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集客から創客へ☆回復の時代のアーツマーケティング

第一章いまこそアーツマーケティングの導入を/創客へシフトせよ (5)

短期的な「動員」のための仕事(work)は、場合によっては必要ではあるが、中長期的な顧客づくりこそがマーケティングの本来の仕事であり、充分な広さを持たない舞台芸術市場を考えれば、対象となる顧客の生活習慣に関わるようなマーケティングを展開して「顧客維持」を企図することがどうしても必須となる。劇場・ホールに関連する、あるいは連鎖する感性の律動が生活の一部となるようなマーケティングが求められるのである。
私が考える「創客」のマーケティングとは、舞台芸術をコア・プロダクトとして、そこから派生するすべての「経験」を基にした双方向性の関係づくりを企図して、ニーズのある潜在顧客・有力見込み客(prospects)を初期顧客(customers)に、そして継続顧客(repeaters)、固定客(clients)、支持者・協力者(supporters・leads)、支援者・擁護者(advocates)、協働者(partners)と弁証法的に進化していくプロセスを、顧客と関わり合いながら実現するマーケティングのことを指している。
これを実現するには、顧客と関わり合いながら劇場内で起きる「出来事=舞台成果」を中核にすえながら、それへの「共感」と「共創」によって派生する「総体的な顧客価値」(total experience)をどのようにデザインしていくかの創造性と革新性が問われることになる。アーツマーケティングは芸術的ではないが、アーチストと比べても充分に創造的で、革新的な仕事(task)である。ここで注意しなければならないのは「創造性」と「革新性」を混同しないことだ。「創造性」は新しい仕組みを考え出すことであり、「革新性」はそれを実行に移すことである。新しいアイディアをもっている人間は多いが、それを現場にダウンロードできるように仕組みを構築して実行できる人間は稀有である。そのような人間は組織にとっては顧客と同様に価値の高い「無形資産=簿外資産」である。

英国の鑑賞者開発と芸術支援の仕組み。

英国ではかつてサッチャー政権下で中産階級が大幅に減って、80年代に国民のあいだに芸術離れ、劇場離れが起きた。その後ブレア労働党政権になって、保守党政権のサッチャーが創設した宝くじの収益を芸術文化に投資することになる。英国芸術評議会は「新たな観客や支持者」を創造するための「鑑賞者開発」を掲げて青少年劇団(ユースシアター)の運営やエデュケーション・プログラムの充実やアウトリーチ・プログラムに力を入れ、観客創造のためのプログラムを実施した。英国の文化施設では「顧客維持」ではなくて「顧客創造」に軸足を置いたスキルが発達したのにはそのような背景がある。
しかし、英国を代表する地域劇場であるウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)のマーケッターにインタビューしたところ、新しい顧客の開発も大きな課題ではあるが、いまでは既存顧客を失っていることの方がより現実的であり、緊急に解決しなければならない問題になってきている、ということだった。初めて来場した顧客のおよそ60%が再来場しない状況に陥っているということである。「鑑賞者開発」の英国でも、いまや顧客維持が大きな課題であり、潜在的顧客の掘り起こしと併せて、初期顧客をロイヤルティの高い常連客にしていくための新たな戦略構築が求められている、と切実に語っていたことを思い出す。
ここで注意しなければならないのは、「鑑賞者開発」は「芸術助成機関や地方自治体はコミュニティにコミットした芸術を支援した」(ジェラルド・リドストーン  ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ教授)のであって、結果として劇場・ホールを下支えしたが、必ずしも無条件で芸術そのものを支持したのではないことである。実は、ここに「創客」のヒントがここに隠されている。「創客」は芸術の愛好者や支持者を創り出すことではないことに注目してほしい。もっと大きな枠組みのなかで、舞台芸術や劇場・ホールの社会福祉的機能をコミュニティの中に位置づける考え方であり、英国芸術評議会の「鑑賞者開発」はマーケティングを社会改革にまで敷衍するコミュニケーションの作法なのである。社会的な企みといっても良いかもしれない。
WYPが常連客を創客する方策として、チケットのパッケージ販売を用意したことも記憶しておきたい。その名称は「ビッグ・ディール(Big Deal)」である。2003年から導入して、シーズン中の作品により多く足を運んでもらえるように、一作品を低価格で鑑賞できるように仕組んだチケッティング・システムである。観客の歩留まりを促進して固定客化すると同時に、まとめて販売するためにマーケティング・コストが低減される仕組みを構築したのである。余談になるが、米国ではかつては多くの劇場・ホールが年間予約会員制(サブスクライバー制度)を採用しており、それが英国とはことなり米国で「顧客創造」よりも「顧客維持」に重点を置いたマーケティング・スキルが発達する結果になったと考えられる。
日本の舞台芸術マーケットは、言うまでもなくきわめて狭隘である。その狭隘な芸術市場で、ある程度の固定した顧客層を維持するには、双方向性のあるコミュニケーション・メディアでロイヤルティの高い顧客を創りあげていかなければならない。いわば顧客の基数となるロイヤルティのある観客数を確保する施策をとることである。あわせて先年施行された文化芸術振興基本法にあるように、教育機関、福祉機関、医療機関などとのコラボレーション、あるいは地元企業との戦略的アライアンスを推し進めることも創客のアーツマーケティングの仕事(task)である。
前者が顕在顧客や潜在的顧客へのダイレクトなマーケティングなのに対して、後者はコーズ・リレイテッド・マーケティング(CRM)と呼ばれる支持基盤づくりのマーケティングである。CRMが社会的責任経営(Corporate Social Responsibility)によるブランディングによって潜在顧客を掘り起こし、顕在顧客のロイヤルティを高めて顧客進化を推し進めることは想像に難くない。CRMの詳細は後述する。
非営利事業体である劇場・ホールや芸術団体は、高い収益をあげるために活動しているわけではない。ミッションを遂行するための手段として収入を創り出しているのだ。目指すべきは収益(もしくは原価回収)の最適化と、観客サイズの最大化であることは間違いない。
そのためにも組織風土をマーケティング志向にシフトし、組織のIT化を推進して、顧客との双方向性のある関係づくりの基盤整備を急がなければならない。したがって、「創客」のマーケティングは、「動員」や「集客」という言葉からは遠く、「舞台成果の品質高度化」と「顧客の鑑賞環境の整備」と「良質の経験の提供」、さらには地域社会にコミットできる硬直化していない組織体質とその組織の高いマーケティング意識に、ともに深く関わる経営手法であるといえる。

最も寡黙なアーツ運営者にさえ働きかけ、顧客中心のアプローチを受け入れる助けとなる理論的根拠は、顧客を変えるのは難しい、しかし団体を変えるのは難しくない、という事実である。団体はマネージメントのコントロール下にあるが、顧客はそうではない。(『Standing Room Only』)

この認識から私たちはいますぐに歩き始めなければならない。組織の体質と精神風土を変えること、これは顧客の行動に変化をもたらすことと比較すると、いますぐにでも容易に取り掛かれる改革の第一歩である。芸術文化を通して豊かな社会の形成に関与するための第一歩である。それは結果として劇場・ホールを社会的な機関として位置づけることになる。芸術文化がどのような社会的、経済的環境にあっても社会的必要に支えられる財となるために、私たちはいますぐに動き始めなければならない。


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