2009年2月6日(金)・7日(土)に愛知芸術文化センターで行われた「世界劇場会議 国際フォーラム2009 地域の文化環境、再生へ向けて。」の模様を掲載します。
世界劇場会議は、地域における舞台芸術の創造と社会基盤造りをめぐる諸問題を世界的規模において議論する場として始まり、 「芸術家」「制作者」「劇場技術者」「コンサル・シンクタンク」「行政」「企業」「研究者」など、劇場にかかわる幅広い人々が一同に会し、劇場という総合体について語り合う場です。
中川:とても厳しい論点が出されたと思いますね。プロデューサーが土地の特性とか文化とかいろいろなものに理解があり、それを掘り出していって、市民の目の前にいきいきと再現していくという、そんなプロデューサーがいて欲しいと思うんですけど、でももしプロデューサー優先主義という思想にもし立ったとするなら、次のような批判が出てくる。某県における某巨大戦艦のようなホールにとても有名な芸術監督がきたとすると、その監督が率いている集団の私的占拠のように県民から見える。それで良いのかと議会から反発される。そこにもエリート主義が出てくる危険性があるんですよ。当たりなら当たりでいいんですがね、県民も市民も「あの人いいね」と支持してくれるなら。
現実に衛さんの立場を考えた場合、衛さんはもっと市民の世界に露出していって飲み屋にも行って、俺首にならないように頼む!と言い続けなければならない危うい立場にあることは事実ですよねえ。そういうことを考えると、個人的資質に対する過剰な期待は、システム的に補強しなければならないと思う。どういう事かというと、指定管理者制度を導入するにあたって、さきほどの単純な反復供給貸し施設なのか、人こみのインスティテュートなのか?判別しなければいけないと言いました。これはまったく指定管理者選定基準を変えなければいけません。
二つ目は、指定管理者制度を導入するにあたって、あるいは民間に移管するに当たって、何を次の判別基準にするかというと、人的技術的スキルとか能力とか、地域の文化に関する理解と愛情の深い人とか、さらにはストックを形成することができるかどうかということ。ストックを形成出来るならば直営の方が良いかもしれない。あるいは財団の方が良いかもしれない。指定管理者制度の方が良いかもしれない。そう考えなければいけないんですね。ところが、今の話では、指定管理者の場合は、ほとんどストックは飛んでいく。多くは抜けてしまう。コストは見合いません。せっかく頑張っているプロデューサーがいても本社は引き揚げを命じてしまう。こういう面では危ない。そういう点で私は財団運営方式も利点があると思っているけれど、行政直営型の館長とかあるいは事業課長とかは、人事異動の対象として、必ず長くても5年くらいで変えてあげないと、本庁の人事のルーツの中に入っていけない。「私は一生文化ホールの館長でいたいんです」といわないかぎりは、移動することになる。すると人的ストックが消えていくという弱みがあるから、直営よりは財団が良いという流れになったことは事実でしょ。




