これらを俯瞰してみると、観劇や鑑賞という「劇場経験を利用したマーケティング」というよりも、「多様性と選択の自由の提供をウェブによって担保することで、劇場とその周辺に顧客自身の意志によって望ましい経験価値を創り出せる仕組み」を提供することが顧客志向のマーケティングであると、これらの町の劇場は考えているのではないか。あわせてそれが、地域経済や地元ビジネスグループへの貢献にもつながっている。芸術の側は支援を受けるばかりではなく、その資金を地域に還流させて貢献するという循環可能なサイクルを実現できる変換装置になっている。芸術団体や劇場・ホールは、そういう可能性をも持っているのである。
ウェブサイトにおける多様なサービスの提供は、最大限に顧客の意志に選択をゆだねて、顧客にとって望ましい価値を受け取ってもらおうとする劇場サイドの意思表示である。顧客の側に立っての「受取価値の最大化」を企図していると言える。
劇場は、多様な人々にライフスタイルを提案する社会的制度であり、新しい価値を提案する機関でなければならない、と私は考えている。その視点に立てば、上記の事例は、その事業定義と目的にそって考案された仕組みである。そう考えると、私たちは、組織や事業の仕組みとともに、ハードウェアのあり方や周辺環境にまで配慮せざる得なくなる。あるいは、まちやその周辺の環境を、劇場・ホールの経営資源として再評価することが求められる。何度も繰り返すが、「何かを観る、聴く場所」という役割に留まる限りは一方的な「享受の場の提供」に過ぎない。それでは、「自分らしさ」を生活の中に実現する、創造的なライフスタイルの提案には到底ならない。
再び、狭隘な舞台芸術市場に必要なマーケティングとは。
序章で英国の「鑑賞者開発」に触れた。これはサッチャー政権下での家計経済の低落傾向から起きた芸術離れを、宝くじを原資として回復させようとする政策意図に基づいた英国芸術評議会のプログラムである。ここには、労働党政権による「ソーシャル・インクルージョン」という社会政策の基本理念が底流としてあるのだが、それはのちに触れる。
ともかくも、「鑑賞者開発」は、サッチャー政権下で起きた芸術分野における「病理」(新しい資金源の開拓をはじめとする市場原理主義とValue for Moneyの原則の導入による疲弊)に対する処方である。むろん、この施策が無条件で芸術を支援したのではないことを心しておくべきだが、しかしながら「鑑賞者開発」が一定程度の成果をアウトプットして、劇場・ホールや美術館などの文化施設を活性化したことは事実である。
しかし、英国北部リーズ市のウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)でコミュニケーション部長をやっていたケイト・サンダーソンの「リレーションシップはマスメディアによってではなく、コミュニケーションでしか作り出せない」という言葉は、新規顧客のおよそ60%が再来場しないという厳しい現実から出た本音である。サッチャー政権下で観客が著しく減少したのは事実であり、その処方としての「鑑賞者開発」であったが、それが回復傾向を示しだすと、今度は「顧客維持」や「顧客進化」のためのノウハウが必要となってきたのである。
本来のアーツマーケティングのあり方は、狭隘な市場規模に対して「顧客創造」と「顧客維持」のバランスをとり、維持したロイヤルティのある顧客にさらに進化してもらう環境を演出し整えるスキルである。英国のその後の動向が、ロイヤルティの高い常連顧客づくりにシフトせざるを得なかったのを見ても、「鑑賞者開発」というプログラムがサッチャー政権下で起こった病理への対症療法の処方であることは明白であるだろう。舞台芸術の本来的な市場対応が「顧客維持」と「顧客進化」にあるのは自明である。
釣りがキャッチ・アンド・リリースなのに対して、狭隘な市場である舞台芸術のマーケティングはキャッチ・アンド・ノット・リリースなのだ。一度来場した顧客をみすみす手放すというのは理にあわないことはなはだしい。ただでさえ狭いマーケットなのである。次から次に舞台芸術の顧客は湧いて来てはくれない。ということは、現在顧客が誰なのかを知らなければ「次の一手」は打てない(チケット・サービス会社の限界性がここにある)。手をこまねいて空席の多くなっていく事態の前で立ち尽くすしかないのである。




