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衛紀生館長のおしゃべりシアター「町が元気になる処方箋」

衛紀生館長のおしゃべりシアター「町が元気になる処方箋」(1)

ここで大事なことは「市場原理」です。「市場経済」というのは末端ほど荒々しく働くということです。どういうことかというと、僕は十数年前に沖縄県の与那国島というところで一ヶ月ほど滞在してお芝居をつくったことがあります。与那国島は日本一番西の端の島です。東京から2000キロ近くあります。与那国島には本屋さんがありません。雑貨屋さんに漫画雑誌が置いてあるんですけれども、それもマガジンとかジャンプとか絶対に売れる本しか置いてない。週刊文春とかでも置いてない。本を買うためには40分かけて飛行機にのって石垣島まで行かなくてはならない。しかし石垣島にも僕の本は置いてない(笑)。今は置いてありますけれども、当時は置いてない。僕の本を買うためにはさらに1時間飛行機に乗って那覇まで行かなければならない。じゃあ、与那国島の人は僕の本を読まなくていいのか。まぁ、いいって言われたらそれまでですが(笑)。そうじゃないから私たちは今全国に三千数百の図書館、公立図書館をつくってきたわけです。本を読むということは、どんな地域に住む人も、国民の文化的生活を享受する最低限の権利として保障されなければならないということで図書館つくってきたわけです。行政の下支えがなければ地方ほどあっけなく「市場原理」によってそういう文化的なものは根絶やしになってしまう。これはとても大事ところだと思います。要するに私たちは何となく地方の方がのんびりしていていい、田舎の方がみんな人と人が触れあっていていい。優しさがあって雰囲気があっていいという幻想を持っている。でもそれは本当にそうだったんですけれども、ここに「市場経済」、「消費社会」が入ってくるとそういうものに免疫がないからあっけなく根絶やしになってしまう。なぜなら末端ほど輸送のコストがかかるし、在庫のコストもかかる。だから効率を徹底的に追求されてしまう。ショッピングセンターの本屋さんはまさにそうですよね。全国どこの本屋さんでも本の並びというのは同じなんです。売れる本しか絶対に置かない、コストがかかるから。実は非常に無意識のレベルで、地方都市の人ほど読む本を指定されている。思想統制される。国家によって思想統制されるのではなく、これは「市場の論理」によって思想統制される。だから、私たちが自由な発想や自由な知識を得るためには、どうしてもこういう文化的に地方ほど行政の下支えが必要ということになる。
じゃあ、この原っぱの話に戻ると、原っぱ造ればそこに子供たちが戻ってきてくれるかというと、なかなか帰ってこないと思うんですよね、いまの子供は忙しいし、塾だとかあって。そこで私たちは現代社会に見合った新しい「原っぱ」、新しい「広場」をつくらなければいけない。そのひとつが僕は劇場であり、美術館であり、音楽ホールであるんだと思う。よく劇場とは非日常の空間と言われます。非日常の空間というのはお化け屋敷みたいなのが非日常の空間というのではなくて、いま話してきたように、出会いの場所になるコミュニティスペースになるということではないかと思います。普通の経済活動をしていたら出会わないような人たちが出会う場所というのが大事なのではないか。ここでホームレスと中学生が出会うとか、女子高生と障害者が出会うとか、高齢者と外国人労働者が出会う。そういう場所をつくっていかなければならない。これから日本に住む人、この狭い国土に住む人はどんどんどんどん多様化していきます、外国の人も含めて。そういう人たちが様々なかたちで「出会う場所」をつくっていかなければならない。そのために行政がやらなきゃいけないのが、いろんなプログラムを用意していくことなんです。どういうことかというと、皆さんはいまある地域に生まれたからといって、そこの青年会に入り、そこの青年会議所に入り、消防団に入り、春は祭だ、夏は盆踊りだ、秋は福引だ、冬は餅つきだと、全部の行事に参加させられるような、そんな強固な共同体はもう嫌なわけです。若いといきはみなそれが息苦しくて大都会に出ていく。そういう強固な一致団結型の共同体をつくることはもう無理なわけです。もちろんそういうものにノスタルジーを感じる人は復活しろというわけですが、それはもう無理なわけです。だとすれば私たちがこれからつくっていかなければいけない共同体は、スポーツも含めたさまざまな文化活動を触媒にして、誰かが誰かを知っているような社会をつくっていく必要がある。要するに、もっと簡単に言えば、あのお爺さん気難しそうに見えるけどボランティアやらせたら凄いんだよとか、あのブラジル人いかつくて怖そうに見えるけど、子供にサッカー教えたら凄いうまいんだよとか、誰かが何かを通じて誰かを知っているというような社会。僕はこれを昔ながらの固い共同体に対して緩やかなネットワーク社会というふうに呼んでいます。その緩やかなネットワーク社会を網の目のようにつくっていかなければならない。その網の目の交差点にたぶん芸術文化というのがある。

行政は50年、100年に一度起こるか起こらないか分からない災害のためにダムや堤防を沢山つくってきました。それも必要ではあるけれども、災害が起こったときにもうひとつ必要なのはコミュニティですね。神戸の震災でそれが証明されました。これは宣伝になってしまいますが、今度こちらで文学座さんの僕の新作を上演させていただきますけれども、これはちょうど震災から商店街が復興していく作品ですけれども、神戸の震災の例をみても小さなコミュニティが生き残っていたところは復興が早かったです。それはそうですよね、マンションひとつ倒れたとしても、誰が住んでいるのか知っているのと知らないのでは助けようが全然違いますね。実は柏崎の地震のときも、ある一軒は完全に家が倒壊したのだけれども、そこに住んでいる人が旅行中なのか、下敷きになっているのか分からなくて助けようがなかったというケースがある。こういったつながりが非常に災害のときなどにも重要になってくる。ここにかかる費用はダムや堤防の何分の一、何十分の一なわけです。ですから今後の町まちづくりというものを考えていくうえでも芸術文化というのは非常に大きな役割を果たす。これは、ただ単に、これまでの日本人の認識のように、まぁ芸術文化はあっていいんじゃないとか、まぁ好きな人はやったほうがいいんじゃないとか、何となく情操教育で子供の心豊かにしますとか、こんなレベルの問題ではなくて、これからの町づくりにおいてなくてはならないものになっていくだろうと。

(次回へ続く) 


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