インターネット・チケットの時代よりも手売りの時のほうが、狭隘な市場に対応することが宿命づけられている舞台芸術産業という業態にとっては、健全なマーケティングがなされていたのではないか、と私は思っている。チケットを売った相手の顔が見えているだけに、アナログ的ではあるが「顧客維持」と「顧客進化」が、やりようによっては可能だったからだ。現在よりも、リピーターをつくり、固定客を獲得する手立てがまだまだあったのではないかと思っている。
顧客は誰? 顔が見えなければ「顧客維持」も机上の空論。
たとえば、舞台芸術のマーケティングは、スーパーマーケットのそれではなく、昔の商店街の八百屋や魚屋や花屋の親父やおかあちゃんやお姉さんがそれと気付かずにやっていた「商いの作法」に類似している。彼らの商圏は半径500mもなかったに違いないが、その範囲から来るお得意さんの「顧客データベース」はしっかりと彼らの頭の中に構築され、日々更新されていたに違いない。住所、家族構成、性別、年齢、職業、出身地、趣味や好み、誕生日、持ち家/借家などの事細かい人口統計学的データ(デモグラフィック・データ)が彼らの商いを支えていた。したがって、一見客は新しい転入者以外にはほとんどいない。長年かかって蓄積されたお馴染みさんの「データ」を基にした商売をしていたのである。また、その店はまちの情報交換の場所でもあり、店先のにぎわいは売り手が買い手同士を結びつける出会いと付き合いの触媒の役割までも果たしていた。
まちの情報から売っている品物の調理方法、生活の知恵まで、客が店から仕入れる情報は多岐にわたっていた。店に通うほどに客はその店へのロイヤルティを高めていく。売り手も客の好みや生活形態にマッチした商品を仕入れ、勧め、現在でいう賞味期限が近いものは「奥さん、これサービスしておくから早めに食べてね」と買物籠に押し込む。他の店に行くことなど到底考えられない。自分のことを熟知してくれている店を離れることは、客にとっては大きなコスト負担となるからだ。他の店に行ったら、もう一度最初から自分のことを「顧客データベース」に書き込んでもらわなければならない。その時間ロスとコスト負担を考えたら、他の店には絶対に足は向かない。したがって、かつての商店はきわめてロイヤルティの高い顧客によって支えられていたことになる。
つまり、まちの商店はマスマーケティングではなく、きわめてアナログ的であり、プリミティブではあったが、ワン・トゥ・ワン・マーケティングとか、リレーションシップ・マーケティング、データベース・マーケティングと同様な仕組みをもつことで顧客のライフスタイルに深く関わっていたのだ。
近年の大型店舗、たとえばスーパーマーケットの店員の頭の中には「顧客データベース」はない。彼らは商品を陳列する役割の人間であり、売上をレジに打ち込む人間でしかない。だから、食品の安全性や偽装表示などの問題でも起こったら、消費者は近くの他のスーパーマーケットに躊躇なく乗り換える。乗り換えても、本部からの地域消費性向分析をもとにした指令によって品揃えはどこでも似たり寄ったりで、別のスーパーでも大して変わらないようになっている。店員に「顧客データベース」が不在であることでスーパーマーケットは顧客にとって代替のきく業態なのである。
しかもスーパーマーケットは、顧客との関係づくりが不可能なマスマーケティングをベースとしている。「関係づくり」という変数を限りなくゼロに近づけることで、スーパーマーケットは経済効率の良い経営を展開しているのだ。しかし、これだと何かあれば顧客の離脱は容易に、しかも速やかに起こりうるのである。ベストワンのスーパーマーケットはあるだろうが、かけがえのないオンリーワンのそれはありえない。
狭隘な市場と向かい合わなければならない舞台芸術の経営が選ぶべき道がどちらかは、言うまでもないだろう。
近年の大型店舗、たとえばスーパーマーケットの店員の頭の中には「顧客データベース」はない。彼らは商品を陳列する役割の人間であり、売上をレジに打ち込む人間でしかない。だから、食品の安全性や偽装表示などの問題でも起こったら、消費者は近くの他のスーパーマーケットに躊躇なく乗り換える。乗り換えても、本部からの地域消費性向分析をもとにした指令によって品揃えはどこでも似たり寄ったりで、別のスーパーでも大して変わらないようになっている。店員に「顧客データベース」が不在であることでスーパーマーケットは顧客にとって代替のきく業態なのである。
しかもスーパーマーケットは、顧客との関係づくりが不可能なマスマーケティングをベースとしている。「関係づくり」という変数を限りなくゼロに近づけることで、スーパーマーケットは経済効率の良い経営を展開しているのだ。しかし、これだと何かあれば顧客の離脱は容易に、しかも速やかに起こりうるのである。ベストワンのスーパーマーケットはあるだろうが、かけがえのないオンリーワンのそれはありえない。
狭隘な市場と向かい合わなければならない舞台芸術の経営が選ぶべき道がどちらかは、言うまでもないだろう。
インターネット・チケッティングで生じた舞台芸術側の「機会ロス」。
現在、顧客との関係づくりは、コンピュータと通信システムの急速な進捗で、かつての商店街の八百屋や魚屋や花屋と同じような「商いの作法」を大掛かりに、手早く、しかも安価に、容易にできるようになってきている。そのことに疑義を差し挟む者はいないだろう。だが、多くの舞台芸術団体や劇場・ホールは、いまだにマスマーケティングのみに依拠した「selling」にエネルギーとコストの大半を費やしている。手売りやプレイガイドへの配券に頼った頃とは打って変わって、チケッティング・サービス会社に多くの枚数を配券することで、舞台芸術団体や劇場・ホールは販売チャネルを飛躍的に拡大させることができた。だが、時代はもうすでに新しい局面に入っていると私は思う。
コンピュータのコモディティ化と、それにともなうインターネット社会の急速の進捗という外部環境の変化を「機会」として取り込めないでいるのが、アーツ・マネジメントの現状ではないか。現に、大手劇団のマネジメントやマーケティングを見るかぎり、表計算ソフトのExcelで4、5分もあれば出来る票券のマトリックスを、いまだに模造紙とマジックと定規で描いて、更新のたびに計算機で集計している。三十年前のまま、時間が止まっている。
時代の変化によってもたらされた「飛躍的な販売ルートの拡大=チケッティング・サービスの開始」というかつての成功体験にいまだにこだわったままで、将来へとつながる「いま」を取り込めないでいるのではないか。トーマス・フリードマンの「思い出が夢を超えるとき、終わりは近い。真に成功する組織の顕著な特徴は、過去の成功体験を捨てて、新たに出発する意欲を持っていることである」(『フラット化する世界』)という言葉の意味は重い。




