「創客の劇場経営 ― 人間を中心に据えるマーケティング」

第五章 「創客」は誤解されている。

素晴らしいパフォーマンスを作るものは何か、というのはよく聞かれる質問だが、この質問は翻って言えば、素晴らしい観客を創るものは何か、ということである。
(P・コトラー&J・S・バーンスタイン『Standing Room Only』)

マーケティングは座席を満席にするための懸命な方法を考え出す技術ではない。マーケティングは本当の顧客価値を生み出す技術なのだ。「顧客」がもっと豊かになるのを助ける技術なのだ。 (同上)

私が「創客」という言葉を最初に使ったのは、90年代半ば少し前に、岡山アートファームの大森氏のコーディネイトで行われた岡山県立美術館でシンポジュウムでのことだと記憶している。ピーター・ドラッカーの「顧客創造」にヒントを得て、フィリップ・コトラーのマーケティング理論と、ドン・ペパーズ、マーサ・ロジャースの「ONE to ONE」理論を敷衍して「創客理論」を積み上げた。それは、リレーションシップ・マーケティングをベースにして、長く触れ合い、思い出を共有することで創られる人間関係に依拠したマーケティング=顧客創造を想定したものだった。当時は、ワークショップが盛んに行われ始めた頃であり、「アートマネジメント」に次いで「ワークショップ」がはやり言葉のように言われ始めていた。その現場に何度も立ち会う中で、アーチストと参加した市民とのあいだにきわめて密接な親和的な関係が創られていくことに着目したのだ。ワークショップの参加者は、JRや長距離バス、なかには飛行機を使って、アーチストの関わる舞台を観に東京に出掛けていた。なかには、これはどういうことだと訝れるような、それまで演劇とは縁のなかっただろう普通の主婦や一般市民までが、入場料ばかりか、長距離移動や休日返上という「コスト」を支払ってまでアーチストの関わる舞台を観るために東京に馳せ参じていたのである。ここには顧客創造のための何かがある、と直感した。これが、「創客」という言葉を使った嚆矢である。

その直感が、私を「マーケティング」という分野に誘い込んだ。マーケティング関連の書籍を乱読するなかで出会ったのが、フィリップ・コトラーの『マーケティング・マネジメント』をはじめとする彼の一連の著作と、ドン・ペパーズ&マーサ・ロジャースの『ONE to ONE MARKETING』を嚆矢とする連作であり、その翻訳者であり、「ワン・トゥ・ワン・マーケティング」の日本への紹介者であり、当時は慶応義塾大学総合政策学部教授であった井関利明氏の著作であった。少し遅れてセオドア・レビットの名著『マーケティング近視眼』、『無形性のマーケティング』、インタヴュー『マーケティングの針路』に触発された。フリップ・コトラーからは「生き方」を学び、レビットからは「ものの考え方」学び、井関氏からは、その後幾度かお会いしてマーケティングの関する多くの示唆をえることになる。

話を本題に戻そう。私のその時の「直感」は、その後、前掲の一連の著作に学びながら、次第に大きく的を外してはいないという確信になっていく。私は、目撃したワークショップの参加者の心理を丹念に追うことから始めた。まず、もしそれほどまでして観に行った舞台が耐えられないほど酷いものだったらどう感じるだろうか、と考えた。彼らの中には、地域で何年も演劇活動をしている者も当然いるのである。したがって、鑑賞眼のない人間ばかりではない。彼らは創造現場を何回も踏んでいるのだ。しかし、仮にそうではあったとしても、彼らは踵を返すように当該アーチストとの「関係性」を絶つことはないだろうと推測できた。現に、彼らのあいだはより親密になっていくのだ。翌年のワークショップにも彼らは必ずと言ってよいほど参加してくる。参加してきたことが「驚き」になるほど、批評家の私の目からは、彼らの体験した舞台は感心できるものなかった。であるにも関わらず、彼らのあいだには親密度が増していくのである。彼らは表現者と観客という関係以前に、「思い出=体験」を共有し、「長い時間=コスト」を共有する「間柄」に進化していたのだ。

舞台の出来不出来は、おそらくはここでは関係がない。それを問題としない強い結びつき、いわば強い「きずな」が出来上がっていたのだ。この事実が、私に「創客」へ向かうためのマーケティング・プロセスを確信させることになる。舞台のひとつひとつに、いちいち反応し、離反さえする顧客ではなく、劇場や団体の支持者や支援者として、いわば「関係者」のように、あるいは「縁者」のように舞台と向かい合ってくれる顧客を創造することに私のマーケティング理論は向かうことになる。移ろいがちで、気儘な顧客ではない固定客の創出、舞台の出来不出来には左右されない「浮遊性のない顧客」。これが「創客」における顧客のおおよそのプロファイルである。これと表裏となって、劇場・ホール、芸術団体のブランドづくりの手法が課題となってくる。組織や文化機関の「ブランディング」は、ときに「創客」と同時進行となる。

そして、私の「創客」の理論化を大きく前進させてくれたのが、当時、前掲の井関氏と同じ慶応義塾大学の商学部教授だった井原哲夫氏の『愛は経済社会を変える』であった。フィリップ・コトラー、ピーター・ドラッカー、セオドア・レビットの論文に絶えず触れながら、そこから「アーツ」に敷衍できるマーケティング・エッセンスを取り込み、井原氏の、私が勝手に命名させていただいた「身内意識論」と融合させながら、リレーション・マーケティング理論をより進化させることに私は関心を傾注することになる。劇場・ホールにロイヤルティをもつ顧客を創り出すために、潜在顧客を顕在化させたのちに、初期顧客(early customers )⇒ 継続顧客(repeaters)⇒固定客(clients)⇒支持者(supporters)⇒支援者(advocates)⇒協働者(partners)と進化させるために芸術団体、劇場・ホールは何を施せばよいのかを考えた。支持者、支援者、協働者という「身内意識」(a sense of belonging)をもった、すなわちロイヤルティの高い、劇場・ホールや芸術団体と一体感をもった顧客づくりの継続的・螺旋状の生成のプロセスを「創客」と定義したのである。
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