かつて私は、人間的な共感をベースにしたサービスが21世紀には重要になる、と何回も書いたことがある。文化、教育、福祉、医療など、これらのサービスが十全になされることで、社会は健全に機能し、そこで生活する人々は本当の意味で豊かさを実感すると思うのである。基礎的財政収支の均衡を遮二無二政策目的とするにはいささかの錯誤があると私は考えている。基礎的財政収支の均衡はあくまでも何かを実現するための手段であり、そのことでどのような社会をつくろうとするのかがまったく語られていない。おかしくはないか。ドラスティックに財政の縮小をすることで、本来の目的である健全な社会形成そのものが歪み、人心が荒廃してしまっては政治の責任を果たしていないということになる。無駄は盛大に削るべきである。それにはまったく異論はない。しかし、健全な社会形成を担保する予算はむしろ積み増すべき時代状況にある、と思うのである。
そもそも、現在の予算のあり方は社会の構造的な変化とともに組み替えるべきであり、ゼロベースで予算の枠組みを考え直さなければならない時期に来ているのではないか。文化、教育、福祉、医療に重点を置いた予算にしなければならない構造的な変化が社会に起こっていることに、私たちは着目しなければならない。戦後復興期、その後に来た高度成長期のパラダイムのままマイナス・シーリングだけで財政均衡を取り戻そうとする作業仮説自体がそもそも間違っているのではないか。「孫の世代に負担を先送りしない」ために、予算総体のゼロベースでの見直しが必要な変化の時代に来ていると私は考える。
そもそも、現在の予算のあり方は社会の構造的な変化とともに組み替えるべきであり、ゼロベースで予算の枠組みを考え直さなければならない時期に来ているのではないか。文化、教育、福祉、医療に重点を置いた予算にしなければならない構造的な変化が社会に起こっていることに、私たちは着目しなければならない。戦後復興期、その後に来た高度成長期のパラダイムのままマイナス・シーリングだけで財政均衡を取り戻そうとする作業仮説自体がそもそも間違っているのではないか。「孫の世代に負担を先送りしない」ために、予算総体のゼロベースでの見直しが必要な変化の時代に来ていると私は考える。




