第一章いまこそアーツマーケティングの導入を/創客へシフトせよ 4

2008年7月16日

産業革命以降の経営用語として使われてきて、ランドールも誤解している「マーケティング」という語彙についてあらためて考えてみることも、今後の論旨を進めるにあたってあながち無駄ではないように思う。

マーケティングって何だろう。

第二次産業革命以降の動力技術の飛躍的進化によって工業製品の大量生産が可能となり、その結果として在庫を大量に抱えるという生産と消費の矛盾があらわになってくる。そうなると、大消費地である植民地を持たないアメリカでは大量消費を促進することを意図とする経営手法が必要となってくる。その手法を意味する言葉としてMarketから派生した「Marketing」という一般名詞が生まれることになる。

在庫のコストを回避するために「戦略的な販売活動」や「新たな需要創造」が必要になったわけだ。その経営手法から「市場をつくるという意味でマーケティング」という語彙が使われるようになったのである。その目的を達成するために大量に流される宣伝広告を、ジョン・ケネス・ガルブレイスは「欲望の操作」と言っている。これが先のランドールの認識していた「マーケティング」であり、それは取りも直さずそれはマスマーケティングにほかならない。放送メディア、新聞、ポスター、チラシなどのマスメディアを利用して、大衆をマス(大きな塊り)と捉えて不特定多数の人々に向かって大量の商品情報を流す手法である。

確かにガルブレイスが看破したように「消費者の選好は、とくに非必需品に関しては、主体的につくられる以前に広告によって操作されている」と言える。しかし、マスマーケティングにすべてを依存してしまうということは、魚がいるかいないか不確かな流れに、費用対効果を精査しないで可能なかぎりの大きな投網をつくり、ひたすら流れに打ち続けるというおよそ無駄を省みない方法でしかない。

私が子供だった頃、昭和二十年代に低空飛行の小型飛行機からさまざまな色紙に印刷された大量のチラシを地上に撒く宣伝方法があった。子供たちは広範囲に舞い散らばる色とりどりのチラシを追っかけて大量に集めるのだが、果たしてそれが親たちの手に渡ったのか。今にして思えばマスマーケティングを説明するには非常に分かりやすい光景である。

この経営手法をさらに促進拡大させたのが交通機関の革命的な進歩であり、このあたりの時代の空気は、貨車のキャベツを氷で保存しながら列車を使って一度に、しかも大量に農産物を遠隔の町まで運ぼうとする映画『エデンの東』に描かれている。

「戦略的な販売活動」や「新たな需要創造」に関連して、人々がどのような財を、どのような提供方法で必要としているのかを探るのがマーケティング・リサーチである。この手法を指してガルブレイスは「欲望の解読」と呼んでいる。

私たちが思い込まされている「マーケティング」の意味は、大量生産・大量消費の時代を背景に市場シェアを拡大することを企図した「マスマーケティング」のことである。二十世紀初頭にアメリカで編み出された造語である「マーケティング」という言葉が、いわゆる「大衆」という言葉が意味を喪失していく今世紀にあっても生き続けており、すべての誤解のはじまりとなっている。「マーケティング=マスマーケティング」では必ずしもないことを頭の片隅に置いていただきたい。私たちはいま、20世紀に生まれたマーケティングではなく、21世紀で必要とされているマーケティングに思いを巡らさなければならない。

芸術文化産業はサービス業に分類される。そして、そもそも「量」は評価の対象とはなりにくい分野であり、サービスの「品質」のみが厳しく問われるものである。この際の「サービス」は商品としての作品そのものと、その提供の仕方をあわせて意味するが、ともに「量」ではなく「品質」が問われるという点で、私たちが信じ込まされてきた二十世紀的な「マーケティング」の考え方とは相容れない。また、その商品の特性としては、「無形性」であったり、「一過性」であったり、「消滅性」であったりする。すなわち、在庫という概念のあてはまらない業態である。在庫することができない、という特性から言っても、二十世紀的意味での「マーケティング」の枠に舞台芸術サービスを包摂することはできない。

