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「創客の劇場経営 ― 人間を中心に据えるマーケティング」

第二章 ウィリー・ローマンは、なぜ息子に非難されたのか。

「マーケティングとは、最終結果、つまり顧客の立場から見たビジネス全体のことである。」
      (ピーター・F・ドラッカー)

「優秀なサービスとは何かを定義するのは顧客である。そして、彼らの定義に重点を置くのは、マネジメントの責務である」
    フィリップ・コトラー&ジョアン・シェフ・バーンスタイン 『Standing Room Only』

アーツマーケティングを担う人間は、ゴッホのようには生きられない。

私たちは、「芸術」を考えるとき、芸術家を第一義的な地位におくことを信じて疑わないのではないだろうか。芸術家も、自身を中心に据えることを要求するだろう。そのことに疑いをはさむ余地がないかのようである。私たちはそういう社会的慣性を生きている。だが、果たして本当にそうなのだろうか、と疑ってみることも必要ではないか。芸術家は生涯にわたって、誰にも顧みられなくとも「芸術家」である。たとえば、あのヴィンセント・ヴァン・ゴッホのように、である。だが、ひとたびその成果物に経済的対価を求めようとすると、いかなる「価値」を提供できるのかを厳しく問われることになる。さらに社会化に向けてマネジメントを行うとなれば、ゴッホとは異なりきわめて短期間にその経営的成果を出すことを求められる。私たち劇場経営に携わる人間に求められるのは、限られた、しかも短い時間で成果を出すことだからだ。アーツマネジメントやアーツマーケティングを担う人間は、ゴッホのようには生きられないことをあらかじめ宿命づけられていると言ってもよい。それがアーツマネジメントやアーツマーケティングの「ミッション」(使命)だからである。

「経験価値」の決定権は供給者にはない。

ここでいう「価値」とは、まさしく「経験価値」のことである。それは芸術的成果物と享受者のあいだの相互関係性において成立する「経済概念」であり、したがって、その多寡は享受者たる顧客が「受取価値」において決めるものである。価値の決定権はいかにも芸術の側にありそうに思えるが、「経験価値」の決定権は供給者の側にはない。アーツマネジメントやアーツマーケティングにおいては、表現者主権ではなく顧客主権なのである。この考えは、芸術的高潔さを妥協しなければならないという意味ではない。「経験価値」という経済概念に依拠したかたちで芸術を社会化するとなると、芸術もまた、経済社会における価値交換の構造にさらされるのである。芸術の構造を吟味すれば、当然と言えば当然であるのだが、その構造が、これまでほとんど顧みられなかったのである。それほど我々は「芸術の経営」には無頓着だったということである。「アーツマネジメント(芸術経営)が必要」と20年前から声高に言いながら、「経験価値」を生む芸術の経済環境には目を瞑ってきたのである。「芸術」を、どこかで「特別な商品」かのように私たちは思い込まされてきたのではないか。「経験価値」はそれを受け取る鑑賞者の側に、しかも百人百様に存在する。「経験価値」は、決して一様に鑑賞者側に生まれるのではない。

文化芸術とは、相手の個性から相互に学びあう関係性や交流(コミュニケーション)のことである。従来からの考え方に従えば、芸術家の成果物には固有の価値があり、したがって鑑賞者の受取価値は、その固有の価値を軸にした同心円状に発生すると考えられていた。そして、現在もそのように信じられている。そのことのおおよそには間違いはない。しかし、「経験価値」という顧客に発生する経済概念は、交流(コミュニケーション)という相互性によってはじめて成立するのであり、したがって対価を生む「経験価値」は、顧客に固有価値であることに私たちは改めて気付かなければならない。顧客の個人史と上演作品や演奏との接点の集積が、パフォーマンスというコアプロダクトが生む「経験価値」の軸であり、付随する多様な付加的価値サービスとのそれとの相乗効果によって受取価値が決定し、それが劇場・ホールの提供できる「経験価値」の総体となる。いま一度繰り返すが、芸術家の創造する成果物によって生み出される「経験価値」は、まぎれもなく顧客が決定権を持っている。「経験価値」が、作品と顧客の個人的な生活史のあいだに成立するコミュニケーションによるという「相互性の原則」に従えば、この考え方は至極当然である。劇場・ホールや美術館で起きる「個人的な出来事」である「経験価値」は、マーケティング(=コミュニケーション)の相互性によって発生する「経済概念」であることを、まずもって私たちはわきまえなければならない。

お客さまが受け取る経験価値=受取価値がすべて

マーケティングの摂理に従えば、とりわけ対面型の劇場サービスのマーケティングであることを加味すれば、私たちが行うアーツマネジメントは、常に「経験価値」を中心軸にして「顧客志向」でなければならない。すなわち、お客さまが受け取る経験価値=受取価値がすべてであるという考えに貫かれていなければならない。文化芸術、とりわけ舞台芸術の種々の特性を考えれば、アーツマネジメントは「作品志向」ではありえない。むろん、ほとんどの劇場・ホールや芸術団体の制作者は、「作品志向」のマネジメントをしているのが現状ではあるが、私たちの使命は、「劇場のあるライフスタイル」を顧客に提案して、「生活の変化」を顧客にもたらすことである。「変革された人間」を生みだすことである。必ずしもチケットを完売することではない。敢えて言えば「完売する環境」を整えることがアーツマーケティングの最終ミッションである。

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