2008年5月18日に西川信廣氏・平田オリザ氏と館長による「衛紀生館長のおしゃべりシアター『町が元気になる処方箋』」がアーラで行われました。その模様をホームページに掲載致します。
出会いの場所がない
(前回の続き)
平田氏:
自警団とか出てくるようになったら駄目だよね(笑)。今日は少し端折りましたけれども、渋谷のセンター街のことをよく例に出すんですけれども、渋谷っていうのは今でこそ若者のメッカと言われていますけれども、30年ほど前は本当に汚い町で、東急と西武という二大資本によって急速に街を広げたために弱者の居場所のない町になってしまった。それでチーマーと呼ばれる不良少年たちがセンター街の地べたに座るような状態になって。
何でそうなってしまったかというと、都市計画なしに町を広げたから、ヨーロッパの都市なんかにある公園とか噴水のある広場が全くないんです。まさに出会いの場所がなくて、それで公園はあるんだけれども、そこはホームレスの溜まり場になっていて寄りつけない。つまり弱者が右往左往することによってどんどん危険な街になっていって。それでワイドショーなんかでご覧になった方もいらっしゃると思いますけど、あそこには自警団がいるんだけれども、これがひどい取締り方なんですよ。民間だから、警官なら今どきあんな暴言は吐かないんだけれども、物凄い言葉で若者を押さえつけているんです。それで、どんどんどんどん街が荒んでいくんです。いくらやってもイタチごっこなんです。
どん底になる前に手をつけたほうがいい
本当にコミュニティスペースをつくって、お互いが分かり合う、少なくても全面的に分かり合ったり、信じ合ったりできなくても、共有できるもの見つけて、相手も同じ人間で、全面的な悪ではないんだということで融合できる場所をつくっていかない限り「都市の再生」っていうのは出来ないんですよね。ただ、ここで海外の事例いろいろ言ってきましたけれども、それも100年、200年も前からやっているわけではなくて、一番最初に言ったのもたかだか2、30年なんですね。
例えばイギリスの表現教育がすごいすごいと言って皆が研究に行くわけですけれども、これもたかだか50年くらいの歴史なんです。一番長いスパンをとっても第一次世界大戦以降ですよね。そこに市民化教育というのがあって。本格化したのは第二次世界大戦後に植民地を失っていく過程で植民地からどんどん人が戻ってきて、支配層が難民のように入ってきてイギリスの地方都市が急速に多国籍化して行くなかでコミュニティが全部崩壊していくわけです。グラスゴーなんかも失業率25%とかになったわけです。それで、みんなその移民の人たちを逆恨みして完全に対立構造ができた。
そんななかで表現教育が始まって、どうにかしてお互いのいいところ見つけようとした。いいところ見つけるためには文化しかない。もちろん経済や政治でガチンコでやったら駄目だし、教育もいまの日本でさえも所得と教育水準の相関性が問題になっていますね。金持ちの子だったら塾にいけるだとか。だけど芸術文化とかスポーツだけはその人の個性だとか特技が発揮しやすい。全部そこで救えるとは限らないけれども、沢山のメニューを用意すれば、救われる人が沢山出てくる。演劇だけでなくていいと思う。
英国はどん底を見てやらざるを得なくてやったんだけれども、日本は常に後発の優位さがあるから、今やればどん底になる前に再生できるはずなんです。だけど人間っていうのはやはりどん底にならないとあまり気がつかない。そこは知恵を発揮して、私たちもう沢山の先行事例をみているんで是非どん底になる前に手をつけたほうがいいかなと思いますね。
英も米も日本より50年先を行っている
衛館長:
やはりイギリスもアメリカも日本より40年か50年か先行っているんですね。文化政策もそうで、その意味で言うと今こそ手をつけないといけない。さきほどシャッター街が増えてきて、商店街が寂れるっていうのは何かの予兆だ。つまり地方が壊される、末端が壊される、一気に急速に、猛々しく破壊が進むという予兆だと平田さんが仰いました。今まさに僕らに必要なのは、この危機感ですね。語弊があるかもしれないけれども、いまは道路じゃないかもしれない。それは福祉とか教育とか医療とか文化とか、そういう人と人が関わる現場とか、人と人の関わり方を変えていくことなんじゃないか、というふうな気がするんです。
確かに文化や福祉や教育の経済効果というのは測りにくいことかもしれない。でも、少なくとも私たちは、微力でも人と人の関わり方を変えていくことはできる。特に子供たちですよね、いまお二人から子供の話も出たんですけれども、サー・サイモン・ラトルというベルリンフィルの指揮者がいて、彼はイギリス人なんですけれども、彼がベルリンに来て一番初めにやったことが、移民の子たちや東ベルリン出身や生きにくい環境にある子供たちとのプロジェクトです。それで、学校でドロップアウトしていたり、移民の人が多く住む学校は非常にレベルが低くて周辺では犯罪が起きて。それでこの子たちが踊るコンテンポラリーダンスの伴奏をベルリン・フィルでしようとサイモン・ラトルが提唱して、「ベルリンフィルと子供たち」というDVDにもなっていますけれども、そういうプロジェクトを始めた。
そのくらいアーチストにとって、またはアートの側にとって、社会の将来を担っていく子供たちというのはとても大事にしていかなければいけない。彼らは私たちの社会の「未来」ですから。私たち大人は、彼らの将来に責任を持たなければならない「義務」がある。少なくとも、平田さんや西川さんや私は、ある意味ではそういう社会とアート芸術の関係、あるいは劇場と社会の関係を比較的早い時期に言い始めた人間ですよね。まだ日本は端緒についたばかりかもしれない。でも、特に子供のことって僕はすごい気になるんですよね。




