可児市文化創造センターのWEBに連載している「館長エッセイ」に、私は次のような文章を書き込んでいる。
心を動かす演劇や美しい旋律の音楽に触れることで、人間はいろいろな感情を記憶します。人間の「美しさ」や「醜さ」や「いとおしさ」や「やさしさ」や「楽しさ」や「哀しさ」や諸々の感情を体験します。あるいは意識していなかった人間や出来事に対する感情を追体験することにもなります。その薄紙のような心の動きの一枚一枚を重ねていって人間的な感性は長い時間かけて醸成され、「記憶」されていくのです。(『文化は健全な未来をつくる記憶』)
たとえば、米国のプロバスケットチームで当時は弱小チームだったニュージャージー・ネッツは、チケット4枚、スポンサーであるレストランでの4人分の食事、ネッツの帽子とバスケットボールをまとめたファミリーチケット・パッケージを売り出した。(ジョン・スポールストラ『エスキモーに氷を売る』より)
これは経験がもたらす「思い出という経験価値」を家族で共有してもらおうと企図してつくられたパッケージだ。エキサイティングな試合、ネッツの帽子をかぶっての応援、家族揃っての興奮した語らいのある食事、そしてネッツのロゴの入ったバスケットボール、これらの相乗効果が「経験」をかけがえのない思い出として演出する。このようなマーケティングによってジョン・スポールストラは、入場料収入が5年連続でNBA最下位、その間成績も最下位か下から二番目のチームを、一切の補強をせずに、観客数を最下位の27位から12位にまで増やすことに成功した。
劇場やコンサートホールやオペラハウス、さらには美術館などが、ホール部分のほかにレストラン、カフェテリア、バー、グッズショップ、ブックショップなどで多資源化するのは、このような相乗効果を狙ったものといえる。英国北部リーズ市にあるウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)では、前記の経営資源のほかに、衣装や装身具、かつらなどをストックしてある施設までも経営資源化して「コスチューム・ハイヤー」というコミュニティ・サービスを行っており、明らかにそれらの相乗効果を劇場経営に余すところなく反映させようと企図していると考えられる。WYPのマーケッターは、顧客にとって最も望ましい経験価値を体験してもらうための「環境」を提供しようとしている。
日本では、劇団わらび座の拠点であるたざわこ芸術村が多資源経営の好事例である。たざわこ芸術村は、客席数710席のわらび劇場を中心にして、小劇場、温泉付きのホテル、温泉、地ビール製造と付属するレストラン、食事処、喫茶店、化石館、デジタルアーツ・ファクトリー、森林工芸館、各種ワークショップなどを備えている。それぞれの顧客データが一元化されていないために多資源経営が円滑に行われているとは言い難いが、それでもこれだけの経営資源を有している事例は日本では稀有なことだ。
可児市文化創造センター(ala)では、レストラン「カテリーナ・デ・アーラ」との連携を、定例意見交換会議を設けるなどして強力に推し進めている。これは顧客の「経験価値」を演出するための経営方針であり、そのことによってよりよい思い出を劇場に残していただきたいと考えているからだ。事業の前後でのディナーやランチ、ティーパーティの開催、プレゼント相手にメッセージを書けるラブレター・チケット、アニバーサリー・チケットなどの食事つきのライフスタイル提案型チケット販売、ウェブサイトからのレストラン予約を可能にするシステム設計など、連携の強化によって顧客価値に幅と奥行きを持たせることが可能となった。むろん食事の味が良いこととサービスが行き届いているが前提であるが、このようなアライアンスには「経営感覚の共有」が絶対の条件になる。劇場・ホールでの経験が、それらの多資源と共鳴しあい、「経験価値」が増幅されるようなサービスでなければ意味は成さない。
また、自主事業の当該月に誕生日を迎えた、あるいは迎えるお客さまの座席に職員の手作りバースディ・カードとグッズと一輪のバラを置いておいて、館長の私が「○○さま、今月はお誕生日、おめでとうございます」、「ごゆっくりお楽しみください」とご挨拶にうかがうバースディ・サプライズ・プロジェクトも顧客経験をふくらまして、忘れることの出来ないよい思い出を劇場に残していただくための企画である。
私は館長兼劇場総監督として就任してすぐに、市民にとって地域の劇場はどのような場所であるべきかを考えた。そして、可児市文化創造センターは「芸術の殿堂」ではなく、人々の様々な思い出が詰まっている「人間の家」でありたいと思い、それに沿ったミッション(使命)を定めた。地域劇場・ホールや美術館は、受益対象を芸術文化愛好者に限定することは政策目的になじまない。この「人間の家」には、地域のすべての人々を視野に入れたサービスを供給する社会的制度であるべきとの思いがある。レストランとの連携強化やバースディ・サプライズは、そのミッションにしたがった経営戦略であり、ブランド戦略のひとつである。
地域の公共文化施設は、芸術愛好家のみが利益を享受する「芸術の殿堂」であってはいけない、というのが私の考えである。また、可児市のように人口10万のまちにそのようなニーズもない。民間が経営するのなら何であろうと構わないのだが、「公共」である最低限の要件は満たさなければならない。公共の劇場・ホール及び美術館は、地域の文化的拠点形成という「政策目的」によってではなく、何らかの社会的・福祉的課題や教育施策を実現するための「政策手段」として設置されるべきなのではないか。「人間の家」という定義づけは、その考えを込めたものである。そのためにも、劇場・ホールは多様な経営資源を集積しなければならないと考えるのである。
日本のように芸術団体が劇場やホールを所有しておらず、場所を借り受けて公演を打っている場合にはこの経営手法は難しい、と思われるだろう。しかし、次回は町全体として経営の多資源化を実現しているケースを紹介する。これなら劇場・ホールを借り受けて公演を成立させる日本の特殊な公演形態下でも実行可能なのではないかと思われる。




