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「創客の劇場経営 ― 人間を中心に据えるマーケティング」

第三章 ベス・チャトーの「奇跡の庭」のように。

「人間」をど真ん中に据えて、文化芸術の価値交換を考える

むろん、もう一方の英国を代表するガ―ディナーであるクリストファー・ロイドのように、植物の葉を型にはめたりして、きわめて人工的な庭園造りをして評価されている手法もある。だが私は、「ベス・チャトー」のように、地域社会に耳を傾け、人々の思いに寄り添い、人々の伸びやかな心の力を引き出すように事業やサービスの仕組みを設計することの方が、地域劇場には合っていると思う。これには「我慢強い」姿勢が求められる。なぜなら啓蒙的に事業を組み立てるよりも「変化」のスピードが極端に遅いからだ。啓蒙的な劇場経営の進め方はきわめて突出した少数の感性を育むが、大きな広がりは期待できない。一方、辛抱づよく「地域に訊く」姿勢を続けて育まれる住民のライフスタイルの「変化」は、穏やかにではあるが、しっかりと根付いたものとなる。広いすそ野をかたちづくる。より多くの人々にとっての「変化」となることはアーラの実績が証明している。
前者も後者も、ともに成果は「変革された人間」であるが、「組織の存在理由は、組織の外の世界への貢献にある」というドラッカーの言葉に従って吟味すれば、地域劇場はより多くの人々の生活に「変化」をもたらすという意味で、啓蒙的であるよりは顧客志向であるべきと考える。啓蒙的であるということは、製品志向であり、芸術的成果にプライオリティを置く考え方なのに対して、顧客志向は、その芸術的成果を受け取った顧客の受取価値を軸に経営を考える志向である。「人間」をど真ん中に据えて、文化芸術の価値交換を考えるアーツマネジメントやアーツマーケティングである。「顧客志向」は、団体・企業にとっては経営哲学であり、それを具体的な手法として設計するには、行動経済学や認知心理学などの消費者行動の心理に対する見識が必要とされる。

『劇場法』では芸術監督の勤務実態に厳しい条件を

さて、近い将来に成立するだろうと言われている『劇場法』(仮称)では、「創造型劇場」には「芸術監督」の必置義務が書き込まれるようだ。「芸術監督」が芸術家である場合、経営全般の責任を負う「経営監督」の必置と、経営上の権限の付与を条件としてのみ、私は「芸術監督」の必要性は容認できる。従来の「芸術監督」に経営的な知識と才覚がなかったのと、アーチストにそれを求めるは酷であり、経営上の責任まで「芸術監督」を負わせるのは無理があると思うからだ。ただ、「芸術監督」は必要ではあるが、勤務実態に厳しく条件をつけるべきと思っている。というのは、文化庁の「芸術拠点形成事業」の審査をしていた折、この補助事業でも芸術上の責任者の必置義務があったのだが、行政から現職派遣されている係長が「芸術監督」とされているケースがあった。これなどは論外であるが、ほとんどの劇場・ホールが非常勤の芸術監督となっていた。非常勤でもよいとは考えるが、私の審査した例で、音楽界の同一人物が三館で非常勤芸術監督として名前が出てきたことには驚かされた。むしろ、「呆れた」と言った方が適切である。東京で活躍している著名な指揮者であるから、どのように好意的に考えても勤務実態は一館について、あっても年間10日間程度ではないか。むしろ10日もあれば良い方である。それで地域劇場・ホールの芸術的な責任が果たせるだろうか。いかがだろうか、考えてほしい。この事例は私の許容範囲を完全に逸脱している。

勤務実態は少なくとも年間120日は満たさなければならないだろう。それでなければ、「地域に訊く」ということなど到底できず、「啓蒙主義的」な上から目線で地域を睥睨することになる。そんなことになれば、当該地域に居住する住民は被害者である。「嫌なら劇場・ホールに行かなければいい」と言われるかもしれないが、強制的に徴収された税金で設置され、運営されている以上、劇場に足を踏み入れなくとも「被害者は被害者」である。仮に勤務実態が120日であるなら、どうしても東京や海外での芸術活動をしたいと当人が希望するなら、約8カ月は当該地域外での創造活動に勤しめる。私にとっての許容範囲は、どんなに譲ってもこの程度である。「地域に訊く」ことのできない「芸術監督」は、税金で禄を食む天下りにも等しい。それをある演劇人が「天上がり」と言っていたが、「地域に訊く」ことが芸術監督の職務の重要な要素であるのに、それさえも出来ないのなら「何をか謂わんや」である。公的な資金で禄をはむ以上、「地域に訊く」責務があると考える。「覚悟」の問題ではないだろうか、「奇跡の庭」を造るという。

次回:第四章  どんな鳥だって、想像力よりは高く飛べない。


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