むろん、巨額の予算をかけたプロモーションをして需要を創造するマスマーケティングをしかけている舞台芸術の興行事例がないわけではない。しかし、前述したように劇場やホールが装置型産業である以上、電化製品やゲーム機器や加工食品のように青空天井で売り上げを伸ばすことはできない。装置型産業であるということは事業収入の上限はあらかじめ決められている。入場料金×販売可能客席数である。でありながら、不特定多数に向けてのプロモーションに予算の多くを割くというのは、明らかに経営的な矛盾である。一か八かの博打のようなものである。大手広告代理店がプロジェクトの一端を担っていたり、キー局のテレビ局が仕掛けているにもかかわらず、そのような不確実性にみちた案件に大きな予算をかけることに、私は驚きを禁じえない。まさに「集客」の発想であり、失敗すれば無料券をばらまく「動員」まであと一歩の考え方である。効率的な販売を意味するSellingにもなっていない。むろんSellingとMarketingも別物であることは言うまでもないが、これは後述することにする。

関係づくりのマーケティング。

ならば、アーツマーケティングの「マーケティング」とはどのような手法を指すのか、である。

本来のMarketは、産業革命以前は「市場(いちば)」そのものや「市場に集う人々」を指す名詞であり、動詞としては「市場で取り引きする」ことを意味していた。二十世紀以前は、一般的には動名詞として使われていた言葉である。

産業革命以前のMarketは、農業生産物や手工業的な製品などの<モノ>を持ち込んで、それを必要と感じている人々とのあいだで商取引を成立させる場であると同時に、さまざまな情報の行き交う場でもあった。また、何がしかの芸を披露して日銭を稼ぐ芸人たちの場でもあっただろう。彼ら芸人や商人は、あわせて<情報=コト>の運び手でもあった。遠い町の話を彼らは面白おかしく伝えたに違いない。彼らは商人宿や芸人宿で情報交換もしただろう。そのネットワークでより広範の、そして多くの情報を蒐集して次の町へ運んだのである。そして、市場に集まる町の人たちの関心に合わせてカスタマイズした<コト>をさかんに供給したに違いない。

つまり、Marketは<モノ>と<カネ>が行き交う場所であると同時に、<コト>が飛び交うコミュニケーションの場でもあったのだ。長年にわたるコミュニケーションの相互に発生した集積によって<モノ>と<コト>の運び手と町の人々のあいだが、ただの商取引の相手というドライな関係ではなくて、信頼や信用という無形資産によって結ばれていったことは容易に想像できる。コミュニケーションの蓄積がコミュニティなのだから、「絆=信頼」とでも呼べる関係性が両者のあいだには成立していたに違いない。アーツマーケティングの「マーケティング」とは、この「絆」を切り結ぶ環境を整えることと、「絆」によって新しい価値を生みだす作法である。当該団体や施設に、帳簿には記載されないものの将来の収益を保障する「無形資産」を生み出し、蓄積し、形成することを指す。すなわち顧客価値を志向する双方向性のある関係づくりの作法のことである。いわゆる「リレーションシップ・マーケティング」や「ワン・トゥ・ワン・マーケティング」、あるいは「データベース・マーケティング」と言われているものである。さらに言えば、ここでのマーケティングはコミュニケーションと同義であることを記憶していただきたい。

マーケティングからコミュニケーションへ。

私は平成20年度4月から、可児市文化創造センターの組織ツリーの総務課に「顧客コミュニケーション室」を設けた。WEBチケットシステム管理を所管して、データベースによる顧客との効果的、効率的なコミュニケーションを促進することを第一義的な目的としている。また、地元企業とのコラボレーションである「アーラ・ビジネス倶楽部」の運営や市民のライフスタイルに合致する多様なチケットシステムの展開、あわせてウェブサイトの運営も所管業務としている。いわば中長期的な顧客開発と顧客維持、顧客進化を目的とすると同時に、劇場組織全体にマーケティング意識を持たすためのリーディング部門としての役割を負っている部署である。

