「何処かにたどり着きたいなら、今いるところに留まらないことを決心することだ」(J.P.モルガン)
「あなたは、バスケットボールの試合のチケットは、バスケットボールの試合のチケットでしかないと思うかもしれない。その考えはあまりに狭すぎる」(ジョン・スポールストラ)
ジョン・スポールストラは、NBA(全米バスケットボール協会)で5年連続最下位か、せいぜいそのひとつ上にしかランクされていなかったチーム、ニュージャージー・ネッツのCEOに91年に就任することになる。そして、戦績ばかりか、観客動員数も全米最下位だったチームだったニュージャージー・ネッツのチケット収入伸び率を、僅かな期間で全米1位に導くことになる。それも最弱のチームのままで高収益を達成する。当時ネッツの経営環境は最低だった。近隣には、ハドソン川を渡ればニューヨーク・ニックスという当時は常に優勝争いをしていた人気チームがあり、ニュージャージーのバスケットポール・ファンはネッツよりもマジソン・スクウェア・ガーデンを本拠としていたニックスにロイヤルティを感じていた。つまり、ニュージャージーの住民は、自分の住んでいる土地のチームにはアイデンティティを感じず、近隣のニューヨークに意識が向いていたと言える。
彼の経営戦略のキーワードは「ジャンプ・スタート・マーケティング」である。平たく言えば「常識破りのマーケティング」。つまり、私たちが持っている「常識」を一度リセットすることから始まるマーケティングを、彼はニュージャージー・ネッツで行ったのである。チームが弱いまま業績を上げる、というのは私の志向とは外れているが、それだからこその「ジャンプ・スタート・マーケティング」と言えるのだろう。
なぜ、私が三年生の最初の「文化事業」の授業で『エスキモーに氷を売る』か、あるいは続編の『エスキモーが氷を買うとき』を購入して、前期のレポートの課題と予告し、前期を通して全員に読ませようとしたのか。理由は至極簡単明瞭である。日本で文化芸術を仕事とする以上は、エスキモーに氷を売るような、まずとてつもなく高い障壁と向かい合うことが課せられるからだ。この障壁を越えて顧客価値の高度化を図れた事例は、日本では皆無に近い。ここを越えないかぎり、アーツマネジメントも、アーツマーケティングも、文化政策も、すべて画餅となってしまう。象牙の塔の中での「学問としての芸術経営」ならまだしも、現場で通用するものにはならない。私が学生に与えた課題は、「アーツはさして生活するのには必要はない」とする日本人のメンタリティと正面から向かい合って、自分も持っているだろう「常識」をこなごなに粉砕することからしか現場に即したアーツマネジメントも、アーツマーケティングも、文化政策も、踏み出せないということだった。




