私は「ブームの再来」を期待してはない。当時は、あまり質の高くない集団までが「新奇なことだけが価値」と思い込んでいる不見識きわまりない演劇ライターに取り上げられて、不釣合いな仕立てのスーツを着せられ、それに扇動された観客が劇場に押し寄せているという構図であった。
私が地域に出たのはそんな演劇に立ち会いたくないと思ったのが直接の動機である。観客を劇場の座席に押し込めて、一方向的に舞台から情報を押し付ける非演劇的な舞台に私は辟易とした。寺山修司のひそみにならえば、演劇は舞台が半分つくり、観客がもう半分をつくる、のである。その楽しみを取り上げられたら、何がおもしろくて劇場に来ているのか分からなくなる。
あの頃の客席には、ブームに乗り遅れまいとする同伴者気分や、ガルブレイスのいう「欲望の模倣」による消費行動が溢れていた。
自律的に創客の地平へ。
「ブーム」の否定的な側面ばかりを指摘したが、別の視点からみればでは「ブーム」は芸術団体にとっては「機会」であった。新しい顧客を獲得して、ロイヤルティのある固定顧客を創出し、さらに進化させる、いわば経営的な「機会」であった。あの頃の「ブーム」の渦中でそう捉えて行動を起こした劇団主宰者や制作者がどれだけいたのかは、はなはだ疑問である。世に出る「機会」と捉えた人間は山ほどいただろうが、マーケティング展開の絶好の「機会」と捉えた舞台関係者はほとんどいなかったのではないか。現況をみればそのことは容易に察しがつく。
きわめて良質な舞台に遭遇することがあっても、新聞劇評はおろか、それが演劇賞にノミネートもされることもなくなってしまった。大型プロジェクトばかりが取り上げられるような環境になってしまった。新しい才能や優れた才能に伴走する者が不在なのである。だからこそ他律的な機会に依拠することなく、いまこそマーケティング・スキルを構築して、自律的に創客の地平に踏み込むべきではないかと考えるのである。