米国や英国における私の良く知る地域劇場のマーケティング部には、2003年をあたりからコミュニケーション部、あるいはマーケティング&コミュニケーション部と名称を変更している例がいくつかある。

これは、地域劇場のマーケティングの「主役」はマスマーケティングではなく、コミュニティとの精微な関係づくりをするリレーションシップ・マーケティングやワン・トゥ・ワン・マーケティングであるとの認識が一般化しつつあることを物語っているのではないか。ワン・トゥ・ワン・メディアであるインターネットを活用した双方向性のあるコミュニケーションによって「顔の見える顧客」を創客することにスタンスを置きはじめたからなのではないか。新規の顧客を開発するのが困難をともなう時代となり、「顧客維持」にマーケティングのミッションをシフトしようとしているからなのではないか。マスメディアによる宣伝広報はそれを補完するものとして位置付けられているのではないか。そのようなマーケティング手法が芸術文化分野には最適であると認知され始めているからなのではないか。いずれにしても、何かが大きく変わろうとしているように思える。

2003年当時、英国北部リーズ市のウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)でコミュニケーション部長をやっていたケイト・サンダーソンは、「顧客とのリレーションシップはマス・メディアによってではなく、コミュニケーションでしか作り出せない」と明快に答えてくれた。千葉商科大学の井関利明氏も、私が代表を務めるNPO法人舞台芸術環境フォーラムが主催した第三回国際劇場経営セミナー&シンポジウム『集客から創客へ』で「マーケティングとはコミュニケーションのことです」と、ワン・トゥ・ワン・マーケティングの日本への紹介者らしく明確に言い切っている。また、同じセミナーで、かつてロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)に所属し、現在はアーツマーケティングの専門家として多くの業績を持っているフリーランスのアーツ・コンサルタント、ヘザー・メイトランドは、「マーケティングとは観客、参観者、参加者の観点から物事を見つめること」と顧客からの視点を強調している。

マスマーケティングは、大量生産・大量消費というその発想地点から製品をキャッシュに替えるという生産者主権の考え方であり、製品志向のマーケティング手法である。それに対して消費者主権のマーケティングはすべてを顧客の視点で考える顧客価値志向のマーケティングである。

アーツマーケティングもまた、顧客価値志向であるべきと考える。と書くと、やはり客の求めるものを創り、提供するポピュリズムではないか、と反論がかえってきそうだが、作品を中心にして経営を考えること自体が製品志向、生産者主権である。アーチストがそのように考えることはありうるとしても、マネジメントやマーケティングに従事する者は、舞台芸術が作品と鑑賞者の関係が双方向のコミュニケーションによる共同生産性によって成立しているという前提に立つべきである。主観的にはいかに強烈な主張や表現であっても、それは他人の眼差しにさらされないかぎり、公的なものにはなりえない。また、佐藤信はインタビュー『パブリックシアターの可能性』のなかで「もうひとつはプロが依拠するための現代演劇なら現代演劇の観客についてもっと真剣に考えていかなければならない」と発言している。

したがって、アーツマーケティングとは、顧客との関与をどのように仕組むかを抜きには考えられない仕事(task)である。そのことをベースとして自分たちの仕事を設計すべきである。舞台と観客が共創と共感の関係にあることを前提として仕事(task)を発想すべきではないか。劇場・ホールにあってマーケッターが考えるべきは、創造環境と鑑賞環境を整備することで顧客とのあいだにWIN-WINの関係を成立させ、より良い「劇場経験」という顧客価値を成立させるための効果的な演出は何かを探り、考え、実施することにほかならない。

とりわけ、サービスを演出することを生業とする人々(=アーツマネージャーもアーツマーケッターもここに分類される。注著者)が、顧客の心の動き―言葉に出ることのない微妙なフィーリング―に十分に注意を払ってこなかった。

南カリフォルニア大学マーシャル・スクール・オブ・ビジネスのリチャード・チェースとスリラム・ダスは、『サービス・マネジメントの心理学』で上記のような警句を発して、顧客志向になりきれていないサービス業の組織と従業員に注意を促している。

第一章いまこそアーツマーケティングの導入を(5)