、その事業が「芸術による社会支援」の政策パラダイムと整合性をもつケースに限られなければならない。

 文化行政と経済的支援に対する考えはいまも変わらない。上記の政策スキームによって、ソーシャル・インクルージョン政策によった英国のように、文化芸術の社会的認知を飛躍的に拡大すると思うからだ。芸術や芸術家に対する認知が大きく前進すると考えるのだ。

また、芸術への直接支援については、事業収入とその他の支援収入と同額、あるいはあらかじめ設定した乗数の補助をすることを双務契約とするマッチング・グラントにシフトすることで、文化芸術の産業化を促すと私は考えている。この詳細については後述することにする。

【次回】第三章 経験価値マーケティングとブランディング(5)