何がこの2年間でアーラのブランディングを推し進め、顧客ロイヤルティを高めたのか。私の実感としては、バースディ・サプライズやイルミネーション・カード(サイト内『集客から創客へ☆回復の時代のアーツマーケティング』参照)などの「人間的な共感をベースとした顧客サービス」の通年実施や、学校、フリースクール、高齢者福祉施設、障害者福祉施設、医療施設、多文化施設、地域集会施設へのアウトリーチやワークショップをまとめた『アーラまち元気プロジェクト』(09度実績 27事業区分267回、10年度からは14施設ある地域の公民館へのアウトリーチを加え、コンテンポラリー・ダンスによる「高齢者の健康保持・体力維持のための事業」も視野に入れているので、およそ280回を超える予定、詳細はウェブサイトの『alaまち元気プロジェクト2009レポート』参照・ダウンロード可)の通年での実施、自主事業選定における「市民感度の重視」などがある。
この「市民感度の重視」は、当然、3200万人のマーケットのある首都圏とはまったく異なる尺度である。ではあっても、何処に出しても高い芸術的評価を受けられる事業をしていることは自負している。アーラのプログラムをウェブサイトか、年間事業をまとめたブロッシャ―を見ていただければ分かっていただけるだろう。しかし、この「市民感度」は数値化できるものではなく、どのように言葉を尽くせば理解いただけるか心許ないが、私自身が可児市で生活する中で獲得できる感覚であり、いつかは何とか理解いただけるように説明しなければならないと思っている。いずれにせよ、「顧客志向」を隅々にまで徹底させて、「経験価値創造」に軸足を置いたアーツマネジメントを徹底して、さらには市民やお客さまをはじめとする多様なステークホルダー(利害関係者)へのマーケティングに専念してきた2年間の成果が上記の数値である。私たちは、「未踏の劇場経営」に向かっていると自負している。3月に市民参加型事業『オーケストラで踊ろう!』のスーパーバイザーとしてアーラを訪れた英国北部リーズ市・ウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)の演出家ゲイル・マッキンタイアと芸術開発部長サム・パーキンスが、アーラの劇場のにぎわいや劇場経営の考え方、仕組みの設計に驚嘆して、即座に劇場間での日英協働プロジェクトの計画着手を申し入れてきたことがそれを如実に物語っている。
ミッションは、顧客の生活スタイルに影響・変化をもたらし、生きる力とすること
「顧客志向」を徹底させ、「経験価値」の高度化を図り、「市民感度の重視」にはっきりとシフトすれば、結果はおのずとついてくるという確信はある。それが劇的な変化であるか、あるいは穏やかな変化であるかは、地域の事情によって異なるだろうが、ミッションに沿った経営企画を設計して、粛々と業務を遂行できる組織をつくりだせれば成果はかならず出る。しかも、その結果が、最終的には芸術家の創造環境の改善に寄与するのである。さらにはその「芸術家の創造環境の改善」が、さらにスパイラル状に高度化して顧客の「経験価値」に反映されてくる。アーツマネジャーやマーケッターは、そのスパイラル状の循環に気付くべきなのだ。アーツマネジメントやアーツマーケティングとは、そういう「哲学」であり、「科学」なのである。私たちアーツマネジメントに関わる者は、自由奔放な創作活動を「芸術家」に保障するために存在しているのでもなければ、そのために仕事をしているのでもない。「芸術家」も様々な制約の中で創作活動をすることを余儀なくされる。結果として、その制約を軽減させることができるのが、アーツマネジャーの仕事なのである。あくまでも「結果として」である。前述した「スパイラル状の循環」によってである。私たちのミッション(使命)は、顧客の生活スタイルに「影響」をもたらし、「変化」をもたらし、それを人々の「生きる力」とすることである。「変革された人間」を生みだすことである。決して、「芸術家の自由奔放な創作活動」を保障することではない。生産者主権のマーケティングの死
「芸術家」とその成果物の固有価値を最優先する社会的慣性を私たちは生きてしまっている。そのために、私たちは観客や聴衆を、「成果物という情報」の受け手に押し込めてしまってはいないか。それが「芸術の障壁」を高いものとしてしまっていることは既に述べた。「情報(インフォメーション)」と「交流(コミュニケーション)」はまったく違う構造を持っている。私たちが携わっている文化芸術は、相互の交流(コミュニケーション)によって「芸術」たりえているのだという原点に、私たちはあらためて立ち帰る必要がある。観客や聴衆を劇場・ホールの座席に押し込めてしまってはいけない。私たちは、観客や聴衆が自由奔放な想像力と創造力でセルフストーリーを紡げるような環境を整えるべきである。自由奔放であるべきは顧客の方なのである。そのような経営に立脚することで、私たちは「刈り取り」のマーケティングではなく、「種まき」のマーケティングをすることができるようになる。ウィリー・ローマンは、「刈り取り」しかしていなかったことで仕事と生活の激しい徒労感にとりつかれ、ついには「死神」を近付けてしまったのではないか。アーサー・ミラーの代表作である『セールスマンの死』は、社会派だった彼の著作だけに、「アメリカの死」を暗喩し、アメリカ型の「生産者主権のマーケティングの死」を意味しているのかもしれない。




